「クアラルンプール」2006年2月23日(木)

 先週の金曜日の朝バスでシンガポールを出発して、30分もしないうちに国境を越え、マレー半島を北上して5時間の旅をして、クアラルンプールに到着しました。加藤先生が迎えに来てくださいました。ちょうど金曜の午後の回教寺院の祈りとスコールに見舞われ市内は車で混雑していました。稲妻が何度か走り去っていきました。そのために15階にある先生のお宅はスコールの後の気持ちのよい風が吹き抜けていきました。

 その夜の集会は仕事を終えた方々と一緒に加藤先生の奥様の日本の手料理をいただいて始まりました。今の自分の心を色で表すとどのようになるでしょうかという自己紹介をしました。そして、ガリラヤ湖で大嵐になって眠っていたイエスに助けを求めた弟子たちのことを自分の体験を紹介しながらお話ししました。その晩は扇風機も止めてタオルケット一枚で気持ちのよい汗をかきながら眠ることができました。土曜の朝は回教寺院のスピーカーから流れる朝の祈りで目を覚ましました。そして数名の方と早天祈祷会を持ちました。

 その後先生のお働きのことを伺い、昼前に帰りのバスの手配をし、市内見物に連れて行ってくださいました。一時世界一高いと言われたツインタワーや、三日月の半分のような高層建物や、突端が45度の角度で切れているオフィスタワーなど、まさに建築用語として始まったポストモダンの超近代建築を観ることになりました。椰子の原始林がまだ残っているようなマレー半島の真ん中でポストモダンに出会いました。植民地時代の建物もところどころにありました。バスの発着場はバンコックとシンガポールを結ぶオリエンタル・エキスプレスのかつての駅であったと言うことで、面影のあるプラットホームに立ってみました。

 お昼を先生とチャイナタウンで麺類をいただきました。マレーシアはマレー人が60%、中国人が30%、インド人が7%と言うことです。かつてNHKの特派員、ニュースキャスター、番組局長であった先生は世界を自分の手の内のように動かれます。引退後神学校で学ばれ、かつていたクアラルンプールに牧師として戻ってこられました。奥様とも豊かに楽しく尊い第二の人生を送られています。その夜は日本人会で親子どんぶりと太巻きを食べました。ライブラリーがあってそこで村上春樹の本を見つけてしばらく読んでいました。

 礼拝は午後4時からです。その前に役員会があるというので早めに出かけました。借りている教会の新会堂が出来上がっているのですが、もうかれこれ一年近く役所からの使用許可がおりないという回教国の実質的な弾圧というか、締め付けを目のあたりにしました。まだ見通しが立っていないようです。礼拝は20名ほどの方と守りました。雅歌から夫婦がたとえで互いに呼び合うことと、キリストと私たちの霊の歌との関連を話しました。その前の火曜日がバレンタインディーであったことと関係づけました。

 その後教会の方々とスティームボートという鍋料理を夕陽を浴びながら美味しくいただきました。どのような関わりでマレーシアに来られているのか経過を伺うことができました。語り出したら夜更けになり、次の日になってしまうほどの深く長いストーリーをひとりひとりが持たれています。少しでも分かち合うことで不思議に導きを感じます。神の御手の中に生かされていることが分かります。その後先生のお宅でコーヒーをいただきながら、男性集会から雅歌に至った道筋をお話ししました。妻の話を聞きくことも、妻をたとえで呼ぶこともどこかで霊的なことだと分かります。

 月曜日の朝は教会の方のお宅での婦人集会でした。自分を花でたとえるとどのような花になるのかということを自己紹介でしました。そして「畑に隠された宝」のことから、ナルニア国物語のファンタジーのことを話し、自分の心の隠された世界のことを分かち合いました。自分の心を観ることで、神への窓が開かれくるのです。その後先生に送っていただき、短いときでしたが豊かな恵みの時を後にして、バスでシンガポールに戻ってきました。今回クアラルンプールへの紹介をしてくれた兄弟が迎に来てくださいました。そして次の日にシンガポールからロスアンゼルスへの直行便で無事に戻ってきました。多くの方の祈りと配慮に支えられてきました。

