「チャック・スミス」2007年3月5日(月)

神学モノローグ 

しばらくぶりにチャック・スミスの説教を聞きたくなって2週に渡って礼拝に集った。前に伺ったのは10年近く前になる。最近は、さらに30分ほど先にあるサドルバック教会のリック・ウワォーレンのことがマスコミに注目されている。チャック・スミスのことは忘れられた感がある。そんなこともあって礼拝に伺った。

会堂はこれがカルバリー・チャペルの働きを起こした有名な教会とはとても想像がつかない、ごくありふれた、と言うよりみすぼらしい感じの会堂である。駐車場は四隅から野球が充分にできるほどの広さである。11時15分から始まる第3礼拝であるが、2千人入る会堂はいっぱいである。外にもベンチが置かれていてそこできも聞いている。また体育館とホールでスクリーンを観ながら礼拝を守っている人もある。前に伺ったときより年齢層が上がっている。1960年代にジーザス・ムーブメントでピッピーたちをキリストに導いたチャック・スミスも80歳になっている。

この数年はリック・ウワォーレンのことばかり耳に入ってきて、チャック・スミスのことは何も聞くことはなかった。地元の新聞でもリック・ウワォーレンのことをよく報道する。日本でも彼のことについて質問を受ける。しばらくぶりにチャック・スミスの教会に参加して、むしろしっかりと確実に「祈りとみことばの奉仕」に就かれ、成長していることが分かった。

カルバリー・チャペルの働きは全米に広がり、全世界に広がっている。チャック・スミスの教会より大きくなっているものもある。ラジオメッセージをチャック・スミスだけでなく、カルバリー・チャペルに関わる人が何人かそれぞれの地域で行っている。カルバリー・チャペル・カレッジも持っていて、聖書教育をしている。チャック・スミスは専用のジェット機で飛び回っている。

と言ってもそんな働きの数字や業績を何も宣伝しない。全米の教会の数も、全世界のカルバリー・チャペルの数も、ウェブサイトに載っているので、数えれば分かるのであるが、数えるのがいやになるほどである。そんな数字はともかく聞こえてこない。カレッジのチャンパスは、JCFNの修養会で使ったことがあるので知ることになった。専用のジェット機のことは、そのパイロットとあることで関わることになって知ることになった。ともかくそんな数字や業績はどうでもよいという感じである。カルバリー・チャペル全体の霊的哲学である。

チャック・スミスはただ、創世記から黙示録までを繰り返し語っている。いま何度目なのかは分からない。今回2回にわたって聞いたのはヨハネで福音書の19章から21章までである。受難週とイースターはまだ来月のことであるが、順序に従ってキリストの十字架と復活を聖書に従って解き明かしていく。それだけである。専用ジェット機のことも、いくつの教会が全米に、全世界に広がっていることも何も出てこない。関係ないことである。

聖書を楽しそうに語る。こんなに楽しそうに語る人に会ったことはない。無理に作っているのでない。そんなのは会衆には通じない。見破ってしまう。ともかく聖書に書いてあることをそのまま嬉しそうに、楽しそうに語る。あたかもそこに居合わせているかのように語る。そこから何かの教訓を引き出して、教えようとしているのではない。チャック・スミス自身が聖書の物語の中に入って、そこで見たこと、聞きたことを語っている。彼自身がともかく楽しんでいることが分かる。そんな心が伝わってくる。それで会衆が引き込まれるように聖書の物語に入っていく。会衆と説教者がともに聖書の世界に入っているのが分かる。

チャック・スミスとカルバリーチャペルなりの聖書理解があることは分かっている。しかし、そこから来る窮屈さは感じない。むしろ聖書の広さと深さを体験する。静かに礼拝に出席し、聖書研究に出席して、チャック・スミスと一緒に聖書を楽しむことができる。私だったらここを強調するだろうと思うところをさらっと流し、私が気づかなかったところに上手に入っていく。新たな気づきを与えてくれる。会衆も同じように楽しんでいる。自由と限りのない広がりが生きている。

聞きながら、彼がある本で書いていることをを思い出した。彼は、西欧の伝統的な霊魂と肉の二分説の限界を説いている。そして、肉と魂と霊を分かる三分説の意味を説いている。二分説での霊魂の理解は、理性と意志とを霊魂の機能と見ることで、霊の世界の意味を過少評価しているという。三分説で霊と魂とを分けることで、霊の意味を再評価している。すなわち、説教は聞いている人の霊に語りかけることであると、チャック・スミスはいう。

まさに、彼の説教を聞いているとなるほどと納得する。その意味合いを説明するのは難しい。ただ分かる。分かるのでその意味が限りなしに、全米から全世界に広がっているのだと納得する。彼が80歳になっても心の新鮮さを失わないのも分かる。彼自身が聖書を紐解きながら心の霊で聞いているからである。自説を頑固に繰り返しているのではない。そういう説教を聞くことになり、そのことで苦しんでいる会衆のことを耳にする。チャック・スミスは聖書の無限の豊かさを楽しんでいる。そんな霊の響きがしっかりと伝わってくる。

 

上沼昌雄記

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