「記憶はあしたの風のように」2007年5月21日(月)

ウイークリー瞑想

日本での奉仕の最後4月31日(月)に、友人である片岡伸光さんの5周年の記念会が早稲田奉仕園でありました。片岡さんが召される前から出されていたご自分のニュースレターのタイトル「あしたの風」が、まさに「あした」のこととなって召天後、有志の方々と奥様の栄子さんが「あしたの風の会」として交わりを積み重ねてきています。そのあしたの風の会の人たちが中心になって記念会を計画してくださいました。

初めに片岡さんの日記を中心に3名の方が想い出を語ってくれました。片岡さんの好きだった童話の朗読もありました。片岡さんはからだの割に小さい字を書くのですが、中味はしっかりとしています。日記の朗読を聞きながら、その時に片岡さんがどのような状況で何を感じ、何を思っていたのかがよく分かります。

昼食をいただきながら参加者30名ほどがみな片岡さんとの関わりを語られました。ひとりひとりのうちに片岡さんの記憶がしっかりとパステルカラーのように塗られていることが分かります。その人の個性と片岡さんの記憶が調和しているのです。

午後に1時間半ほど参加者と一緒に静まり、瞑想を導いてくださいということで、片岡さんがまさにあしたの風として私たちの求めていることを分かち合いました。現実には私に片岡さんが求めていると思うことを思い巡らしました。片岡さんは私よりすこすし若いのですが、大切と思うことは遠慮なしに取りかかって行きます。35年前にKGKの主事を一緒にしながらうらやましく思いました。いま片岡さんが「上沼さん、遠慮なくやってください」と言っているように思えて、片岡さんに押し出されるように静まりの時を持たせていただきました。

そして3週間が経ちました。この記念会のことをどのように整理したらよいのか、どのような意味があるのか、心が定まらないままにいました。日記のことで栄子さんが言われたことが思い出しました。この5年間ご主人のものに手をつけられないでいたと言うことです。ようやく日記を振り返って読むことができたと言うことです。

私は片岡さんの発病、闘病、召天、葬儀に一度も関わることができませんでした。それで片岡さんの想い出は私のなかでいまだに収まりきれないでいます。どのように整理をしたらよいのか分からないのです。ただ記念会で片岡さんの記憶が多くの人の心にしっかりと場を得ていることが分かりました。単なる想い出としてではないのです。その人の人生にある色を確実の添えているのです。その人の持っている色に片岡さんの色が調和して見事な中間色を作り出しているのです。片岡さんの記憶がその人のものになって生きているのです。私のなかでは元気のままの片岡さんがいまでも生きています。それでいいのだと分かりました。

記憶は神の生ける御霊によって心の板に書き記されたものです(2コリント3:3参照)。少なくとも私たちにとってはそうです。その意味で記憶は神の所有物です。確かに記憶は自分のものです。しかし神のものでもあるのです。神は記憶を用いて私たちに働きかけます。悲しい思い出も、うれしき思い出も、忘れたいことも、忘れたと思うことも神は所有しています。それを用いて私たちに働きかけます。

記憶はまた、神を思い起こさせる手立てです。神の永遠のいのちを思い起こさせる手立てです。神の深い取り扱いを思い起こさせる手立てです。記憶はすでにその人から離れて、独り立ちをして神の風呂敷に包まれいきます。そのなかで温められ、整理され、純化されます。そして風に乗ってどこからか風船のように、必要に応じて送られてきます。イスラエルの民は苦難のなかで出エジプトを思い出すことができました。その記憶がどこからとも届けられました。そして苦難が賛美と変わりました。片岡さんの死の谷の記憶も、緑の牧場の記憶も、神の住処を思い起こさせてくれます。神の宮のうるわしさを思いだしてくれます。それで生きることができるのです。まさに、あしたの風です。

 上沼昌雄記

「JCFNの理事会は、、、」2007年5月14日(月)

ウイークリー瞑想

北米での留学生伝道を中心に活動しているJCFN(Japanese Christian Fellowship Network)は昨年15周年を迎え、団体としての組織のあり方を確認しつつ新しい展開を始めています。過去15年で多くの方々と接することができました。日本に戻ってそれぞれのところで活躍をしています。海外経験を生かしてさらに海外で働いている人もいます。結婚、出産を迎えた人もいます。牧師になられた方も出てきています。