 クアラルンプールの建物のことで不思議な情景に出会いました。高層住宅があちこちに建ち並んでいます。ポストモダンの超近代建築もあります。そんななかで先生のお宅のベランダから道を隔てて、作りかけで倒産してそのまま10近く放置されたままの2棟の建築物が見えました。13階まで建てられ、その上に更に延ばしていくためのスティールがむき出しになっており、クレーンもそのままです。10階ぐらいまでは壁も張ってあります。しかし上の方はすでに黒いカビがじわじわと建築物を浸食しています。内部は雨や湿気で浸食が激しいようです。外側も骨がゆっくりと腐っていくような感じを呈しています。まさに廃墟です。

 複雑な事情で放置されたままだと先生の説明をいただきました。マレーシアらしいと言うことです。それでも不思議に目が向いてしまいます。10年近くも放置されたままの高層建築物、風雪にさらされてと言っても、雪は降ることはないので、雨と風にさらされたままの建築物、手つかずにそのままにしてあるもの、面倒なのでそのまま放置してあるもの、目障りなのですが取り除くことができないもの、自分の心の情景をみているようでベランダから離れることができませんでした。不思議な風景のおみやげをいただいて帰ってきました。

上沼昌雄記

 

「シンガポールの風」2006年2月14日(火)

ウイークリー瞑想

 シンガポールの日本人クリスチャンは、アングリカン・チャーチの建物を借りて午後3時から礼拝をしています。一昨日礼拝前に建物を眺めていたら「建立1911年」と言うプレートを見つけました。レンガ造りの歴史を感じさせる建物です。戦時中は日本軍の倉庫にも使われたと言うことです。常夏の国ですので礼拝堂の両側は窓ガラスもなく開けっ放しになっています。廊下になる部分があって礼拝堂はその柱の内側になっています。そこは30メートルほどの高さの丸天井になっていて、風が気持ちよく吹き抜けていきます。天上からもいくつもの扇風機が回っています。メッセージを語っていても心地よい風を感じます。

 一昨日はOMFのカンボジアの菅谷宣教師、イギリスの横山宣教師ご夫妻が礼拝に来てくださいました。先生方を囲んで20名ほどの方々とレストランの外庭で一緒に夕食をいただきました。夕闇が迫って気持ちのよい風が吹いていました。日本食をいただきながらカンボジアの話、イギリスの話を伺うことができました。私はアメリカから参加していました。シンガポールはアジアの臍のようであり、ヨーロッパには歴史的に深く結びついています。ニューヨークにもロスにも直行便で繋がっています。シンガポールには世界中の風が吹き込み、世界中に風を吹かせています。

 先週の水曜日の朝ボタニック・ガーデンに行きました。今回2回目でした。ゆっくり散歩をしながら、ところどころで思いついたところで木のベンチに座って時を過ごしました。陽がすでに昇っているのでゆっくり歩いても汗ばんできます。ベンチに座ると汗が体にちょうど馴染むほどの風が吹いてきます。故片岡さんがこのボタニック・ガーデンが好きでよき来ていたと聞いていました。牧会で疲れ、神の前に静まっている片岡さんの心が風に乗って伝わってきます。隠れた別のベンチで座っている片岡さんを想像していました。

 前回の「シンガポール物語」で、アメリカでも日本人が心を開いて、みことばがストレートに入っていくのですが、シンガポールではそれに生々しさが伝わってきますと書きました。すでに10日間ほど一緒に過ごしていますので現実の生々しさも伝わってきます。隠そうとしません。また礼拝堂の窓が開けっ放しになっているように隠すことができません。それでも新しい人が導かれています。どの集会でも新しい人とお会いしました。交わりが澱んでいません。新しい風が吹いています。

