「新しい旅の続き」2008年3月25日(火)

 昨日妻の妹の新車で、3時間半ほど北にある町に3人で行ってきまし
た。トヨタの5段変速のマトリックスを運転させてくれるというので、
それではその町にいるかつての牧師を訪ねて行こうということで、イー
スター休みを利用して行ってきました。特にドライブに興味があるわけ
でないのですが、スポーティな5段変速を、新緑に映え、淡いピンクの
花を咲かせている木々の間を快適に運転することができました。

 この牧師は、私たち家族が19年前に移り住んだフォレストヒルとい
う町の教会の牧師でした。ミニストリーを始めるときに助けてくれまし
た。12年前にいまの町の教会に移りました。ヴィリッジ・ミッション
という田舎だけを伝道している団体に属しています。いまの教会も小さ
な村で、その教会しかないと言うところです。そういうアメリカの村の
人々の現状も聞きました。3年ほど前に大きな山火事があって、教会は
延焼を免れました。

 この牧師は高校生の時から知り合っていた奥様を2年前にガンで亡く
されました。私たちより5才ほど上です。ひとりで牧会をされていて、
どのようになるのだろうかと心配していました。そんなさびしさも難し
さも隠さないで話してくれました。最近再婚をされたというので、どの
ような人なのだろうかと思って興味を持ってでかけました。ドライブは
そのための理由付けしでした。

 この牧師は自分の卒業した神学校の同窓会誌を見ていて、ひとりの同
窓生の女性が近くの街に住んでいて、しかも未亡人であると言うこと
で、手紙を書いたと言うのです。それから交際が始まって「あわよ」と
いう間に、6ヶ月も経たないうちに自分の教会で結婚式を挙げました。
青二才の青年のようだと冷やかされたり、娘の旦那からもっと時間をか
けるように忠告を受けたりと、そんな隠れ話をうれしそうに話してくれ
ました。新郎新婦ともカーボーイ・ハットとカーボーイ・ブーツで式を
しました。さすがヴィリッジ・ミッションの牧師だと思いました。

 話が弾んで6時間話していました。私は聞きながら、この牧師も今月
中には引退をするという歳でありながら、新しい人生を始めていこうと
いう精神は、やはりアメリカ的な自由さと独立精神がなせることなのか
なと考えていました。しかし、そういう文化的なことで解決したくない
と思いました。許されているこの地上の人生を神からの賜物として最大
限に有効に生きることができるのだと思いました。

 それ以上に、この新しい牧師夫婦はまだ人生の旅が終わっていないこ
とを、身をもって語っているように感じました。終わっていないと言う
か、もともと終わりがなく、いつでも途上にすぎないことを示している
のです。やはり約束のものをはるかに望み見て歩んでいる、それでいて
楽しんで歩んでいる旅人であり寄留者であることが分かります。一つの
旅が終わって、次の旅を始めているのです。新しい旅の続きをしっかり
と始めているのです。

 2月に秋田大学医学部の耳鼻科長の石川医師が来てくれました。妻の
病気のことでもいろいろ心配をしてくれました。あたかも検診に来てく
れたかのようです。秋田に戻られてから、是非秋田に来てくださいと
誘ってくれました。今回の5月半ばからの日本での奉仕を妻と一緒に出
かけることを考えています。3年近い闘病の後完全ではないのですが、
守られているので一緒に出かけることを計画しています。特別に調合し
ていただいている栄養剤、ビタミン剤等があるので、セキュリティーや
税関の通過のための手続きや手配などいくつかクリアしないといけない
点があります。そんな障害も取り除かれて、健康も支えられて、19年
ぶりになりますが妻の日本行きが実現できればと願っています。

 19年前に家族でアメリカに移り住んだのは大きな旅でした。その間
子供たちも成長し、家族を持ち、仕事に励んでいます。いまは妻とふた
りだけになりました。今回の日本行きは、そんな旅の続きを再度始める
ような感じです。まだ終わっていないのです。続きがあるのです。続き
と言ってもいままでの延長ではないのです。いままでにない続きです。
新しい旅の続きです。それで期待できるのです。

上沼昌雄記

「墓」2008年3月19日(水)

