「墓」2008年3月19日(水)

 今の仕事場の窓の向こうに、町の墓地が見えます。傾斜地にあるので
2階の窓から、こちらに向いている墓地の様子を窺えます。私のいる
コーナーのついたての向こうに窓があって、背伸びをするとそのまま見
えます。冬の雨の後で、墓地の芝生が緑で映えています。イースターを
前に、墓地のあちこちで花が飾られています。天気も良く散歩日和なの
で、昼休みに墓地まで歩いてきました。同じように散歩している方に出
会いました。

 この墓地は新しいもので、古いものがこの建物の反対側にあります。
まだ空いている敷地があちこちにあります。5年前に義樹がイラク戦争
で前線に出兵することになったときに、ルイーズとふたりで、いま私た
ちが住んでいる町の墓地に見に行き、その時点で三つの敷地を購入する
ことを考えました。そのままで終わりました。またルイーズの体調が思
わしくなかったときに、ロス郊外の墓地に自分たちのものをと思って探
しに行ったこともあります。それもそのままに終わりました。そんなこ
とを思い出しながら墓地のなかを歩きました。

 歩きながら墓地のもっている力のようなものを感じました。不思議に
惹かれる力です。何かを思い出させる力です。何だろうと思っていたと
きに、それは墓地のもっている記憶の力のように思わされてきました。
黙っていて何かを思い出させるのです。墓地は記憶の墓地なのかも知れ
ません。また、それ以上に記憶の発信地なのかも知れません。

 亡くなった方はその墓地に葬られて、そこに閉じこめられているので
すが、その方の記憶は閉じこめられていないのです。普段は全く忘れら
れていても、墓地は語り、そこにある墓碑が語っているのです。芝生に
埋め込まれている墓碑を注意してみると、第二次世界大戦に参戦した方
のものもあります。当然その町の出身の戦没者の祈念碑があります。ま
だ若い方の墓地もあります。十代の子どもの墓もあります。殉教した若
い警察官の墓もあります。どのような歩みをされたのか知るよしもない
のですが、確かに何かを語っているのです。

 そんな墓碑を眺めながら、いずれ自分もどこかに葬られることを思い
ます。葬られて誰かがその回りを同じように散歩をしているのです。墓
地が自分に語りかけ、自分の行き先を示しているのです。墓地の持つ記
憶のもうひとつの面です。自分だけが墓地に関係がないという幻想を打
ち破る力です。仕事場から見えるこの墓地の向こう側は遠くまで景色が
見えるなだらかな傾斜地です。こんなところに葬られたら気持ちがいい
のだろうと想像しています。どこに葬られるのかいまの時点では分かり
ません。ただ、その時が来るのは確かです。

 一回りをして帰り道に向かっているときに、その記憶の墓地は、記憶
が閉じこめられていないように、いずれ開かれるときがあることを思い
だしてくれます。しっかりと閉じこめられていた墓がかつて確かに開か
れたときがあったのです。石が墓から取りのけられて、葬られたはずの
方がどこにも見えなかったのです。葬られたときの亜麻布だけが残って
いました。そんなこの時間と空間のなかで起こったことをしっかりと思
い出させてくれます。ずっと前に、自分が生まれるはるか前に、全く異
なった地で、行ったこともない地で起こったことを思い起こしてくれま
す。

 いまは緑が一番多いときです。道端には水仙が咲き、岩地にはカリ
フォルニア・パピーが咲き出しています。気持ちの良い風が流れていま
す。いつも乾燥しているこの地が生き返っています。イエスが十字架上
で息を引き取られたときに、神殿の幕がふたつに裂かれ、地が揺れ動き
そこで起こったことを思い出します。「また、墓が開いて、眠っていた
多くの聖徒たちのからだが生き返った。」(マタイ27:52)

 散歩を終えて仕事場に戻ってきました。そうしてもう一度窓から墓地
を眺めました。墓地は不思議な記憶を発信しています。墓地のなかに留
まっていないので、また閉じこめられていないので、記憶は語っている
のです。

上沼昌雄記

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