「観想カルメル会女子修道院・訪問記」2008年7月28日(月)

神学モノローグ:番外編・つづき

 ユダヤ人女性哲学者で後にカルメル会修道院に入り、そのままアウ
シュビッツの煙となったエディット・シュタインのことを書いた。遺稿
が十字架の聖ヨハネについての研究であった。それでまた十字架の聖ヨ
ハネの書物を確認することになった。『暗夜』というタイトルの本があ
る。その後に『霊の賛歌』という本が続いている。神の栄光の賛歌に至
ためにどうしても通らないといけない暗夜のテーマである。

 十字架の聖ヨハネは、アビラのテレサとともに、16世紀にカルメル
会修道院の改革を試みた。時代的に明らかに宗教改革に刺激されてい
る。読む本がカトリックの関係の視点で書かれているために、そのよう
な言い方をしない。しかし、どう見ても宗教改革の影響を受けている。
それなりに厳格な修道院のなかにも歪みや退廃が入っていた。その改革
の試みのゆえに十字架の聖ヨハネは仲間から投獄の憂き目にあう。

 京都の宇治にあるカルメル会修道院の「黙想の家」を使って、過去4
回牧師のセミナーをさせていただいた。友人の牧師が呼びかけてくだ
さって、その施設をお借りして自分たちのセミナーを持つことができて
いる。住宅街から小高い丘の上に入った林の中にこの修道院と黙想の家
がある。街の喧噪を忘れさせる静かさが漂っている。早朝にミサに参加
することもできる。

 そんなことを思い出しながら、この近くにもカルメル会修道院がない
かどうか調べてみた。いまはインターネットで検索できる。驚いたこと
に私たちの行っている教会のあるフォレストヒルという街から、川を挟
んだ向こうの峰のなかに女子修道院があることが分かった。ジョージタ
ウンという街で、同じようにかつての金鉱の町である。一連と続くシエ
ラ山脈の麓である。木々に囲まれているが、毎年のようにどこかで山火
事に遭っている。そんな山並みにひっそりと修道院が建っていることが
分かった。

 連絡先として電話番号があったので電話をした。観想を大切にしてい
るので電話に出られません、メッセージをお残しくださいという返事で
あった。何度か試みたが同じようであったので、十字架の聖ヨハネの本
を読んでいている旨を伝えてメッセージを残した。夕方返事があり、毎
朝8時にミサがあり、引退した神父が敷地内に住んでいるので話もでき
るというので、伺うことにした。

 それで過ぎる土曜日の朝に、一度川に降りて、また登っていく山道を
1時間近くドライブして伺った。10分ほど前にチャペルに着いた。す
でに7,8人の人が座っていた。地元の人たちなのであろう。時間に
なったので美しい女性の斉唱が聞こえてきた。しかし、修道女たちの姿
が見えない。宇治では一緒に座っていた。神父は祭壇の一方の壁に向
かって話をしている。壁の一部が鉄格子で仕切られている。それに窓が
ついていて開いている。その向こうに修道女たちがいることに気づい
た。しかし見えない。修道女たちは外との接触を一切断っているのであ
る。

 ミサのあとに神父と話ができた。話をしているうちにこの神父はカル
メル会の神父ではないという。別の会派に属していてケニアに伝道活動
をしていたという。引退してここに住みついてミサを執り行っているだ
けだという。そんなことができるのだと多少驚いた。修道女たちとは全
くと言って接触がないという。修道女たちは病気の時以外は修道院から
出ることはない。確かに敷地内にもうひとつ鍵のかかっている扉があ
る。その向こうで祈りと瞑想と観想の時を持っている。そのようにして
一生を修道院で送っている。

 19世紀にフランスのカルメル会修道院で15歳から24歳までの9
年間をただ修道院で過ごし、結核で召されたたリジュのテレーズと言う
人がいる。この人のおかげでその扉の向こう、鉄格子の向こうの様子を
知ることができる。彼女が修道士としてめざましい進歩を遂げたため
に、そのことに嫉妬した修道院長からの嫌がらせ、虐めに遭うことに
なった。しかし、それはキリストに仕え、キリストと同じものに変えら
れるための試練として受け止めて、さらにより高い霊的な状態に達して
いった。そんな自分の心のなかのことをノートに書き留めていた。

 その手記が死後、同じ修道院にいた実の姉妹たちによって公にされ
た。それはフランスのカルメル会の人たちだけでなく、全世界の人たち
に驚くべき霊的なこととして受け入れられてきた。清水書院の「人と思
想」シリーズのなかでも取り上げられていて、日本でも一般にも紹介さ
れている。

 心のことは、自分の心と向き合えば、それは闇である。自分のことし
か考えていない自分、人への怒りをどこかにひっそりと閉じこめている
自分、こんな人生ではなかったと恨んでいる自分、いつか億万長者に
なったらばと思っている自分、そんなどうにもならない自分に縛られて
いることを呪っている自分、キリスト信じていてもどこかでいつも古い
自分が出てくる自分、そんな自分は闇のなかである。

 心の闇は、光である神に近づくためには、通過しなければならない。
礼拝の形式が異なり、聖書理解が異なり、教会観が違っていても、誰も
が通過しなければならない。そんな自分の心にこの修道女たちは、扉の
向こう、鉄格子の向こうで向き合いながら、キリストに近づこうとして
いる。それを務めとしている。そんな人たちがこの同じ山並みにいるこ
とに多少の畏敬を覚えながら帰途についた。インターネットで、同じカ
ルメル会の男子の修道院がサンフランシスコ郊外のナパの近くにあるこ
とが分かった。そこは外部者も使える施設があるという。どのように使
えるのか調べてみたい。

 上沼昌雄記

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