「村上春樹と戦争」2007年1月8日(月)

神学モノローグ

  年の初めの郵便物に日本から送られてきた2冊の本があった。ひとつは、小森陽一著『村上春樹論』(平凡社新書)であり、もうひとつは、岡山英雄・富岡幸一郎共著『キリスト者の戦争論』(地引網新書)である。それぞれ昨年の5月、8月に出された。知り合いの方が送ってくださった。数年前に日本でのプロミス・キーパーズでお会いし、昨年カリフォルニアで再会した。その折りに村上春樹の話になった。この方が日本に戻って小森氏の村上春樹の『海辺のカフカ』についての文学講演会を聞くことになって、今回本を送ってくださった。それと一緒にもうひとつの本もくださった。

たまたま『海辺のカフカ』のことについてあることで書いていたときであったので、小森氏の『村上春樹論』を関心を持って読んだ。小森氏は東大教授であり、日本文学者である。文芸批評としての『村上春樹論』の論の進め方には納得できないのであるが、その結論、小森氏の姿勢には同意する。『海辺のカフカ』は、15歳の少年が自分を捨てて出ていってしまった母を捜しに家を出ていく物語である。そんな物語に初めから戦争に関することが出てくる。15歳の少年の「癒し」の問題に戦争のことが出てくる。どうしてなのかと考えさせられる。村上春樹はそれは絶対に避けられないのだという。

小森氏は、しかし、戦争のことを出しながらもその責任を最後まで追及しないで放棄してしまっているという。責任を免責しているという。「処刑小説」であるという。最大の問題は、「侵略戦争の中心的な責任を担うはずの、昭和天皇ヒロヒトを自力で裁かないで放置した」(241,2頁)ことだと見る。この「小説の最も深層に隠された歴史の否認、歴史の否定、記憶の抹殺の問題がある」(206頁)と見る。すなわち、村上春樹の歴史観、戦争観に問題があるということになる。

村上春樹の本を興味を持ち、関心を持って読んでいる。『海辺のカフカ』で多くの人が「癒し」と、「救い」を感じたこともよく分かる。しかし何度も読んでいるうちに、必ずと言っていいほど戦争と大学紛争のことが出てくるので考えさせられる。『ねじまき鳥クロニクル』は、家を出ていってしまった妻を買い戻す物語である。その物語にモンゴルでのノモンハン事件のことが出てくる。そんな戦争のことを出さなくても小説としての意味が伝わった来ると短絡的に考えてしまう。しかし何度も出てきて、何度も読んでいるうちに、それぞれの問題の根が戦争にまで結びついていることを村上春樹が言いたいのだと分かる。あの戦争のおぞましき姿が、戦後隠されて闇のように私たちの心を捕らえていると見ている。それが大学紛争の時に膿のように出てきた。大ヒットした『ノールウェーの森』の背景になっている。

という村上春樹の視点、大村晴雄先生が言われる日本人の根底にドロドロとしたかたちで残っているもの、暗い闇として巣くっているもの、それは私のなかにも受け継がれているのだろうと、思いをはせることになった。あの戦争と大学紛争がどのような痕跡を残しているのか、終戦5ヶ月前に生まれ、戦後を生きてきた自分を探ることになった。いまアメリカで戦争を身近に感じている。ミニストリーで同じように戦争と大学紛争のことを話すことにしている。ある時に「大学紛争」といったらば、「私にとってはそれは大学闘争でした」と言ってくださった安田講堂攻防を経験している方がいる。戦時中少女としてレイプされたことを話してくださった年輩の女性がいる。心の深くにいまだに大きな傷を残している。大村先生は、日本人の根底にあるドロドロしたものを言葉で言い表せたら自分の日本プロテスタント史は終わるという。そのドロドロしたものは15歳の少年にも受け継がれている。

そんな思いでいたときにエマニュエル・レヴィナスの本に接することになった。フランス軍の兵士としてドイツの捕虜になったためにホロコーストを生き延びたユダヤ人哲学者である。リトアニアの家族、親族はほとんどナチスによって殺されてしまった。ハイデッガーの哲学に感銘を受けながらも、ハイデッガーがナチスに荷担することになったヨーロッパの哲学に隠れた全体性を暴くことになった。論理の体系を目指す哲学が、その体系を盾に力をもって支配してくる全体性である。その拘束を打ち破る「他者」を視点に入れる。「他者」の他者である「無限」を視点に入れる。代表作のひとつである『全体性と無限』(1961年)が語っている。このことを昨年の終戦記念日の8月15日付の神学モノローグで「戦争と哲学」としてまとめた。

ユダヤ人女性で哲学者でカルメル会の修道女としてアウシュビッツで亡くなったエディト・シュタイン、ハイデッガーと親しかったがのちにアメリカに渡り『全体主義の起源』(1951年)を出したユダヤ人女性、ハンナ・アーレント、ホロコーストは人間の本源を暴き出した。いまその本源からの哲学が始まっている。

そんなことで、村上春樹にとって戦争のことは避けられないように、私にとっても戦争のことは避けられない。戦争はいまも深い跡を残している。村上春樹はそれを鋭く感じている。それを小説としてしっかりと暗示している。少なくとも私はそのように捉えている。小森氏は免責してしまったという。歴史の否定であり、記憶の抹殺であるという。村上春樹は小説家として暗示をしている。少なくともそのように取れる。書いていないので昭和天皇の戦争責任を免責していることにはならない。暗示しながらしっかりと伝えている。そのことの危険を知っている。小森氏が「昭和天皇ヒロヒト」を呼んでその責任を追及しようとしていることに通じている。それは身の危険を覚悟してのことと思う。

その続きで『キリスト者の戦争論』を読んだときに、天皇の戦争責任に触れていないことに、多少異様な感じを受けた。靖国問題は言及されているが、その先に進んでいくべき論が、通り越してアメリカのキリスト教原理主義に向けられている。自分たちのなかのドロドロしたもの、闇のように受け継がれているもの、それがあのおぞましい戦争で明らかになり、それがいま地下の闇のように自分たちのなかにはびこっていることへの洞察がない。それがよそに向けられている。よそに向けられることで論を組み立てることができる。それは楽なことである。天皇の戦争責任を追及することは身を危険にさらすことである。

戦争論、非戦論を論法として論じることはできる。その論法が、レヴィナスが言うように、他を排除する力として威力を発してくる。それはメンタルな意味で戦争を容認することになる。レヴィナスは、ヨーロッパの哲学がそのようにナチスを容認してしまったと見ている。ホロコーストは西欧の精神を根底から問い直すことになった。私たちには、あの侵略戦争とその中心的な責任者の天皇の戦争責任を明確にする作業が科せられている。そうしない限り日本は闇に覆われたままである。ドロドロしたものから解放されない。しかしそれは、殉教者を生むことになる。

 

上沼昌雄記

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中