「教会ストライキ・解除」2007年6月26日(火)

ウイークリー瞑想 

2005年9月5日付で「教会ストライキ」という記事を書いています。過激なタイトルを掲げたことを気になっていました。記事を書いたときは、当時の牧師のことで自主的に教会に行くことを拒否した人たちが起こる状況のなかで、最終的にその牧師が辞表を提出して収まりかけてきたときでした。私たちは妻の闘病のことで、妻の両親のロス郊外の家に移っていましたので、「教会ストライキ」に賛同したかたちで記事を書きました。いつか正式にストライキ解除を宣言しなければと思っていました。

6月初めにロス郊外を引き払って北カリフォルニアの家に帰ってきました。一昨日妻とともに2年4ヶ月ぶりにフォレストヒルの山の教会に出席しました。18年前に家族でアメリカに移り住んでから出席していた教会です。ミニストリーの発足のために後押しをしてくれた教会です。その当時からの人が数人残っています。この2年4ヶ月の間で天に召された人が数名います。行きの車のなかでその人たちの名前を妻とともに挙げてみました。いまの家を自分で建てているときに助けに来てくれた人も含まれています。

礼拝出席は日本の平均的な教会といわれるほどの数です。静かに礼拝をささげ、会堂を守っています。前の牧師の時の傷は残っていますが、礼拝を守ることで教会のあり方を示しています。この数年結構な牧師が来て、去っていきました。牧師が来るたびにその牧師の意向で動かされます。自分の聖書観、教会観を押しつけてきます。それが聖書の教えと言って、強制してきます。そのようにならないと言って信徒を責めて牧師は去っていきます。そういう状況を何度も経験している人たちが静かに礼拝を守っているのです。

前の牧師の時にはある種の邪悪さを感じました。教会のほとんどの人はそれに気づきました。しかし18年前にその地に移り住んでから親しくしていた友人がその牧師を支持するかたちになったために、難しい状況になりました。幸いに最後に気づいてくれたので、牧師もそれ以上留まることができなくなりました。残念ですが友人夫婦も教会を変えることになりました。

教会は少なくとも牧師のものではありません。むしろ信徒のものです。信徒が生きているときに教会が生きてきます。そうすることで、かしらであるキリストがほめたたえられます。何千人と集まっているチャック・スミスの教会は生き生きとしています。聖書の豊かさ、広さが伝わっています。愛の深さを感じます。規模は全く違いながら、静かに礼拝を守っている人たちの無言の愛を感じます。それが当然のようにミニストリーを支えてくれます。しばらくぶりに帰ってきたと言って、礼拝のなかで報告をさせていただきました。どのようなことがあっても礼拝の民として歩んでいる人たちのもとに帰ってくることができたことを実感しました。

礼拝の帰りに、95歳で寝たきりの兄弟を訪問しました。2年4ヶ月前にはまだ元気で礼拝に出席していました。奥様も看病で大変お疲れのようでしたが、最愛の夫を世話することで喜びに溢れています。この兄弟は日本軍の真珠湾攻撃を聞いて、海兵隊に志願をして、タラワ島で日本軍と闘って来た人です。その時の勇敢な行為のゆえに当時のニミッツ将軍から勲章をいただいています。義樹がいま海兵隊に所属していることもあって不思議な結びつきをいただいています。寝たきりですが、私たちの語りかけることにしっかりと反応をしてくれました。

主のもとに帰る聖徒ともに礼拝の後のしばらくの時を過ごすことができました。栄光の重みのなかに佇むことができました。時が停止して天の門が開かれているような光景のなかに置かれました。そんな日だまりのような光景をあとにして帰途につきました。さわやかな「教会ストライキ」解除宣言となりました。

 

上沼昌雄記

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