「コスモスーいのちの継承」2007年10月24日(水)

ウイークリー瞑想

    10月初めに日本に入って、そのまま山形に来ました。友人の牧師ご夫妻が最初のベースキャンプとして快く引き受けてくれました。山形で奉仕を許され、その週は故郷の前橋を経由して大阪堺に伺いました。唄野道場として長年お世話になってきました。10代の若い人が前列のテーブルを囲み、年輩の人たちがその回りに二重に取り囲む、見事な世代継承の祈祷会で話ができました。

その週末に秋田に入りました。途中の山並みはすでに紅葉が始まっているかと思いながら来ましたが、そんな気配はありませんでした。秋田の秘境に連れて行ってくれました。夏の暑さがまだ残っていました。渓谷の脇から温水が煙を出しているのですが、何か神が地下で怒っているような感じでした。秋田で礼拝、十文字で伝道隊セミナー、牧師セミナーの奉仕が許されました。

その週は酒田での祈祷会の奉仕をしました。広々とした庄内平野で懸命に励んでいる信仰の友に励まされました。酒田から新潟、東京、名古屋経由で岐阜の友人の牧師の黙想の家に辿り着きました。友人の義弟が多治見で陶器師として活躍をされていて、その工房を見せていただきました。土の肌を感じる素朴な陶器なのですが、大地に引き寄せられる力を感じます。黒織部焼きのコーヒーカップをくださり、機会ある事に使っています。

山形のブックカフェで、懇談会ということで話をさせていただきました。そして盛岡に入りました。ウイークリー瞑想にいつも返信してくださる牧師と、昨日会ったばかりのような感じで会話をしました。礼拝の後に、教会の方たちを含めて小岩井農場の近くの温泉に行きました。そこでようやく始まったばかりの紅葉を眺めることができました。この牧師と、教会員でKGKの時からの友人と露天風呂で話をしながら1時間浸かっていました。疲れが湯のなかに溶けてしまった感じです。

盛岡を朝出て、昼に成田で、ソウルに10日間行っていた次女の泉と合流しました。そのまま京都まで来ました。ホテルで一息して、10数年来の友人のご家族と大阪で一緒になりました。息子さんとお嬢さんが泉と英語で楽しそうに話していました。

昨日は一日市内バスのパスを手に入れて、泉とふたりで、金閣寺、竜安寺、祇園、清水寺、東寺を歩き回りました。高校の修学旅行で来たきりでした。天気もよく、歩き回りながら心地よい汗をかきました。どこの寺にもモミジがあるのですが、まだ青々としていました。金閣寺と清水寺では人の間をかき分けるようでした。

京都をあとにして、泉とふたりで山形に向かいました。福島からの板谷峠の頂は紅葉が始まっていました。濃い緑の山並みに夕陽に映えているうす赤色の木々が私たちを迎えてくれました。それでも山形に入るとまだシーズンではありません。泉は昨年ネパールでお世話になったご夫妻との再会を果たしました。

東北と関西方面を行ったり来たりしながら、紅葉のことを気にしながら、車窓から、道ばたや、畑の端や、家の外れに咲いているコスモスを探して、楽しんでいます。どこででもコスモスを見ることができます。紅葉は北から南下してシーズンがありますが、コスモスは結構な期間咲いています。遠くからコスモスを見ながら、コスモスに惹かれる自分の心を考えているのですが、岐阜の友人宅に伺って、庭の外れに咲いているコスモスと対面することになりました。遠くから眺めていた人にようやく会えたたような感じです。

風に吹かれながら自由に咲いているコスモスの下は枯れススキのようです。「秋桜」と言われているように、暮れゆく秋を示しています。その上に咲いているコスモスは絶えず新しい芽が出てきて秋の終わりまで咲き続けていると、友人の奥様が教えてくれました。確かに地面を見ると散り落ちた花びらが寂しそうに横たわっていました。それでも次に咲きでている花にいのちのバトンを渡した満足感を讃えているようでした。

コスモス畑、コスモスロードというのがあるようですが、コスモスは道ばたや、畑の外れや、民家の外れに一見寂しそうに咲いているのが趣があります。誰にも見られなくても、風に吹かれている姿に自由を感じます。今まで遠くから眺めて楽しんでいたのですが、そんなコスモスが、清々しそうな花びらの下は枯れススキのようでありながら、いのちの継承をしっかりと果たしている姿に、新しい感動を覚えています。

 

