「車窓から見える教会」2006年11月3日(金)

ウイークリー瞑想

 

東北での奉仕を終えて昨日札幌に向かいました。八戸から新幹線を降りて函館行きの特急に乗りました。外の景色が目線で入ってきました。新幹線ですと高架ですので見下ろしているような感じになりますが、地上を走っている特急では外の景色を楽しむことができます。以前野辺地と青森の間で車窓から見える教会に気づき、今回も見たいと思いました。

東北はすでに紅葉のシーズンでした。特に秋田では秋田杉のしっかりとした緑と色とりどりに装いを変えているコントラストが印象的でした。集会を持った兄姉が田沢湖近辺に連れて行ってくれました。桜の木の葉が残りおしそうに今年最後の美しさを映えていました。ブナの木は丸裸にされてすっきりと佇んでいました。モミジはこの時とばかりに変容をしていました。秋田杉は時の流れを止めて自分だけで成長しているようでした。その枝振りは先が丸みを帯びていて温かみを与えてくれます。

青森ではすでに紅葉のシーズンを終えてしまったようですが、天気もよく冬の前に最後の映えを輝かせていました。野辺地を過ぎて浅虫温泉の手前の、どう見ても小さな街の、しかもその外れに当たるようなところに数件の家と一緒に教会が立っています。建っているのではなくてそこにいることが申し訳ないとも思われる感じて立っているのです。それでいてしっかりとした存在感を伝えています。

走っている車窓から、2,3百メートル離れた畑の向こうに教会が見えます。2階建ての民家を改造して教会に使っているようです。牧師住宅もなかにあるようです。屋根の上に教会であることを示す塔が立っています。入り口も礼拝堂にはいるように工夫されています。2年前に見たときには天気も悪かったせいか寂しい感じを覚えました。今回はうす黄色に塗り替えられたようで朝日に輝いていました。

どのような歴史を持っている教会なのか知るよしもありません。どのような教派に属しているのかも分かりません。調べれば分かりますが、その必要を感じません。本州の北端で津軽海峡が下北半島に囲まれるようにしてできている陸奥湾を目の前にしてじっとそこに立っているのです。冬の間冷たい風に会堂が吹きさらされ続けてきました。

どのような方がみことばをのべ伝えておられるのか、どのような方々が礼拝を守られているのか知るよしもありません。若い方々は都会に出ていってしまったのではないでしょうか。経済的にも楽なことはないと思います。それでもしっかりと礼拝を守っておられるようです。それが神の民としての務めとしてそこで神を崇めているのです。そんな思いが伝わってきます。静かに礼拝の場に加わりたいと思いました。

札幌の教会でこの11月1日で12年目を迎えたという早朝祈祷会に今朝参加できました。朝6時に皆さんが集まってきます。冬の厳しいときも変わらずきっかりと30分間の祈りを捧げています。30分経つと三々五々皆さんは散っていきます。それは神の時計の狂うことのないリズムのようです。そんな絶えることのない祈りが教会なのだと思わされました。

 

上沼昌雄記

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