「さくらんぼ」2008年6月16日(月)

ウイークリー瞑想
 3週間ほど前に、お世話になっていた秋田から山形に移動しました。
最初に日本に着いて秋田の自然と豊かな交わりの中で、身体の調整と心
の備えをいただくことができました。それ以来、潤いのある自然に励ま
されてきました。秋田から新庄までは各駅停車の旅をしました。そして
新庄から山形の村山市に近づくに従って、ビニールをかぶっているさく
らんぼの木が見えてきました。熟して食べられるまでにはまだ数週間が
かかりそうでした。

 お世話になっている方の2階からビニールをかぶったさくらんぼの木
が、屋根だけ付いた温室のようにあちこちに並んでいるのが見えます。
さくらんぼの木は5,6メートルありますから、2階建ての温室が立ち
並んでいる感じです。あるものは山並みに沿って張っています。水を
張った平地の水田とビニールをかぶった2階建てのさくらんぼの家がコ
ントラスをなしています。さくらんぼは雨に当たると割れてしまうの
で、守るためにビニールを張っています。大変な作業をしておいしいさ
くらんぼを育てているのです。

 そんな景色を眺めながら、いつ食べられるのだろうかとお世話になっ
ている方と話しました。この敷地にも何本かのさくらんぼの木がなって
います。2回の週末に東京に出て奉仕をしました。都内では気温も上
がってきて初夏を思わされました。2回目はふたりで出かけて、奉仕と
同時に知り合いの方々と会うことができました。また宣教師の子どもと
して最初に過ごした軽井沢にも行って、懐かしいところを歩くことがで
きました。

 山形に戻ってきたら、さくらんぼがはっきりと赤みを帯びてきていま
した。出荷するには早すぎるのでしょうが、敷地から取ったものをいた
だきました。まだすっぱみがあったのですが、久しぶりのさくらんぼの
味を楽しむことができました。日ごとにそのすっぱみがなくなってきて
甘みが増してきました。食事毎に出てくるようになりました。日本を発
つ前に食べられました。

 最上川沿いのさくらんぼの産地、そんななかにあるこのお宅の窓から
山並みが幾重にも重なって見えます。最初の山並みの向こうからかっこ
うの声が遠慮がちに聞こえてきます。静寂に反響しながら届いてきま
す。近くの林からトンビが旋回しながら飛んできます。あたかもこの地
域を守っているかのようです。すぐ目の前には桃畑もあります。スイカ
も近くで栽培されています。さくらんぼは日ごとに赤みを帯びてきてい
ます。果物大国です。

 さくらんぼは不思議に飽きません。花柄から小さな粒を口に入れたと
きの食感もしっかりしていて気持ちが良いです。甘みも口に残らないで
小さな粒の中に溜まっている水分と一緒に胃のなかにすっきりと溶け込
んでいきます。一粒ごとに味が完結しています。それでいて一粒ごとに
微妙に味が違います。それでまた食べたくなります。癖になって止めら
れないというのではなく、その都度新鮮な感覚でいただけるので、止め
られないのです。

 それは、あたかもみことばがその都度心に届いてきて、心の深くに留
まり、またそれを慕い求めるかのようです。飽きることなく、新しいい
のちに生かされているかのようです。確かにみことばに飽きてしまうよ
うなときもあります。しかし一度心の深くに溶け込んでいくと、飽きる
ことなくいただけます。みことばがその都度新鮮な感覚で届いてきます。

上沼昌雄記

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