「教会ストライキ」2005年9月5日(月)

神学モノローグ

 この春に礼拝がキャンセルされるという事態が私たちが出席している教会で生じたことを、前に書いた。その後過半数の人からの牧師辞任の嘆願書が出された。しかし臨時総会で牧師を支援する数人の人の強硬策でもみ消されるかたちになった。嘆願書に署名した人たちは行き場を失ってしまった。「老婦人の涙」という記事でその状況を紹介した。

 その後誰が決めたわけでもないが、別なグループを作ったり、法律に訴えたりすることなく、静かに神の義がなされことを待とうという同意がなされた。礼拝に出席しない、献金をしないという暗黙の了解がなされた。その間、ある人は別の教会の礼拝に出席し、ある人は家で静かに個人的に礼拝を守ってきた。それをある人はチャーチ・ヴァケイションと呼び、ある人は教会ストライキと呼んだ。
 過半数の人の献金が止まったために、宣教支援ができなくなってしまった。私のミニストリーの支援をストップするいう牧師の手紙が届いた。私を非難するだけの内容のものだと、日本で奉仕をしていたときに妻が伝えてきた。私も教会ストライキ状態なので、何もしないで様子を見ることに決めた。
 4ヶ月経って、臨時総会でもみ消しを計った方から、自分の認識不足を認めるメールが届いた。牧師からの私への手紙を読みたいというのでファクスした。牧師の霊的傲慢さ、不真実さ、偏った教えにようやく気づいたと率直に認めてきた。過半数の人はそのことに気づいたので嘆願書を提出しただけであった。この方とは、16年前に同じ時期にこの山に移ってきて家族ぐるみで親しくしてきたので、友情関係が危機に瀕することにもなった。
 一時支援していた人が不誠実さに気づいたために牧師は辞める以外になかった。辞表が提出された。事態が収拾することを願う。まだいくつかのハードルを越えなければならない。教会はヴィリッジ・ミッションという団体に属していて、牧師は派遣されてきていたために、その対応もある。
 私たちは妻の闘病のために町を離れていたので、祈りながら待つだけであった。同じ町に住んでいる人は自分の教会がそこにあっても行けないという苦渋を味わってきた。しかし神の真実を信じて、じっと待ってきた。ピケを張ったわけでもなく、声明文を出したわけでもない。待つだけのストライキであった。そしてストライキ解除である。教会生活での初めの経験である。計画したわけでない。推薦できることでもない。成り行き上、教会ストライキになっただけである。それでよかったと思う。

上沼昌雄記

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