「そら、花婿だ。迎えに出よ。」2005年10月12日(水)

ウイークリー瞑想

 

 祭壇の前で待っている花婿のところに、家族と親戚と友人が見守っている中を、結婚行進曲に合わせて、娘を連れていくことを初めて経験しました。花婿のところに喜んで向かっている娘の心が伝わってきました。花婿と一緒になることを切に願っている思いを感じることができました。そのように娘を送り出すことができる喜びをも知ることができました。この時のために共に生かされてきたことが分かりました。

 

 イエスが神の国を語るときに、結婚式と披露宴をたとえとして用いていることが何となく分かるような気がしました。「そら、花婿だ。迎えに出よ。」(マタイ25:6)というのもその一つの表現です。花嫁が花婿を慕い求める思いの深さを、神の国での出来事として用いています。花婿と花嫁がひとつとされること、神の国でキリストと私たちが一つとされることをパラレルに見ていることが分かります。13世紀のリュースブルグという人はこのマタイ福音書のことばから『霊的な婚姻』という本を書いています。

 

 娘がこの人ですと言って来たときの心と思いの確かさが、結婚式でよく分かりました。その人とひとつになることが自分の人生であることに納得していることを、そのまま受け止めることができました。結婚式は、花婿が花嫁を迎えるようなかたちですが、よく見ると、花嫁が花婿を迎えに出かけてきている式でもあることが分かります。家族や親戚や友人たちの前で、そこから出ていって花婿を迎え、ふたりがひとつなるための式です。

 

 花婿の家族、親戚、友人たちとの交わりをいただいて、彼が深い信頼をもって受け入れられていることが分かりました。神への信頼で家族が結ばれていることを知りました。娘を心から歓迎していてくれることが分かりました。安心して娘を任せることができます。私たちにもさらに花婿の家族と親戚の輪が加えられました。

 

 妻の家族と親戚も、日本にいる宣教師の家族を除いて、全員参加してくれました。お花のためにサンフランシスコ郊外から来てくれた姉妹と友人、私たちの教会から来てくださったご家族と友人、義樹の海軍兵学校からの友人で海軍の特殊部隊のキャプテン、シカゴでの二組の牧師ご夫妻と友人が参加してくれました。私たちの交わりの多様さに、花婿の家族・親戚の方が驚いていました。

 

 その人たちが見守っているなかを、花婿を迎えに出かけている娘を連れて歩くことができました。花婿を迎えて新しい人生を始める娘を送り出すことができました。どこかで、花婿であるキリストの前に出ていく花嫁として送り出したような気がしています。  

 

 シカゴは私たちも結婚したところです。不思議な導きを感じています。風の町と言われるとおりに、冷たい風が吹き込んで来た日でしたが、温かい結婚式と披露宴のときを持つことができました。

 

上沼昌雄記

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“「そら、花婿だ。迎えに出よ。」2005年10月12日(水)” への 1 件のフィードバック

  1. 奥様のご病気 お見舞い申し上げます。御長女の結婚 ご祝詞申し上げます。ネットを検索してた時 偶然「上沼昌雄」という名前を見つけました。おにいさん お元気ですか?おにいさんが北大に行ってた時、英語を教えてもらっていた 伊藤嘉彦です。仕事で湾岸戦争の前迄 中東にいました。帰国後39歳で 結婚しました。今では上の子が中学1年生です。息子の英語の教科書を見ながら おにいさん元気かな?と思い出しておりました。お元気そうで何よりです。あれからもう 30年経ちましたね。帰国後は 札幌に戻り妻と2男1女に囲まれて生活しています。忙しさに追われる日々ですが 何とか元気にやっています。メールのアドレスを添付しておきます。そちらのメールアドレスを お知らせ下さい。日本には 時々帰って来るのですか?その時は 札幌まで足を伸ばして下さい。お待ちしています。                        伊藤嘉彦

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