そんな帰国者のフォローアップの必要が日本の教会のなかで認識されてきています。北米だけでなく、ヨーロッパ、アジアからの帰国者との連絡も出てきています。日本人が海外で信仰を持つことと、帰国してからの教会との関わりが日本の伝道のテーマになってきています。2008年の秋に全世界からの帰国者の大会を計画しています。

そんな状況のなかでの理事会を、サクラメントから2時間半ほどシエラ山脈に入ったエンジェルズ・キャンプという小さな街の郊外になるゴルフ場付きのリゾート地で、先週末持つことができました。サクラメントでみくにレストランを経営している理事の荒井牧師の厚意によっています。エンジェルズ・キャンプはかつて金鉱の町で栄えたところですが、いまは観光地とリゾート地となっています。

アトランタからビジネスマンのレイノルズ氏が、デンバーからOMFのダーストン宣教師が、サンフランシスコの飛行場からそれぞれレンタカーをして来ました。ハワイからマキキ教会の黒田牧師が、ロング・ビーチからの黒田総主事とサクラメントで合流して来ました。トロントのヤマハ楽器の社長に就任された三上洋輔理事がサクラメントの到着して、日本からの後藤主事と合流してレンタカーで来ました。

私はロス郊外を早朝まだ暗いうちに出発しました。フレスノからヨセミテに向かう41号線をとりました。途中のオークファーストという町から49号線に入り、目に染みるような新緑のシエラ山脈のなかを、時には川沿いを走ったり、牛の放牧を観ながら、小さな街をいくつか通過しました。結構な山越えも2回ほどありました。山並みの向こうに進む道が隠れたり見えたりしながらドライブをしました。空は晴れ上がり、空気は澄み切って、気持ちのよい風に吹かれながらの8時間のドライブの旅となりました。

3つのコテージを借り切ってくださり、一つを荒井先生ご夫妻と教会からの方々が入りました。先生の奥様と教会の方々がレストランから食材を持ってきてくださって、おいしい食事を作ってくれました。出張みくにレストランとなりました。黒田、三上理事と後藤主事と私がもうひとつのコテージに入りました。そこが会議室となりました。レイノルズ理事とダーストン理事が3つ目のコテージに入り、黒田総主事はそのコテージのなかの2階の部屋に入りました。日本の米内、森作理事は残念ですが参加できませんでした。

太平洋を挟んだこの働きの理事に不思議に導かれたことを分かち合いながら、現在与えられている7名の主事の活動報告から始まって、主事たちが具体的に進めている帰国者のスモールグループのこと、All Nations Returnee Conferenceのこと、新給与システムのこと、決算と予算と、ファンドレイズのことと、必要なことを話し合い確認することができました。主事たちが安心して奉仕ができるために高橋アソシエイトと三上理事がまとめてくれた新給与システムの導入は新しい進展です。一つづつの議題を主の導きを確認しながら話し合うことができました。

会議の中日の午後に、荒井先生が近くの鍾乳洞とセコイアのビックツリー州立公園に案内してくれました。鍾乳洞の狭いところを急な階段がついていて、案内をたよりに数十メートルの下まで降りていきました。幻想的な世界です。案内の人が電気を消して、真っ暗闇を経験しました。周りの人の息づかいが分かるので安心していますが、ひとりでそんなところにいたらどんなことになるのか、想像することもできません。しかしそんな真っ暗な闇が地下のどこかにあるのです。

セコイアの木を見上げながら皆でゆっくり散歩をしました。樹齢1000年を越えているようなまさに大木があちこちにあります。皆で一列に並んでも届かないほどの根っこもあります。倒れた木のなかをトンネルのように通ることもできます。立ったままの木の根元を人が通れるようにもなっています。1000年を越える木が話しかけてきたらどんなことになるのか想像してみました。思い思いのことを分かち合いながらゆったりとした気持ちで時の流れに身をゆだねました。

三上理事が、これは理事会というよりも修養会であると何度も言われました。会議はディボーションを入れて朝7時から始めました。9時に朝飯、1時に昼食、6時に夕食が用意されたいました。決めるべきことを充分話し合って決めながら、互いに恵みを感じながら時を過ごしました。理事であることでさらなる恵みをいただいています。三上理事がご自分をPractical Servantと表現されました。荒井理事はご自分はUnpractical Servantとである言われました。といって理事会の場所と食事を提供してくれたのです。来年もどうぞということでした。

