「夫婦のこと、戦争のこと」2006年8月7日(月)

ウイークリー瞑想

 先週末に、今いる街の図書館から広島と長崎への原爆投下に至ったアメリカ政府の経緯をドキュメントにしたDVDを借りてきて観ました。大統領と側近たちの間で、日本との戦争を終わらせるために原爆が必要なのかという議論があったこと、原爆投下によってもたらされる世界の反応を憂慮していること、ソ連の参戦によって決断が迫られたこと、しっかりとした資料に基づいて作られていることが分かりました。

 

これを観たのは5日の夜でした。日本ではすでに6日になっていました。まさに61年前に広島に原爆が落とされた日でした。しかしこの関わりを分かっていてDVDを観たのではありませんでした。それは後になって気づいたのです。

 

この6月から村上春樹のことについて記事を書いています。「村上春樹・体験」としてミニストリーのホームページ(www.jbtm.org)に載せています。9年前にある悲しいことで村上春樹の本を紹介されました。正確には「自分のいまの気持ちを一番よく表している」ということで、『国境の南、太陽の西』という本が送られてきました。その後その人とは音信が途絶えてしまったために、本は謎解きとなりました。それ以来村上春樹の本というか、世界に引き込まれてきたところがあります。それでまとめてみたいと思って記事を書いています。「その3」まで載せています。

 

いま「その4」として『ねじまき鳥クロニクル』のことを書いています。出ていってしまった妻を買い戻す、救い出すテーマです。買い戻す、贖い出す、まさに聖書のテーマです。そのプロセスにノモンハンと満州国での残虐な殺人の描写が入っています。外モンゴルでロシアの将校によって日本の情報部員が皮を剥がされながら死んでいく場面です。そして満州で中国人が日本兵によってバットで頭を叩き殺される場面です。

 

なぜこのような場面が妻を救出するために必要なのか、この本に対する私の問いかけです。村上春樹がそれは避けることができないと観ていることは分かります。作者が分かっていることと、読者のひとりである私が分かることとは多少の違いがあります。その違いがありながらも、過去の戦争のことが重く日本人である私のなかにものしかかってきます。深い霧のようにのしかかっているだけでなく、皮膚を通して心のなかにも浸透してきています。

 

そんな思いがあったので図書館で戦争関係の書庫を巡っていたのです。戦時下のアメリカで日本人が強制収容されたマンザナの写真集を見ました。そしてDVDで原爆投下のことを取り扱っていることを知って借りてきたのです。そして観た後にその日が広島の被爆した日であることに気づきました。

 

『ねじまき鳥クロニクル』は私のなかに夫婦に関して、戦争に関してある種の引っかかりを残しています。夫婦それぞれがクロニクルを持っています。そのクロニクルのどこかで戦争のクロニクルが入ってきます。象徴としても、比喩としても、現実としても入ってきます。その結びつきを知るために井戸の底に降りていくのです。そこで闘いを経験するのです。

 

「クロニクル」ということで旧約聖書の「歴代誌」を注意深く読んでみました。それは記録保存書ではないのです。ある視点を持ってまとめられている歴史書なのです。あることとあることがこのように結びついてこのような結果をもたらしていることの証の書なのです。その展開を示している絵巻なのです。その絵巻を作っている神の物語なのです。

 

そして今、その神の物語りに組み込まれている私の物語となるのです。神の恵みのなかで、夫婦としてのクロニクルと戦争のクロニクルの流れを見定めていくことです。そのなかで時には悪の力を阻止し、方向を変えていく私の物語となるのです。そのための闘い物語りとなるのです。

 

上沼昌雄記

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