「父たち、男たち」2008年6月10日(火)

ウイークリー瞑想

 今まで阿武山、秋田、立川、国分寺の4回の礼拝の奉仕にそれぞれ男
性集会をセットにしてくださいました。そして最後の山形でも男性集会
が予定されています。全員男性だけの牧師セミナーも2回いただきまし
た。何人かの男性にインタビューもすることができました。「父親」の
ことをテーマに取り上げてきました。そしてまさに「父の日」を迎えよ
うとしています。

 「父たちよ、あなたがたは子供たちをおこらせてはいけません」と
言っていることばをパウロの個人的な告白としてみたときに、誰にでも
当てはまることだと分かります。アブシャロムも父ダビデに感じたこと
です。アベルとカインも父アダムに感じたかも知れません。父の咎は3
代から4代に及ぶと十戒で言われています。それでこのみことばが子と
して、父としてどのように自分に当てはまるのか分かち合いました。父
親のことを書いている小説家としてカフカの『父への手紙』とポール・
オースターの『孤独の発明』も紹介しました。

 普段ほとんど話すことのない父親のことを、また父としての苦悩を語
ることになりました。当然私自身ことを語らなければなりません。誰も
が、牧師でも、歳をとっていても、若くても、信仰が長くても父親のこ
とが深い闇のように男性の心を覆っています。駄目な父親に対して、良
い父親でもそれが重荷になったりして、またクリスチャンの父親でも聖
書を盾に責め立てたりして、思いがけないかたちで父親への怒りをじっ
と抱えています。

 思い出したくもない父、近づくのもいやだった父、軽蔑したくなる
父、個性の強い母親からの溺愛を許した父、母の気性で左右されていた
家族でありながら何もしない父、優しすぎて良すぎて乗り越えられない
父、自分の人生がなくて子供たちにただ寄りかかっていた父、アル中で
あった父、牧師であっても家を顧みない父、表の顔では見えない男性た
ちの裏を見せられました。そんな父親への嫌悪感を持っていながらどこ
かで同じことを繰り返している自分にも恐れを感じます。

 さらに、自営業で家にいることが多かった父の母への思いやりを感じ
ながら育った話し、厳格なクリスチャンの父親に反発してこれで親子の
縁を切らないとやっていけないと思ったときに、「わが罪をお許し下さ
い」と祈った父の祈りを聞いて立ち直った話し、自分が9歳の時に下に
3人の弟たちを残して、牧師の父が山に祈りに行ってそのまま召され、
自分も今牧師をしている話し、養子に出されていながら兄を通して実の
父このことを聞いていた牧師の話し、不思議に回復の望みを与えてくれ
る話を聞くことにもなりました。

 そんな分かち合いのなかで、年配の方のお父様が大正時代に岸田劉生
と同人で、武者小路実篤とも親交のあった画家で、ギリシャ正教会の信
仰を持っていて、最近その絵が発見されて展示会を開いていることを聞
くことになりました。時間を見つけて渋谷の松濤美術館に「河野通勢
展」を観に行くことができました。大正時代、すなわち20世紀の初め
に日本で聖画を描いていた人がいたことを知ることになりました。

 父親のことは男性にとって隠れたことです。話すことがないという意
味でも隠れていますし、話したくない、話せないという意味では隠れた
闇になっています。表の自分はそれなりにいい顔をしていても、裏の自
分は父親ののろいに付きまとわれています。少しでも話すことで解き放
たれていきます。他の男性の話を聞くことで納得をします。そんな分か
ち合いは、能面のような男性の顔に明暗をはっきりとしてくれます。人
生に厚みを与えてくれます。

上沼昌雄記

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