 今の仕事場の窓の向こうに、町の墓地が見えます。傾斜地にあるので
2階の窓から、こちらに向いている墓地の様子を窺えます。私のいる
コーナーのついたての向こうに窓があって、背伸びをするとそのまま見
えます。冬の雨の後で、墓地の芝生が緑で映えています。イースターを
前に、墓地のあちこちで花が飾られています。天気も良く散歩日和なの
で、昼休みに墓地まで歩いてきました。同じように散歩している方に出
会いました。

 この墓地は新しいもので、古いものがこの建物の反対側にあります。
まだ空いている敷地があちこちにあります。5年前に義樹がイラク戦争
で前線に出兵することになったときに、ルイーズとふたりで、いま私た
ちが住んでいる町の墓地に見に行き、その時点で三つの敷地を購入する
ことを考えました。そのままで終わりました。またルイーズの体調が思
わしくなかったときに、ロス郊外の墓地に自分たちのものをと思って探
しに行ったこともあります。それもそのままに終わりました。そんなこ
とを思い出しながら墓地のなかを歩きました。

 歩きながら墓地のもっている力のようなものを感じました。不思議に
惹かれる力です。何かを思い出させる力です。何だろうと思っていたと
きに、それは墓地のもっている記憶の力のように思わされてきました。
黙っていて何かを思い出させるのです。墓地は記憶の墓地なのかも知れ
ません。また、それ以上に記憶の発信地なのかも知れません。

 亡くなった方はその墓地に葬られて、そこに閉じこめられているので
すが、その方の記憶は閉じこめられていないのです。普段は全く忘れら
れていても、墓地は語り、そこにある墓碑が語っているのです。芝生に
埋め込まれている墓碑を注意してみると、第二次世界大戦に参戦した方
のものもあります。当然その町の出身の戦没者の祈念碑があります。ま
だ若い方の墓地もあります。十代の子どもの墓もあります。殉教した若
い警察官の墓もあります。どのような歩みをされたのか知るよしもない
のですが、確かに何かを語っているのです。

 そんな墓碑を眺めながら、いずれ自分もどこかに葬られることを思い
ます。葬られて誰かがその回りを同じように散歩をしているのです。墓
地が自分に語りかけ、自分の行き先を示しているのです。墓地の持つ記
憶のもうひとつの面です。自分だけが墓地に関係がないという幻想を打
ち破る力です。仕事場から見えるこの墓地の向こう側は遠くまで景色が
見えるなだらかな傾斜地です。こんなところに葬られたら気持ちがいい
のだろうと想像しています。どこに葬られるのかいまの時点では分かり
ません。ただ、その時が来るのは確かです。

 一回りをして帰り道に向かっているときに、その記憶の墓地は、記憶
が閉じこめられていないように、いずれ開かれるときがあることを思い
だしてくれます。しっかりと閉じこめられていた墓がかつて確かに開か
れたときがあったのです。石が墓から取りのけられて、葬られたはずの
方がどこにも見えなかったのです。葬られたときの亜麻布だけが残って
いました。そんなこの時間と空間のなかで起こったことをしっかりと思
い出させてくれます。ずっと前に、自分が生まれるはるか前に、全く異
なった地で、行ったこともない地で起こったことを思い起こしてくれま
す。

 いまは緑が一番多いときです。道端には水仙が咲き、岩地にはカリ
フォルニア・パピーが咲き出しています。気持ちの良い風が流れていま
す。いつも乾燥しているこの地が生き返っています。イエスが十字架上
で息を引き取られたときに、神殿の幕がふたつに裂かれ、地が揺れ動き
そこで起こったことを思い出します。「また、墓が開いて、眠っていた
多くの聖徒たちのからだが生き返った。」(マタイ27:52)

 散歩を終えて仕事場に戻ってきました。そうしてもう一度窓から墓地
を眺めました。墓地は不思議な記憶を発信しています。墓地のなかに留
まっていないので、また閉じこめられていないので、記憶は語っている
のです。

上沼昌雄記

「マック、Mac、まっく」2008年3月3日(月)

ウイークリー瞑想

 新しい仕事場にマックのiBookを持ってきて仕事をしているこ
とを3週間前に書きました。マックのメモリーの販売を手広くされてい
る猪川紀夫さんという方がすぐに返事を下さいました。以前カンザス州
に住まわれていたときに、シカゴの中村佐知さんを通して私のウイーク
リー瞑想のことを知り、やり取りをしたことがあります。マックのこと
でしたら何でもお役に立ちますと言うことで、英語版のワードでの不備
をお尋ねしました。それは日本語版でないと解決されないでしょうねと
言うことでした。

