「時代・中島みゆき」 2006年3月29日(水)

神学モノローグ

 

 前回中島みゆきのことに関心を持ったのが、神学校で学んでいるとき と書いた。年譜を確認して間違いであることが分かった。神学校で学ん でいるときではなくて、神学校で教えていたときであった。学んでいた ときにはまだデビューしていなかった。80年代の初めに「悪女」とい う曲で有名になり、それで耳にするようになったのだと思う。神学校で 「神論」や「人間論」や「現代神学」を教えていたときに、人間を知 り、時代を知る手がかりとしてクラスで紹介したように思う。

   彼女が自分で作り歌っている詩が多くの人の心に確実に届いている。 しかも40年間に渡って届いている。息長く届いている。彼女が登場し たのは70年代の半ばである。学園紛争の後遺症が残っていた。それか ら80年代の変化、90年代の漸進、2000年代の困惑、それぞれの 世代をどのように呼ぶのかはまさにその人の歴史観であるが、その動き と流れのなかで息長く、変わることなく届いている。時代の変化に彼女 が合わせているのか、時代を超えているのか、知りたいところである。

 シンガポールのもうひとりの兄弟が中島みゆきのことでメールをくれ た。「『時代』と言う歌があったことは先生も良くご存知のことと思い ます。1970年代、私がまだ高校生から丁度大学生に移行するそん な時期に発売された歌でした。『そんな時代もあったね、と・・・』で 始まる歌で、『まわるるまわるよ時代はまわる。喜び悲しみ繰り返 し・・・』『今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ。』と 言う歌詞に励まされた覚えがあります。」彼女のデビュー曲であった。

 この曲が出たときには留学中であった。しかし歌詞を見て驚かされ た。まだ20代半ばの女性が、伝道者の書にあるような世界を歌い上げ ている。「空の空、すべてが空。、、、一つの時代は去り、次の時代が 来る。」(1:2,4)だれもが知っている。しかし彼女はそれを歌い 上げることができた。そして多くの人はその時代にもてはやされて消え ていく。彼女はそれから40年間も人の心をとらえている。

  福音主義神学として、60年代に自由主義神学と格闘したこと、70 年代に大きな進展をみたこと、80年代で聖書の無誤性で直面したこ と、90年代に霊性神学の見直しが出てきたこと、2000年代、すな わち21世紀の始まりで困惑していること、自分のなかのこととしてそ れぞれの世代を生きてきた。40年はとてつもなく長い期間である。大 きな変化を経験させられている。神学のポイントも変わってきている。 自分の求めも変質してきている。

  それでも変わることなく求めているものがある。主により近く歩むこ とである。「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私 のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主のうるわしさを仰ぎ見、 その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)シンガポー ルの兄弟が言っている。「『人の営みは、メリーゴーランドのようだ』 とある人は言いますが、思わされるのは、主に少しでも近づく「昇りの 螺旋階段」の歩みでありたいと願わされています。」  

上沼昌雄記

「主(あるじ)の心」2006年3月27日(月)

ウィークリー瞑想

 

 先週末にミニストリーの理事であり、牧師であり、みくにレストラン の創業者である荒井先生とお会いしました。いつものように5店舗あるなかで私のところに一番近い店でお昼をいただきながら話しました。最初は金曜の昼に予定していたのですが、先生に急用ができて来ることができませんでした。私は約束の1時に到着しました。それでもテーブルの空くのを待っている人でいっぱいでした。私はただ待ちながら食事を終わって出てくる人、待っている人、食べている人を眺めていました。どこでも人を観察するのが好きなのです。駅とか飛行場とかでです。

 荒井先生とご家族とは、16年前に私たち家族もアメリカに移り住んでからの知り合いです。最初のレストランがまだ小さくて大変なときのことを思い出します。ペンキ塗りを真夜中にさせていただいたことを思い出します。そんなことを思いながら、出入りしている人たちを観て、みにくレストランはサクラメントと近郊で大変なステータス・シンボルになっていることに気づきました。近隣のオフィス街でしっかりと仕事をしている人たちがビジネスと社交の場として使っているのです。男性 でも女性でもその身なりからそれなりの地位の人たちだと分かります。みくにレストランで食べながらビジネスの話をすることが彼らのステー タスになっています。寿司を握っていた次男の方に感想を伝えました。