 昨日は教会の方々がセントーサというシンガポールの突端にある島に連れて行ってくれました。マーライオンというシンガポールの象徴であるライオンとマーメイド、すなわち人魚とが一つになった立像の中に入りました。その由来を知りました。中国語で「魚尾獅」と書くと教えてくれました。同時にその島は湾を守る歴史的な要塞にもなっていました。ですので太平洋戦争で日本軍の3年半の占領の記念館にもなっています。過去の暗い記録です。海からの風が絶えることなく吹いています。忘れてはならない記憶を呼び覚ましてくれます。

上沼昌雄記

「シンガポール物語」2006年2月6日(月)

ウイークリー瞑想

 

 先週末からシンガポールでの奉仕が始まりました。ここの日本人クリスチャンのグループが一昨年に続いて招いてくださいました。今回はロスアンゼルスから直行便で太平洋をしっかりと飛んで18時間近くかけて来ました。日本を通過してシンガポールの日本人のグループに来たのですが、日本に行くときとも、同じアメリカ国内の日本人のグループに
いくのとも違った感じをいただいています。昨日礼拝の後で歓迎愛餐会の時を持ってくださり、そのような違いを感じていますとお伝えしました。どのような違いなのかはその時点では表現することができませんでした。

 金曜日の早朝にシンガポールに着きました。出迎えてくださった兄弟と宿泊先に行くその車のなかで、人の心に届くメッセージとはどのようなものなのかという会話をすることになりました。時候の挨拶ではなくて、私もミニストリーとして関心を持っているテーマ、まさにシンガポールに来ていきなり話し合うことになったのです。昨年10月の北カルフォルニアの修養会、年末のECカンファレンスについてサクラメントの牧師と思いがけなく同じことを話してきました。その牧師とのやり取りを年末のカンファレンスの関係者とシンガポールに来る前の週に話し合ってきました。

 そのような話の内容を兄弟に紹介しました。どのようにしたら人の心に届くことができるのか、シンガポールについていきなり大変な会話になりました。なかなかできないことです。兄弟は一見そんな会話をする感じではありません。しかしどこかで霊的な識別力を持っています。しかもいきなりそんな会話ができるのです。シンガポールがそうさせてい
るとも言えないのですが、日本では時候の挨拶で終わってしまうところなのでしょうが、いきなりとんでもない導入をいただきました。

 土曜の夕刻にバーべーキューの夕食会がありました。食べながら私より少し年輩の方とその方の信仰の始まりの話を伺うことになりました。髪の毛もまだ真っ黒でいつもきれいに整髪をされ、身なりもしっかりとしています。信仰もそのような姿勢であることが分かります。ですので伺った話には多少驚かされました。奥様が洗礼の準備をされていて、その折に牧師からあなたも一緒にどうですかと言われて、ハイと言って洗礼を受けてしまったというのです。その時に信じていたわけではなかったというのです。不思議な人がシンガポールいるものだと思いました。

 昨晩の愛餐会で隣り合わせになったご夫婦と前後関係を全く覚えていないのですが、中島みゆきの話になりました。彼女の「地上の星」は私のiTunesに入ってます。宿泊先まで送ってくださる帰りの車のなかでロスで制作したという新しいCD「歌姫」を聞かせてくれました。同乗されたもうひとりの姉妹も結構聞いているようでした。私はそれほど聞いているわけではないのですが、どうして中島みゆきの歌が人の心に届いているのかに関心があるのです。その最新曲をシンガポールで聞くことになるとは思っていませんでした。

 JCFNのメンバーで今日本に住んでいて、今回シンガポールの友人を訪ねている姉妹と礼拝後にお会いしました。アメリカでも会っています。それで立ち話で、シンガポールの日本人の方々はアメリカの日本人と違いますようねとなり、互いに同意することになりました。日本からアメリカにいらして多くの方が自由を感じて心を開いてくれます。みことばがストレートに入っていきます。そのことを経験しています。シンガポールではそれに加えて生々しさが伝わってきます。アメリカでは心の皮が一皮むけた感じですが、シンガポールでは更にほう一皮むけている感じです。隠しようのない感じです。それだけ思いがけない話を聞くことになりそうです。シンガポール物語は始まったばかりです。

上沼昌雄記