「闇が深まり」2008年10月15日(水)

ウイークリー瞑想

 秋晴れの休日の夕刻に、お世話になっているご夫妻と散歩に出かけま
した。最上川の対岸、と言ってもどちらが対岸なのかは見る人、そこに
住んでいる人の視点によって異なるのですが、その方々が以前住んでい
たところからは対岸に、クリニックと居を構えています。果樹園と野菜
畑と刈り入れを終わった畑の間を、なだらかに上り下りしながら、一回
りをして林を抜けて県道近くに出て来たときに、最上川の向こうにある
町々の灯が見えてきました。夕闇が刻一刻と深まっていく中で、遠くの
灯がそれにあわせるように鮮明になってきました。木々も畑も家々も闇
に覆われてきました。遠くの灯りが輝いて見えてきました。

 40年まえにKGKでお世話なり、いまは4つのチャペルを持た
れている牧師を訪ねました。その牧会の姿勢をお尋ねました。お母さん
から人を見る目を教わったと言われました。それはどのようなことなの
ですかと伺いました。お母さんが抱えていた闇を振り返るように語って
くれました。闇を遡っていくと記憶の世界に入っていきます。お渡しし
た本にも書いていることをお伝えしました。このようなことを話すこと
になるとは思わなかったが、話せて良かったと言われました。

 どんよりとした一日に、闇の本を読んでくださっているご夫妻とスト
レートに闇のテーマで思い巡らすことをしました。闇のイメージから始
まって、その出て来たイメージをさらに思い巡らしながら、闇の中に下
りていくことをしました。光をいただいているので少しずつ下りていく
ことができます。不思議に生まれえ育った家族、両親、そして故郷のこ
とが出て来ました。私たちの咎は、十戒で言われているように3代から
4代にわたって伝わっています。善し悪しの問題ではないのです。ただ
肌に染み込んでいる闇を見つめるのです。闇の世界に下りていくので
す。どんよりとした心の闇を見つめることで疲労感を覚えました。

 「表の私、裏の私」と言うことで自己紹介をすることがあります。私
は半分冗談に、半分真剣に、私の表は「上」で、私の裏は「沼」ですと
紹介します。分かってくれます。ある集会で一人のご婦人がしばらく考
えて、「私の表は、表も裏もないことです」と言われました。初めてお
会いした方です。その意味を勝手に想像しました。しかしすぐに「私の
裏は殺人者です」と付け加えました。

 あるご夫妻にそのくだりを紹介しました。奥様がその気持ちよく分か
ると言われました。自分はそのようには言わないかも知れないが、その
通りであるというのです。ご主人が驚いて、今晩寝るのが怖くなったと
言いました。翌朝このご主人と二人だけになったときに、その辺の女性
の闇の深さというか、複雑さと言ったらよいか、ともかく驚異を覚えさ
せられました。この奥様にそのように伝えました。前の晩にそのように
言ってすっきりしましたと返事が返ってきました。

 24時間営業をされている方が、夕闇は嫌いだと言います。朝焼けは
大好きだというのです。闇は徐々に確実に覆ってきます。はいつくよう
に身体を覆い、知らぬ間に目を覆ってきます。実体があるわけでありま
せん。それなのに確実に届いてきます。あたかも私の身体の一部のよう
にへばり付いてきます。そんな闇が深まるにつれて、遠くの一条の光が
まぶしくなります。

 上沼昌雄記
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