 今回私のiBookのバージョンを尋ねてこられ、それでは新しい
マック用のワードが使用できるので、すでに購入してきましたので送り
ますと連絡をいただきました。日本から国際便で届けて下さいました。
日本語版のMac OSXが必要だと書いてありましたので、こちらで
購入したマックでも大丈夫ですかとメールで確認して、正直恐る恐るイ
ンストールしました。コンピュータには全く時代遅れな者には、新しい
ものを入れたら何が起こるのか、起こったらどうしたらよいのかという
恐れに近いものがあります。大丈夫という返事をいただき、無事にイン
ストールができました。今までのワードの画面は英語でしたが、今度は
全く日本語です。以前の不備は解消しています。この文章は最初の作業
です。

 猪川さんのメールの最後には署名としてメッセージが付いています。
「神様が祝福し、素敵なマックな水曜日となりますよう、イエス・キリ
ストの御名によってお祈り致します! マックメム
(www.macmem.com)店長マックへの愛のお届け人**** スピードは愛
です。****猪川紀夫(イカワノリオ)」注意して読むとその曜日は
その日に会わせて、「すてきなマックな週末となりますよう」とか「す
てきなマックな一週間となりますよう」となります。

 そんなキリストの愛とマックの愛にとりつかれて仕事している猪川さ
んに、私の仕事場は全員PCで仕事をしていて、マックを開けてい
るのは私だけですが秘かに誇りにしているのですと書きましたら、返事
をくれました。「Macを使っているクリスチャンの方、大歓迎で
す。誇りに思うというのがうれしいです。私の個人的な思いなのです
が、クリスチャンとマックって似ているなと感じることがあります。と
もにシンプルで真理は単純だということ。そして、人はそういうシンプ
ルなことを受け入れないで、どうもあえて難しいこと受け入れて苦労す
るというようなことです。、、、なぜなんですかね、不思議です。」

 猪川さんに合わせてその通りと言いたいのですが、そんなことを言っ
たらPCを使われている方から、もうウイークリー瞑想は読まない
と言われそうです。でもそんなことは言わないでください。ずっとマッ
クを使っているので比較の仕様がないのです。ただあることで納得した
のです。

 最初の本『夫たちよ、妻の話を聞こう』を2003年に出すことがで
きました。その前に全く不思議な関わりで村上春樹の本を読むようにな
りました。そのことがなければ読むことにはならなかっただろうと思う
出来事でした。平易な文章のようなのですが、それでいて微妙な世界を
表現し、言いたいことをしっかりと伝えているのです。読んでいるうち
に、このような書き方であったら自分も書けるかも知れないと、全く不
遜なのですが、そのように思って最初の本を書き出したのです。

 その村上春樹があるところで、自分はマックでしか小説を書かないと
いうようなことを言っているのです。いまその文章が手元にないので確
認できませんが、彼なりにその理由を説明しています。マックの持つ優
しさ、柔軟さと小説家としての感性が合っているようなことを言ってい
たように思います。思いがあってそれが言葉になってきたときに、そん
な思いをそのままマックが受け止めてくれ、文章にできるような感じで
す。PCを使われている方にはそれはPCでも同じだと言われ
そうですが、ともかく村上春樹の言っていることに納得したのです。

 確かに、マックには思いをそのままぶつけることができるところがあ
ります。思いが定まらなくてもそのまま受け止めてくれます。何度も書
き直し、入れ替えても文句を言いません。マックの頭が少し疲れてきて
回らなくなると、もう一度やり直してくださいと言って、やり直すと新
鮮になって戻ってくれます。こちらが納得するまで推敲を許してくれま
す。もういい加減にしろと言うような催促がないのです。許容性、可能
性の全てを提供していてくれます。それでいてスマートです。日本に
も、どこにでも持っていきます。仲のよいコンパニオンです。見せびら
かせることのできる代物です。

 猪川さんがマックに惹かれ、キリストの愛を持って仕事をされている
ことが分かります。別のルートから日本で評判になっていると聞きまし
た。納得できます。キリストへの愛とマックへの愛がうまくブレンドし
てビジネスに生きているのです。その香りが多くの人に届いているので
す。

上沼昌雄記