上沼昌雄記  

 

追記:長男に今日女の赤ちゃんが与えられたと連絡をいただきました。2番目の孫になります。

「故郷、広瀬川」2007年10月10日(水)

ウイークリー瞑想

しばらくぶりで故郷前橋で二晩を過ごしました。月曜の夕刻に前橋駅に降り着きました。この4月にもお伺いした群馬大学の教育学部の教授であられた小泉一太郎氏が出迎えてくださり、奥様のおいしい手料理をいただきながらしばしお話しをさせていただきました。前回の折にはご自分の専門のオックスフォド大学史に関する本を出されたあとでした。古典に精通しているオックスフォド大学の教授たちの人間観察の鋭さがC.S.ルイスの『ナルニア国物語』を生み出しているというご意見を伺いました。それに基づいて「神学のアマチュアリズム」という文章を書きました。

今回はそもそも小泉さんと知り合うことになった大村晴雄先生のゼミのことから、大村先生の精神の話になりました。96歳になられ、ご家族との関係で老人ホームに入られるという話を聞き手いました。私は、大学で哲学科に属していた時に、KGKを通して当時都立大学の哲学科の教授をされていた大村先生と知り合いになりました。全くの若造の話を親身に受け止めてくれました。

神学校に入って東京にいる時に、大村先生のゼミに参加させていただきました。そこで小泉さんと知り合うことになりました。教育大で修士を終えれれ、都立大で哲学で修士を専攻されていました。ゼミのあとよくお茶を飲みながら話をしました。今回もその続きをしているような思いになりました。最近大村先生のお弟子さんたちが集まった時に、大村先生はご自身がクリスチャンホームに生まれて、哲学を専攻されていても、信仰のことと哲学のことで悩んだことは一度もなかったという話を伝えてくれました。そのエピソードで、自分が高校生の時に信仰を持ち、大学で哲学を専攻し、神学をしてきて、今に至っているすべての行程がまとめられたように思いました。

昨日の午前は姉にお願いして小さい時からのアルバムを出してもらいました。高校生の時に信仰を導いてくれた宣教師、最初に行った前橋の教会での写真が出てきました。あるものを持って帰ることにしました。以前はそんな写真は見たくないという思いがありました。今回は不思議に過去を持ち帰ることにしました。

昼に友人の大間々の教会の高木寛牧師と、回転寿司で日本を味わいながら互いの心にあることを遠慮なしに語り合いました。メールでは「赤城の住人」と自称しています。赤城山が世界の中心で、神様の御わざの基点であるような確かさを持っています。世界に開かれた「赤城の住人」です。

その後一緒に前橋の教会の舟喜拓生牧師を訪ねました。奥様もご一緒で遠慮のない話になりました。舟喜拓生先生が80歳になられ、その80年前に福音伝道教団が始まったことを知りました。その途中で教団から独立することになりました。その経緯はなお不透明ななかにあるようです。私はお父様の隣一先生の最後ぐらいに洗礼を受けました。奥様のふみ先生が私の家にまで伝道に来てくださいました。あたかも故郷前橋での宣教の歴史の学び会になりました。

高校の時に信仰を持って、純粋な気持ちで軽井沢の沓掛学荘での修養会で夜寝ている時に、枕が飛んできました。それは舟喜拓生先生からでした。それ以来兄貴のような感じで交わりをいただいてきました。母が召される時にいち早く病室に駆けつけてくれました。父を信仰に導いてくれました。

高木先生が帰られて、さらにしばらくはまさに今のことを話すことになりました。過去を語ることで今が生きてきます。今だけでは淡いあぶくのようなものです。そのあぶくの奥深くに過去があるのです。過去は過去として生きているのではないのです。過去は今として生きているのです。今はまた過去を生きているのです。あたかもアブラハム、イサク、ヤコブの神が、今の私の神であるかのように生きているのです。

そんなこと思いながら教会をあとにして帰路につきました。街並みを通り越した向こうに家があるのですが、昔よく自転車で通った道を歩いて帰ることにしました。町のなかを水を豊かにたたえた広瀬川が流れています。高校生の時に嗅いだ川風の匂いがしてきました。

郷土の詩人、萩原朔太郎の詩誌が川並に立っていました。広瀬川に思いをぶつけて歌った詩です。高校生の時によく口ずさんだ詩です。立ち止まって何度か読んでみました。ライフを釣ろうともがいていた自分を思い起こしました。