 結局次の日、土曜日の昼に荒井先生と会いました。前日待たされたことを恐縮されたので、そこで観察したことをお話ししました。興味深そうに聞いてくれました。その折りに村上春樹のある本で、バーを経営している主人公が、自分のお店に来る人にオーナーとしての姿勢を示して、お客さんとして同じように振る舞ってほしいという無言のメッセージを出しているのだという件(くだり)を紹介しました。お店はその主(あるじ)の心の現れであることを先生のお伝えしたかったのです。先生の人柄、信仰、牧師としての生き方が雰囲気になっています。お客さんはそんな空気に反応します。それにあわせて振る舞います。人を連れてきます。家族を連れてきます。

 ミニストリーでいろいろな教会の交わりに入れていただきます。その教会の雰囲気は牧師の心の現れなのだろうと思わされます。礼拝の流れ、交わりの自由さ、笑いの声、人々の顔、どこをとってもその教会のことを思い、労しているの牧師の心が出てきます。心は隠せません。隠していればそれも伝わります。それに人は反応します。

 牧師も人ですので、人としての雰囲気は避けることはできません。それでもその心が真の主に向いていて、人間的な限界を乗り越えて、溢れるような豊かさが伝わって来ている場合とそうでないときがあります。 牧師としての思いの強さが限界を作ってしまっているときがあります。人はまたそのように反応していきます。ミニストリーをしていても同じことを知らされます。

 みくにレストランには「満ち満ちた(プレローマ)」(エペソ 1:23,3:19,4;13)ものがあります。人は食べ物で満たされて帰るのではないのです。そこにある空気に触れて満足するのです。心が満たされるのです。また戻ってきます。人を連れてきます。家族を連れてきます。

上沼昌雄記

「キーワード:中島みゆき」2006年3月20日(月)

神学モノローグ

 

 シンガポールで礼拝後教会の方々と食事をしていたときに、どういう 事でその話になったのかは覚えていないが、隣にいた同世代のご夫妻と 中島みゆきのことになった。私のiTunesには「地上の星」が入っ ていますと言ったら、その方々の車には最近ロサンゼルスで録音された「歌姫」があるというので、帰りに宿まで送ってくださる車のなかで聞 かせてくれた。その次第をウイークリー瞑想「シンガポール物語」に書 いた。

 ポートランドの日本人教会の聖書塾で奉仕で出かけ、40代のひとり の兄弟の家に泊めていただいた。その夜は兄弟の信仰のこと、家族のこ とをお伺いした。次の日の朝に教会に向かう車のなかで、兄弟が私にど のような音楽を聴きますかと尋ねてきた。それで私のコンピュータには 中島みゆきの「地上の星」が入っていますと返答した。それで大変気に 入られた。

 ポートランドでの奉仕を終えて帰ってきたら、30代の終わりの友人 の牧師から、中島みゆきについて私が書いた記事に刺激されて、ご自分 が高校生の時にどうして共感を覚えたのかを振り返って書いたメールが 届いていた。私はシンガポールでの不思議な会話として紹介したたけで あるが、この牧師の心のどこかに届いたようである。

 どうして今また中島みゆきが出てきたのか不思議である。私はここで 紹介した方々ほど彼女の歌を聞いているわけでない。ただ神学校で学ん でいたときから気になる存在であった。最初は自分が学生生活を送った 札幌出身ということがあった。北国の雰囲気がそうさせているのかとも 思った。それ以来なぜ彼女の歌が多くの人の心に届いているのかと関心 を持ってきた。彼女の公式サイトでは、「日本のおいて、70年代、8 0年代、90年代、2000年代と4つの世代(decade)で、 チャート1位に輝いたアーティストは、中島みゆき、ただひとりであ る」とあった。

 メールをくれた牧師の説明で納得できるものがあった。「好きで聴い ていたのですが、高校の時の私には、何が良いのか自分でも分りません でした。改めて、今、考えると『捨てられた者として生きていく』ある いは、『捨てられた者として生きている』、または、『捨てられたと感 じるものとして生きている(生きていく)』、『生きていこうとしてい る』その心にあるのではないかと思いました。」「私は、失恋して聞い ていたのではなく、親に捨てられた感覚の中で、共感を覚えていたのだ と、今、気づかされました。彼女の歌詞を思い巡らすと、捨てられたと いう感覚を受け止め、それでいて、今を生きていこうとしているので す。私はそう感じます。」

