「旅のイメージを生きる」2006年10月12日(木)

ウイークリー瞑想

 

     昨日シンガポールに入りました。3回目の訪問になります。荷物を置いてすぐにひとりでバスで街に出てシンガポールの臭いを嗅いできました。それで落ち着いたというか、自分が新しい場に置かれていることを確認できました。と言ってもそれで自分のなかの何かが新しくなったというのではなく、シンガポールに遣わされて新しい恵みを期待する自分の視点を確認できました。

先週は日本から親しくしている友人ご夫妻と一緒に旅をしました。旅をしながら自分たちの人生を振り返り、みことばを思い巡らす時を持ちました。この方たちもよく旅をされています。いまも海外で奉仕をしています。それで旅をしながら旅をしている自分を思い描く作業をしてみました。どのような場面でどのような姿で旅をしているのかを勝手に思い描いてみました。

実際に旅の途上で自分がしている旅を思い描いていただくことでしたので、4人ともしっかりとしたイメージが出てきました。このご主人は小道がなだらかに延びている野原を馬で旅をしているイメージでした。それだけでしたが嬉しそうに話してくれました。この奥様は学生の時ワンゲルで山登りをしていたので、いまでも向こうにある山を目指している姿が出てきました。確信を持って話してくれました。

妻は砂漠のイメージが出てきました。マナを食べ、雲に導かれている姿です。この2年の闘病生活を語っているようでした。いまは一緒に旅に出ることができるようになりました。

私は飛行場で2,3時間待ち合わせの時間があって、その間ベンチの片隅に座って人を眺めている姿が出てきました。引退後のご夫婦がお孫さんに会いに行くような感じの人たち、まだ小さな子供で飛行機会社の人に付き添われていて離婚した親のどちらかに会いに行くような感じの場面、明らかにビジネスの旅でしかもかなり成功しているようで意気揚々と肩を切らせながら歩いている男性、清掃員でゴミを集めながら自分ではできない旅を思い描いているような感じ、そんな人をじっと眺めながめている自分が出てきました。

ただこれだけの作業でしたが、このご主人は野原を旅している自分と山を目指している奥様と一緒に旅をしていて納得することがあったようです。それだけでなく互いに分かち合った後にそのたびのイメージを持って自分の人生を生きているようにも思えてきました。旅のイメージは人生の旅のイメージでもあるのです。旅のイメージを生きているのです。

シンガポールでの窓口になっている兄弟とその奥様とそのお母さんが日本からいらっしていて一緒に夕食をいただきました。この兄弟もよく仕事で旅をします。当然この方たちも日本から離れて旅をしています。お母様もシルクロードの旅をよくされているようです。私もアメリカから参加してですので一同まさに旅人なのです。それで先週の旅のイメージのことを話しましたらすぐに分かってくださいました。

この奥様は鈍行列車と言われました。それがイメージとして湧いて来るというのです。兄弟はある比較的小さな駅のプラットホームと、心のどこかに隠されていたものか脳裏の奥に隠されていたものが引き出されたように語ってくれました。お母様はシルクロードの平原を旅しているイメージを嬉しそうに語ってくれました。

「旅」と聞いたときにすぐに浮かんでくるイメージを分かち合ったのですが、その人の人生の旅のイメージを聞いているように思えてきました。ヘブル書の著者は信仰の人を「地上では旅人であり、寄留者である」(11:13)と言っています。それで中世ではクリスチャンのことを「旅人・Viator」と表現していました。

旅人である姿をイメージで思い描くことで新しい発見があることに、シンガポールでの旅を始めるに当たって気づかされています。

 

上沼昌雄記

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中