「若さ」2008年1月4日(金)

ウイークリー瞑想 

    イクイッパー・カンファレンスは、大晦日の晩の「和解の努めを託されている者」へのメッセージ、聖餐式、派遣式、証会、そしてカントダウンをもって終わりました。子供連れの若い家族、お孫さんを含めての一大ファミリー、応援に駆けつけてくれた韓国の教会の長老さん、近隣の牧師、教職者、宣教師、日本から来てくださったビジネスマンと大学教授、そんな人たちに囲まれながら、はち切れんばかりの若者たちの力強い、しかし愛と慎みの霊で満ちた恵みの時となりました。  

    400名近い参加者の大半が若い人たちです。7割が新しい参加者と聞いています。シルバーの男性だけのスモールグループに入れられました。付いていけないといいながら皆喜んでいました。日本からの大学教授は奥様と共に、8回のイクイッパー・カンファレンスの皆勤者です。第1回目に招かれて以来、大切さを感じて万難を排して参加していると言うことです。女性のシルバーのスモールグループで、日本からの参加者で信仰を持ってくださった方います。若者中心の集会でも何かを感じ取ってくださいました。

    私は「祈り」のワークショップをさせていただきました。隠れた神との秘め事としての祈りの面を考えました。自分のなかのうめきとしての祈りです。何かを決定的に欠けていることから来るうめきです。その例として、15歳の少年が小さい時に自分を捨てて出て行ってしまった母親を捜しに家出をする話、村上春樹の『海辺のカフカ』を紹介しました。うめきの具体的な意味を分かってくれました。

15歳の少年のうめきは、その子を捨てなければならなかった親のうめきでもあります。その親のうめきが大学紛争、戦争から闇のように受け継いでいることを村上春樹は見事に描いています。そんな作品に世界中の人が共感しています。若い人たちも何かが欠けていることを知っています。物質的には満たされていても満たされない心を持っています。出来合いの社会、出来上がった教会の交わりでは満たされない心を抱えています。  

    若さはいのちです。とても傷つきやすいいのちです。喜びも悲しみもストレートに感じ取ります。真実も偽りも見過ごすことはありません。感じても見抜いても、どのように表現して良いのか分からないでいます。表現しても誤解されゆがめられてしまいます。それだけでなく押しつぶされてしまいます。 

    大学紛争の時のことを思い出します。『海辺のカフカ』で無為に命を落とした青年のことが書かれています。同世代の方がその傷をいまだに負っています。その傷がいまの世代に引き継がれています。その傷は、たとえ押しつぶされ、踏みにじられても、なお真実を捉えている傷です。真実を捉えているがゆえに押しつぶされるのです。「他者」を哲学のテーマとしているユダヤ人の哲学者レヴィナスが、1968年のパリの5月革命のことに触れて、「若さ」の傷つきやすさを真実の刷新の手がかりとみています。  

    若さは年齢ではありません。若さは心の柔和さであり、敏感さです。真実を純粋に捉えていく直截さです。それだけ傷を受けやすいのです。それで良いのです。変に大人ぼっていくこと必要はないのです。若さは「鷲のように」(詩篇103:5、イザヤ書40:31)飛び跳ねていったらよいのです。邪魔にならないように若者たちの中にいて、カントダウンに向かって飛び跳ねながら賛美をし、神を思いきってほめたたえる姿に接し、次世代の日本の宣教と教会を期待することができます。

 上沼昌雄記

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