 確かに彼女の歌には生きることの難しさ、悲哀、空しさ、絶望感があ る。しかしそれで終わっていない。人生の悲哀を負いながらも生きてい こうとするひたむきさ、したたかさがある。この牧師は彼女の「ファイ ト」という曲で語っている。「『ファイト。闘う君の唄を、闘わない奴 等が笑うだろう。ファイト。冷たい水の中を、ふるえながらのぼってゆ け。』という歌詞です。、、、世の中は、冷たい水のようでした。しか し、その冷たい水の中で、生きていけと彼女は励ますのです。冷たさを 感じつつ、震えてでも、進んでいけるのだと励ますのです。」

 この牧師はご自分のコレクションを全部処分したと言う。それで図書 館でCDを借りてきて聞き直していると言う。そして再度メールを くださった。学生時代にもうひとり、尾崎豊のいう歌手に共感して聴い ていたと言う。彼との比較をしている。「彼は、生きることに悩みなが ら、‘そこ’に‘いず’、逃げ、反抗し、盗み、破壊します。私の好き だった彼と、みゆきさんの歌の対比から、みゆきさんには、‘そ こ’に‘いる’ことを感じます。悲しみを感じ、悩みを感じ、嘆き、逃 げたいと思い、変わりたいと思い、違う結果を求める思いもありなが ら、‘そこ’に‘いる’のです。ふと、『わたしはある。』を思い出し ました。単なる永遠の存在という意味の‘ある’だけではなく、そうい う意味の‘そこ’に‘いる’か?とも思いました。」

 生きることは容易なことではない。それでも生きていかなければなら ない。時には逃げ出したくなる。それでも向かっていかなければならな い。暗い闇に覆われる。それでも光りを信じて進むことができる。落胆 することがある。それでも希望を持つことができる。空しさに覆われる こともある。それでも信じることができる。

 中島みゆきは時代を読むキーワードである。何に惹かれ、何を求めて いるのかを知る手がかりである。シンガポールの兄弟は、今朝も仕事に 向かう車のなかで「歌姫」を聴いていましたとメールをくださった。ポートランドの兄弟は「帰り間際の中島みゆきの話は忘れられないこと になりました」と言う。この牧師は中島みゆきとの対話を通して言う。 「彼女の歌は、暗いので、クリスチャンになってから、私の中から抹殺 してきたようにも思います。私の心の空白時代に彼女の歌を聴いていた のですが、それを抹殺することで、新たな心の空白域をつくっていたよ うに思います。」  上沼昌雄記

「オーキッド」2006年3月15日(水)

ウイークリー瞑想

 

 3週間前シンガポール空港から帰途につくときに教会のご夫妻が妻へと、透明な箱に入ったひと束のオーキッド(蘭の花)をくださいました。薬のリアクションから始まって一連の食べ物のリアクションからの回復を目指している妻のことを思って、シンガポールの国花になっているオーキッドを用意してくださいました。ロスアンゼルスの空港で植物検疫を経て、無事に妻のところに届けました。帰ってきた私より、オーキッドの花に感激をしていました。

 淡い紫色の花が箱から溢れるほどでてきました。言われたとおり水切りをして、妻は大きめの水鉢に入れて居間のコーヒーテーブルの上に置きました。しばし眺めてはオーキッドの美しさを母親と語り合っていまた。母親もこの冬にクリーム色のオーキッドの花を咲かせていました。昨年10月のシカゴでの長女の結婚式にも、サンフランシスコから来て花を用意してくださった方がオーキッドを使ってくださったことを思い出しました。

 シンガポールのボタニック・ガーデンのなかにオーキッド・ガーデンがあります。今回の奉仕の間2回ほどオーキッド・ガーデンのなかを散策しました。オーキッドを国花としているだけあって手入れが行き届き、様々な種類のオーキッドを咲かせています。シンガポール自体がガーデン・シティーとして、街がと言うより、国自体が公園のなかにできている感じです。その中心の市民、国民の憩いの場になっているボタニック・ガーデンのなかに、うっそうとした感じの熱帯の植樹林に寄り添うように紫、ピンク、クリーム、薄緑、黄色、白と色とりどりのオーキッドが咲いています。

