「コスモス」2008年9月16日(火)

ウイークリー瞑想
 先週の金曜日に成田に着きました。夏の続きの暑さでした。最初の奉 
仕の関わりで、埼玉の児玉にお住まいのウイクリフ宣教師の松村先生の
お宅に伺いました。先生ご夫妻が昔からの知り合いのように迎えてくれ
ました。共通の友人が秋田大学医学部の石川教授夫妻です。それで形式
とか遠慮という垣根が取り外されています。真実にお話ができます。土
曜日に先生が近くの温泉に連れて行ってくれました。初めて岩盤湯を経
験しました。

 礼拝は片柳福音自由教会でした。牧師の滝田先生とはKGKの主
事のOB同士です。このイースターに献堂された新会堂での礼拝で
した。地域に根ざした伝道、活動をされています。福音自由教会の関東
西地区のリトリートのために軽井沢の恵みシャレーに向かう車のなか
で、お働きの困難さと恵みを語って下さいました。出たばかりの『闇を
住処とする私、やみを隠れ家とする神』をすでに読んでいてくださいま
した。

 碓氷峠を越えて軽井沢に入るとさすが窓から入ってくる風がとても気
持ちよいです。連休の半ばで混雑しているところもありました。それで
も秋がしっかり軽井沢を覆っています。時が動いています。すでに畑の
外れにコスモスが咲いています。夏の暑さと切り離されて、新しいとき
の動きが展開しています。その動いている時のなかに迎えられました。

 「苦しみには意味がある!?」がリトリートのテーマでした。意味が
あると断言しても、また明確に説明して、苦しみに遭遇したときには、
そんな断言も説明も吹っ飛んでしまいます。それが苦しみです。ただ叫
びと嘆きとうめきしか出て来ません。それでいいのです。そんな思いを
持って2回語らせていただきました。テーマをくださった松村先生を4
9パーセント憎み、51パーセント感謝しています。

 宣教師であった妻の両親が軽井沢に多少関わっていたこともあって、
その関わりの用事があったので軽井沢でもう一晩泊まっています。その
両親の昔からの知り合いの茂木さん宅に泊めていただいています。用事
を終えて戻ってきて、薄暗くなったあぜ道に散歩に出ました。軽井沢に
入ってところどころで目にしたコスモスに挨拶に行きたくなりました。
待っていましたと言わんばかりにあちこちにしっかりと咲いていました。

 コスモスが長く咲き続ける秘訣のようなものを、花の好きなある牧師
の奥様から伺ったことを覚えています。ただその理由を思い出せない多
少のもどかしさを覚えながら、コスモスの脇にしばらく立ち止まりまし
た。夏の続きではなく、すでに動いていている時のなかでの奉仕に迎入
れられていることが分かりました。

 日本の秋の奉仕では、コスモスを見られるのをいつも楽しみにしてい
ます。道端で誰にも振り返られなくても、時が来れば、ふんわりと優し
く天に向いて咲いているコスモスの花に親近感を覚えます。この夏、家
の庭でようやく一輪の黄色いバラが咲き出しました。そんな優雅さや存
在感はなくても、コスモスはその名前のように宇宙に向いて優しく咲い
ています。ただ黙って道端に咲いているコスモスに思いが向いていく自
分の心に、不思議に思いが向いていきます。

 「天は神の栄光を語り告げ」と歌い出しているダビデが、最後に「私
の口のことばと、私の思いとが、御前に、受け入れられますように」と
詩篇19篇で締めくくっているこころに納得しています。

 この6月の初めに、立川福音自由教会の礼拝後の集会で、もしキリス
トが自分を花で呼ぶとするとどんな花で呼ぶでしょうかと、自己紹介と
してしました。私はいつもコスモスですが、その時はもうコスモスを卒
業してバラにしますと言いました。そうしましたら隣に座っていた辻岡
先生の奥様が、「私は先生が卒業したコスモスです」と言われました。
前言を取り消さなくてならないのかも知れません。

 上沼昌雄記
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