JCFNと私のミニストリーは時を同じくして進んでいます。昨年ともに15周年を迎えました。18年前に家族でカリフォルニアに移住したときには想像もできなかったことです。荒井先生との交わり、ダーストン理事とレイノルズ理事との出会い、神学校の先輩の黒田理事との分かち合い、KGKの主事の時に学生であった三上理事との再会、どれもが深い、そして不思議な導きのなかにあることです。また、JCFNの活動で出会った若い方々もどこかでまた、神が結びの糸を持って結びつけてくれることです。そんな恵みを覚えながら、来た同じ道を、同じような晴れ上がって目映いほどの新緑のなかをゆっくりドライブしながら帰途につきました。

 

上沼昌雄記

「桜と渓流」2007年5月4日(金)

ウイークリー瞑想

     4月の始めに東京で桜を楽しむことができました。樹齢何十年というごつごつとした幹があの淡い花びらを何千と吹雪のように咲き散らす、見事な芸を観ることができました。不思議にそのごつごつとした幹のほうが印象的でした。そこに桜のいのちが隠されているのです。イースターに山形に入ったらば、桜はようやく永い眠りから覚めたところでした。福島から越える板谷峠にはまだ雪が残っていました。

それから山形と秋田を中心に、海外在住者の特権で手に入れられるJRパスを片手に、大阪、広島に足を延ばし、北は札幌まで汽車の旅をしました。トンネルの手間で見えた桜が、トンネルを越えた向こうではまだ冬眠のなかという様子を何度か経験しました。桜前線がゆっくりと日本を北上しているのです。何度も出入りをした秋田は札幌の帰りに寄ったときにようやく見頃となりました。おふたりとも桜が大好きな石川医師ご夫妻が満開の桜のもとでの写真をすぐに送ってくれました。いまは弘前城の桜が満開でしょうか。来週には札幌で桜と梅が一緒に咲き出すのでしょう。

春先の東北の山はまだ雪に覆われていました。高い富士山も雪をかぶっていました。桜と一緒に映えている雪の富士山の絵をどこかで観たような気がします。秋田と青森の間の弘前での車窓から見えた雪をかぶった岩木山は、春を告げるようにりんご畑を手入れをしている人と絵になっていました。札幌では友人の竹本牧師が小林牧師と私を札幌の駅のJRタワーの38階の展望台に連れてくれました。近くの山も遠くの山も一様に雪をかぶって私たちを迎えてくれました。展望台の一角にそんな眺めを観ながら用足しができる設備が付いています。そこに連れて行ってくれた竹本牧師のユーモアです。

新幹線「こまち号」で何度か秋田の田沢湖と岩手の雫石を超える峠を通過しました。時には眠ってしまったときもあるのですが、ある時に朝日に照る峠の渓流が目に留まり、立ち止まって足を入れてみたいと思いました。雪解けの水が岩肌を這う糸のように垂れ下がっています。列車の窓から手が届きそうなところを通るのです。新緑の時には新芽とともに山桜が申し訳なさそうに咲いていました。まだ木々は葉をつけていないので岩肌が見えます。もう少ししたら葉に覆われてしまいます。それで真っ直ぐに落ちてくるような雪解け水が岩肌を這うように見えるのです。そんな雪解け水が谷川に注いでいます。足を入れたらさぞ冷たいだろうが入れてみたいと思いながら、通過するだけでした。

雪解け水をいっぱいに吸い込んだ渓流が冬と春の間のしるしのように日本のあちこちに流れています。冷たくても足を入れてみたくなる清流です。静まりかえった冬から騒がしい夏へいのちを送り込んでくれる源です。どんより濁っているたまりにいのちを吹き入れる流れです。死んでいるような大地にいのちを送る込む水です。絶えることのないいのちの泉です。新しいいのちです。

今回の日本で、教会と牧師のことで何かすっきりしない話をいくつか聞くことになりました。牧師を送り出している神学校の姿勢に関わることです。澱んでしまった池から悪臭が放たれるかのように出てきました。新しい流れが注がれていないのです。冷たい渓流が注がれていないので、流れが留まっているのです。澱んでしまっているのです。新しいいのちがないのです。

自分の心に、生き方に新しいいのちを注ぎ続けることは難しいことです。自分の理解したこと、経験したことにどうしても固執してしまいます。外のことに、違った意見に心を開いていることができないのです。自分の世界に人を引き込むことはできても、人の世界に聞いていくことはできないのです。人ではなくて、時には神に聞いていくこともできないのです。ただことある事に神はそんな自分を壊そうとしています。自分では手に負えないことを起こすことで、破れを作ってくれます。そんな破れから渓流が注がれます。暗い冬とまばゆい春の間のしるしとして、新しいいのちの渓流を注いでいるのです。雪解けの冷たい水をいっぱいにい込んだ清流です。