        廣瀬川広く流れたたり

        時さればみな幻想は消えゆかん。

        われ生涯(ライフ)を釣らんと

        過去の日川邊に糸をたれしが

        ああかの幸福は遠きにすぎさり

        ちいさい魚は眼にもとまらず。

ライフを釣ったのか、ライフに釣られたのか、過去の日を思いながら川邊をあとにしました。

 

上沼昌雄記

「マザー・テレサの苦悩、なぜ?」2007年10月1日(月)

ウイークリー瞑想

1ヶ月前に「マザー・テレサ:信仰の暗夜」ということで、雑誌『タイム』の記事を紹介いたしました。記事のもとになっているマザー・テレサの書簡を中心とした本”Mother Teresa: Come Be My Light”を、今朝読み終えました。マザー・テレサの内面の戦いが明らかになりましたので、彼女の信仰と人となりの研究が進むことと思います。また、カトリックの霊性の深さを示しているのと同時に、福音派の霊性の方向を探求していくためにも大きな益になると思います。

読み終えて、一つのことが心に湧いてきます。あれほどのすばらしい働きをした、あるいはし続けたマザー・テレサが、その奉仕の期間、ほとんど半世紀近く、自分の心のなかで暗夜、孤独、絶望感、拒絶感に襲われていたことに、「なぜ?」という問いが湧き出てくることです。そして取りも直さず、マザー・テレサ自身が、「なぜ?」と問いかけているのです。

働きに召され、カルカッタの死にいく人たちのところに出ていくまでは、見事なまでにキリストとの一体感、神の召命の明確さを示しています。それが働きを始めて間もなく、どうにもならないほどの孤独感、絶望感、暗夜に襲われるのです。奉仕が祝され、世界中に知られ、ノーベル平和賞を受賞することがあっても、彼女の心は苦悩を続けているのです。

1959年に霊的指導者に宛てた手紙があります。「神父様、教えてください。どうしてなぜ、私の心のにはそれほどの痛みと暗やみがあるのでしょう。私はもう耐えられませんとしか言えません。でもそう言った途端、主よ、お許しください、ただみこころのままに我が身になりますように、と言っているのです。」

答えのない、慰めのない、ただ繰り返して出てくる「なぜ?」という問いかけを問いつつ、最も貧しい人たち、死にいく人たちのところに絶えることなく出ていきます。彼女に従う人々が増えていきます。カルカッタを越えて、世界中に広がっていきます。それでも彼女の心は満たされることがありません。ますます貧しく、惨めになります。出口のない闇のなかに彷徨います。

ただ一つのこと、あるいは二つのことがほのかな慰めとして届いてきたようです。それは、この世で最も貧しい人に届くために貧しくされていることと、キリストの貧しさを届けるために貧しくされているという自覚です。本のタイトルのCome Be My Lightは、キリストがマザー・テレサをこの働きに召される時に「私のところに来て、そして出ていって、私の光となりなさい」と言ったことばでした。マザー・テレサは、そうです、私の光ではなく、キリストの光を届けるために、私の心は闇に覆われているのですと受け止めていたようです。

というのは、頭のなかで、また論理的な結論としては納得できそうでも、心の現実はただ苦悩に襲われているのです。逃れることのできない心の闇に捉えられているのです。マザー・テレサの顔のしわの深さ、握りしめたごつごつとした手が、苦悩の厳しさを語っています。なぜ、神はご自身を隠されたのか。なぜ、神のための奉仕にそれほどまで苦しみがともなうのか。なぜ、マザー・テレサは苦しみなかでなお愛を持って死にいく人たちのところに出ていくことができたのか。なぜ、心が闇に覆われていてもそれでも祝福されるのか。なぜ? なぜ? なぜ?

ホロコーストを14歳の時に経験し、生き延びて、その経験を『夜』をいう本でまとめて、同じようにノーベル平和賞をいただいたエリ・ヴィーゼルも、その本の初めで修道僧との会話で、ただ「なぜ?」という問いかけしか出せないと言っています。

聖書のなかでも「なぜ?」という問いかけがあちこちにちりばめられています。またそのような問いかけが響いてくる場面が多くあります。私たちの心のどこかにもあります。神を信じていてもどこかに「なぜ?」という問いかけがなくなりません。絶えることなくあります。生涯問い続けています。

「なぜ?」という問いは、ただ不思議に、私たちを神により近づけてくれているようです。

 

上沼昌雄記