 根本のところで四方に葉が伸びて、その真ん中から茎が上に伸びてきて、その茎の先端あたりに申し訳なさそうに、しかし一度見たら目をそらすことができない美しい花を咲かせています。じっと見つめて花といつまでで対面していたくなります。バラやゆりのような豪華な美しさではないのですが、しっとりと静かな佇まいを持って咲いています。一見茫漠とした植樹林にそっと寄り添って咲いています。コントラストなのですが、ハーモニーが印象的です。

 居間に添えられた白と紫の混じったオーキッドも回りの家具にぴったりと合って落ち着いた美しさを醸し出していました。訪ねてきた親戚の人もシンガポールの香りを楽しんでくださいました。10日ほどして花びらがテーブルの上に落ちてきました。最初の頃の新鮮さがなくなってきました。先週にはもう捨てようかと妻に言いました。まだ取っておきたいと言いました。

 先週末にポートランドの日本人教会のなかの聖書塾で奉仕がありました。泊めていただいたお宅の階段から下りてきたところにオーキッドが咲いていました。家のオーキッドはどうなったかと思いました。奉仕を終えて帰ってきたときに、オーキッドの花だけが平らな水鉢のなかで水に浮いていました。妻が花だけを取って水に浮かせていたのです。食卓の上にありました。今もあります。いつまでも楽しませてくれます。いつまでも心が惹きつけられます。

 その様子をいただいた方に伝えましたら次のような感想をくださいました。「水に浮かんだオーキッドの花を思い浮かべておりました。茎から離れて、水に浮かぶ様子は、何故か『リラックスした自由なイメージ』を与えられました。」

 上沼昌雄記

 

「廃墟」 2006年3月8日(水)

ウイークリー瞑想

 シンガポール、クアラルンプールでの奉仕をしているときに、妻からエレミア書33章3節のみことばに思いが向いているというメールがありました。「私を呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」奉仕から戻って、その箇所の前後を読んでみました。その後に次のように言われています。「万軍の主はこう仰せられる。『人間も家畜もいない廃墟となったこの所と、そのすべての町々に、再び、群れを伏せさせる牧者たちの住まいができる。』」(12節)

 クアラルンプールで目にした巨大な廃墟を再度思い起こしました。10年近くも放置されたままの高層建築物、風雪にさらされてと言っても、雪は降ることはないので、雨と風にさらされたままの建築物、手つかずにそのままにしてあるもの、面倒なのでそのまま放置してあるもの、目障りなのですが取り除くことができないもの、自分の心の情景を
みているようで目を離すことができませんでした。クアラルンプールの美しい自然と、ポスト・モダンの超近代建築と、主にある交わりを思い起こすたびに、この廃墟が浮かんできます。

 同じような経験をされている姉妹からレスポンスをいただきました。「私も、廃墟をみるといろんなことを思います。何か、いろんなストーリーを思い浮かべ、その情景から目を離せなくなります。スラム街が閑静な住宅地に隣接しているなんていう光景もありました。錆びついたトタン屋根が切れ間もなくつながっています。何かを実感して思いめぐらすということではなく、ずっと見つづけてしまいます。」

 自分のなかに手つかずに放置したままで廃墟になっているものがあります。途中で投げ出してしまったものなのか、少しずつ積み重ねられてきて目障りになってきているものなのか分かりません。どのようにそれに触れたらよいのか、どのように取りかかったらよいのか分からないままで放置してあります。そのような廃墟は夫婦になってもそのまま居残っています。逆に夫婦になったためにより目立ってきたところがあります。それでも互いに取り除けないでそのままになっています。どうすることもできないので居座っています。

 廃墟は目障りです。見たくもありません。景観を損ねます。周囲の商品価値を著しく下げます。それでもそこにあります。そのまま風景の一部に溶け込んでしまいます。心の情景の一つになってしまいます。あたかも人格の一部のような顔をしてきます。そこに居直ってしまいます。それでも外観を損ねます。どこかで心の醜さを露呈していきます。

 「人間も家畜もいない廃墟」に「再び、群れを伏せさせる牧者たちの住まいができる」という主のことば、取りも直さず神が廃墟を見ておられるという事実、神はそのままにはしておかないという約束、自分のなかの廃墟がどのようにいのちのあるもに変えられていくのかという期待、預言者エレミアの悲哀と希望を感じます。

 上沼昌雄記