「大学紛争と戦争の傷跡」2006年6月5日(月)

ウイークリー瞑想

 

2月にシンガポール・クアラルンプールでの奉仕、5月に日本での奉仕、そしてこの6月初めのポートランドの日本人教会の聖書塾と教会での奉仕で、自分の過去を振り返る、教会の教理の歴史を振り返る、自分の歩んだ「死の陰の谷」を振り返ることをしました。そして60年代の大学紛争と、それ以前の戦争のことが避けられないテーマとして出てきました。不思議なことですが、当然の現実でもあります。

 

シンガポールで自分自身の60年代の体験として大学紛争のことを話した。同年輩の方がその方にとってはそれはまさに大学「闘争」であったと言われました。安田講堂での攻防を体験してこられたのです。短いやり取りでしたが、60年代に直面したことが心に深く残っていることを知らされました。当然とは言え、新たな火種を心にいただきました。

 

5月にある教会での奉仕のあとに同年輩の方がお茶に招いてくれました。多分私がシンガポールでの「大学紛争」と「大学闘争」のことを話したのかも知れません。その方は真顔でご自分は単に参加していただけではなくて、その中に人を巻き込むことをしていたこと、しかし直前になって敵前逃亡をしたことを話してくれました。さらにそれを隠して企業に就職したこと、仕事の関係で同年輩の人に会うと、何らかのかたちで大学闘争に関わってきたことを互いに感じていても、決してそのことを話すことができなかったと言われました。ただ事でない雰囲気でした。

 

しばらくしてメールをくれました。「おかげで、この歳になってやっと過去と向き合い、それを解毒?して行く道がみえたと思います。」毒を抱えて生きてきたほどのことだったのです。話してくださったことで過去の暗部に光りが差し込んできました。

 

この方との会話で、村上春樹が大学紛争と戦争のことが必ずと言っていいほど取り上げられていることの意味が分かったような気がしました。『海辺のカフカ』で大学紛争に巻き込まれて意味なく命を落とした青年のことが書かれています。物語の大変な伏線になっています。そして戦争のことも出てきます。村上春樹もこの方も私も直接には戦争に関わっていたわけではないのですが、日本人として生きているうえで避けられないテーマとして重くのしかかっています。

 

ポートランドでの男性集会では「母の日」と「父の日」にちなんで自分の母と父を語ることをしました。ひとりの方が終戦の農地解放で土地を失い、その後両親が大変な苦労をしたことを語ってくれました。その後アメリカに渡って努力をして今まで歩んできたことをしみじみと話してくれました。戦争が人の人生を大きく変えてしまったのです。それでまた神に出会うことになったのです。

 

聖書塾での「教理史」と「苦しみの神学」のクラスでは明らかに戦争で人生を大きく変えられている方々がいます。そのためにアメリカに来ている人たちです。その方々にとって戦争がどのような意味を持っているのか、つらいことだと思いますが語っていただきたいと思いました。もう忘れていたことかも知れません。忘れたいと思っていたことかも知れません。しかし語ることで少しでも自分を受け止められるのではないかと思いました。

 

「教理史」では20世紀の初めの2つの世界大戦がどのようにものの見方、人間観に影響しているのかしばらく時間をかけて考えました。韓国の年輩の女性で日本語を上手に話す方がいます。家族が満州に韓国の政府の高官として勤務しているときに日本語を覚えたというのです。それに続く戦争がこの方の人生に重くのしかかっていきます。不思議にいまアメリカの日本人教会で主にある家族としての交わりをいただいています。

 

「苦しみの神学」では戦争のことが直接、間接に関わってアメリカに来ている方々が中心のクラスです。その苦労、苦しみは想像を超えています。「私の死の陰の谷」というテーマで分かち合う時を持ちました。どのような苦しみを通られたのか知りたいと願いました。語ってくださることで少しでも苦しみを自分の人生と受け止められるのではないかと思いました。

 

ある方の通られたことはまさに想像を超えるものでした。終戦の後の買い出しで少女として耐え難い屈辱を受けました。死ぬことを何度も願ったと言います。余すことなしに語ってくださいました。聞いているものも涙を禁じ得ませんでした。語ることで自由にされたと言われます。暗い過去の思い出から解放されました。キリストとの直接的な出会いを経験されました。

 

聞いている人たちもそれぞれ大変な苦しみを通られました。互いの死の陰の谷を聞くことで癒しを経験します。誰もがその生涯で充分な苦しみを経験しています。戦争は私たちの心に深い傷を残しています。人生を大きく変えてしまいました。取り返すことはできません。語ることで少しでも自分の人生の一部と受け止めることができます。聞くことで苦しみが昇華されます。苦しみに対して敏感になります。苦しみの深さが人生の襞のように刻まれています。生きることの重みが増してきます。

 

上沼昌雄記

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