 

上沼昌雄記

「神学のアマチュアリズム」2007年5月8日(火)

神学モノローグ

4月初めのジェームズ・フーストン師による公開講座「心の井戸を掘るーポストモダンの行く末を見据えた牧会を目指して」に参加することができた。同時にフーストン師の新刊『喜びの旅路』(Joyful Exiles)が出版された。フーストン師ご自身の世界であり、聖書の世界であり、文学の世界であり、神学の世界である。自分の狭い世界を脱出して神の国を求めて彷徨う異邦人として、真の自分に出会い、神に出会い、友に出会う旅人の物語である。すでに80歳になられてもその旅を続けている、そんな思いが伝わる公開講座であった。

そしてその週のイースターの前に、友人の小泉一太郎さんを前橋に尋ねることができた。大村晴雄先生の下で30年前に一緒に勉強をさせていただいた先輩である。小泉さんは教育哲学をされ、後に群馬大学教育学部の教授になられた。私の故郷の前橋に住まわれている。オックスフォド大学史を専門とされている。近著『19世紀オックスフォド大学の教育と学問』(近代文芸社)をすでに滞在先に送ってくださった。

奥様の手料理をいただきながらオックスフォド大学の精神の話になった。小泉さんは毎年のようにオックスフォド大学を訪ねている。私はジョン・ヘンリー・ニューマンしか知らないのであるが、小泉さんはオックスフォド運動に関わった人たちを自分のことのように話をされる。その人たちの息吹をいただいている。

フーストン師がオックスフォド大学で地理学の教授として長く教えていながら、カナダのリジェント・カレッジに渡って、「たましいの地理学者」として霊性神学を教えてこられたことを小泉さんに話をした。そうしたら、それこそオックスフォド大学の精神であると言われた。学生はすでに古典、ギリシャ語、ラテン語をマスターしていて、さらに聖書、ヘブル語に通じていて、その上で自分の専門を究めていく。それでいて人間の理解を深めているので、大学の外の人たちにも通じるものをしっかりと身に着けているという。専門を越えて交流の輪も持って意見を交換しているという。

その代表的な例がC.S.ルイスだと言われて納得できた。彼は中世英文学者としての専門を持っていながら、『ナルニア国物語』という子供の心にも入っていけるファンタジーが書けたのである。言われてみたらトールキンの『指輪物語』もそうである。インクリングズという文芸の会でお互いに刺激し合いながら書いたと言われている。さらに考えてみたらジョン・ウエスレーもオックスフォド大学の出身である。現代ではアリスター・マクグラス師が歴史神学教授として活躍している。分子生物学の博士号を持っていて、神学の教授として活躍している。『信仰の旅路たましいの故郷への道』(いのちのことば社)という信仰書も出している。

小泉さんは、オックスフォド大学の精神はアマチュアリズムであると言われた。逆説的な響きがして驚いた。しかし小泉さんは、それぞれの専門を究めていながら、だれにでも通じるものを持っているのがアマチュアリズムだと言われた。小泉さんの本を読んでさらに納得した。それは古典に通じ聖書に通じることで、人間への深い理解と「気高く柔軟な精神の開発」を目指しているからだと分かる。何も知らないというアマチュアリズムではなく、ある専門を窮め尽くしていながら、だれにでも通じる心をも養っているのである。小泉さんの本も専門書なのですが、その精神を継いでいる。19世紀のオックスフォド大学の息吹を感じながら読むことができる。

この意味でのアマチュアリズムは聖書理解と神学にも通じるのであろうと考えさせられた。ギリシャ語とヘブル語で聖書を学んで、神学を学んだことで、専門家に収まっているのではなく、逆に人に対する深い理解をいただくことである。むしろ人間に対する深い理解の上に聖書を解き明かしていくことである。アウグスティヌスの『告白』はまさにそうである。カルヴァンが『キリスト教綱要』の初めで言ってる、神を知る知識と自分を知る知識の一致である。

福音派の神学校もそれなりの歴史を持ってきて、科目としての聖書と神学の教授ができるようになった。その反面、聖書の専門家とそうでない人という区別ができてきた。自分たちの聖書理解とその方法を絶対化してきた。現実には人間に対する理解を欠いてしまった。フーストン師が指導してきたリジェント・カレッジはだれにでも開かれた神学校である。教授も学生もともに人間に対する理解を深めていく神学の姿勢である。それは取りも直さず自分を知ることの神学である。

 

上沼昌雄記