「北の大地と大きな空」2007年11月12日(月)

ウイークリー瞑想

札幌での奉仕を終えて帰途について函館まで来ています。青森での大雨のために列車が運休しています。見通しが立たないまま函館の駅の2階のコーナーで、この一週間の歩を振り返っています。北海道らしい旅を許されたことを思い起こしています。

今回は導きをいただいて釧路にまで伺うことができました。初めての訪問です。迎えてくださった先生にお願いして、市内を一望できる展望台に連れて行っていただきました。うしろに大きな太平洋を背負いながら、そこに流れ込んでいる釧路川が遠く阿寒岳まで延びています。その間に有名な釧路湿原があるということです。広々とした原野を覆うように大空がゆったりと漂っています。両手を広げてどっしりと構えている大きな人のようです。

近くにハリストス正教会があるというので先生の紹介で立ち寄りました。司祭の方が親切に説明をしてくださいました。ロシア正教会を訪ねたのは初めてです。イコンに飾られた聖壇の向こうには入ることができません。礼拝は立ったままで行うと言うことです。どことなくロシアの歴史の重み、苦難の重みを感じさせます。そのような交わりが釧路では当然なのですよという先生が、多少うらやましくなりました。

その夜は10名の祈祷会の参加者とみことばの瞑想のことを学び、実践をしました。翌日はまた先生の案内でバプテスト連盟の先生と、メノナイトの教会の先生を訪問することができました。教派の違った牧師同士の交わりが、かなり自由になされていることに驚異を覚えました。

釧路を紹介してくださった札幌のご夫妻と合流して、神秘的な摩周湖を眺め、温かみのある阿寒湖を訪ねました。人を寄せ付けない摩周湖、人と寄り添っている阿寒湖の対比が印象的でした。ところどころ雪をかぶっている晩秋の北海道のドライブを楽しみました。帰りに釧路湿原とタンチョウヅルの舞い踊る姿を見ることができました。原野をわが家のようにしているタンチョウヅルは、大空も大きな羽を広げて自分の庭のように飛び回っています。つがいや家族で優雅に飛び降りてきます。

学生の時にはお金もなく、見ることもなかった北海道の自然を味わうことができました。同時にそんな大きな自然のなかでの学生生活を求めて北海道まで来た時のことを思い出しています。人間の枠には入らない自然の大きさが好きです。釧路の大空を見ながら、ワイオミングで見た大空を思い起こしました。そんな空間に惹かれる自分を不思議に思います。

北の大地の大きな空が人の心にどのような影響を与えるのか、地理学者の研究のテーマです。少なくとも釧路での牧師同士の交わりは教派を簡単に越えています。札幌でも同じようなグループのなかでの交わりでありながら、多様性と豊かさがあります。一つのグループだけですとどうしても同心円内にまとまってしまって閉鎖的になるのですが、北海道ではどこかに広がりがあります。新しい風が吹き込んでくる窓が開いています。

教会のあり方について、神学のことについて、これしかないという人間の狭さを打ち破っています。聖書をどのような厳密に解釈するといってもどこかに人の枠が入ってきます。そんな思いを打ち破るものを北海道は持っています。新しい視点、新しい風を感じます。「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)

日本での伝道会議が北海道で計画されていると聞いています。日本の伝道に新しい風を吹き込んでいくことを期待できます。まだ見通しが立たないで函館に留められていて、北海道に期待を抱いています。とうとうもう一晩留められることになりました。

 

上沼昌雄記

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