「郊外のキリスト」2008年12月15日(月)

 
クリスマス瞑想

 ルオーに「郊外のキリスト」という絵があります。数年前にロマ書7
章、8章のパウロの心、パウロのうめきを語っていたときに、同年配ぐ
らいの方が立ち上がって、聞きながらこの絵を思っていましたと言われ
ました。興味を覚えたので、お宅に伺って絵を見せていただいきまし
た。その原画がブリジストン美術館にあるということで、今回の日本訪
問の間にその絵を鑑賞することができました。

 月夜に照らされてキリストと貧しい親子が立っています。ルオー自身
が貧しい親子と言っているようですが、貧しい夫婦とも見えます。その
二人の背丈はキリストの肩にも届いていません。何ともアンバランスで
す。それだけでなく、この三人の影は後ろにある月の位置からそれてい
るのです。それは、月影ではなく、人生の陰のようです。キリストの目
がその陰をじっと見つめています。誰もが持っている人生の陰をキリス
トが負おとしているかのようです。それとは別に、キリストの横には月
影らしきものが延びています。

 三人が立っている道は、両側の建物より数段も下がっています。郊外
の人が住む建物とはかけ離れた感じがします。アンバランスなのです
が、それがキリストにとって当然の場所であるかの感じもします。切り
離され、沈められ、隔離されているのです。帰る家も、暖を取り、夕食
にあずかれる食卓もないのです。寄る辺もなく、これからどこに行った
らよいのかも分からなく、ただじっと自分たちの陰を見つめています。

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:1
2)ことばである御子が肉となって、私たちの間に住んでくださいまし
た。まさにクリスマスの知らせです。肉となってくれたので、確かに
今、郊外の貧しい親子と共にいることができます。影を負い、陰を見つ
めることができます。それがあたかも、私たちの間に住んでいてくださ
るしるしであるかのようです。温かい居間で一緒に暖炉に当たってので
はなく、月夜の寒い夜に寄る辺のない者と共におられるのです。

 宿屋にはその場所がなく、「飼葉おけ」(ルカ2:7)がキリストの
地上の最初の場所でした。そして、「門の外」「宿営の外」(ヘブル1
3:12,13)がキリストの地上の最後の場所でした。クリスマス
は、御子が私たちの間で住むために来られたのです。私たちが憩ってい
るその真ん中に、自分の居所を確保しているその場に来てくださるため
でした。しかしキリストは、そんな私たちの住まいの戸を叩いていなが
ら、誰にも迎えられないで、同じように誰にも迎えられない人たちと一
緒に夜空の下に立っているのです。

 「肉となる」、受肉、まさにクリスマスです。それは御子が肉を持っ
ている私たちと一緒にいるためです。肉そのものとして、肉の弱さを負
い、肉が抱えている傷を共に負ってくださるためです。それにもかかわ
らず、キリストの生涯は宿の外、住まいの外、郊外、宿営の外でした。

 罪が自分のなかに決定的に住みついていることをパウロが知ったとき
に、その罪はアダムにまで遡り、同時に反転して、キリストの恵みの存
在にまで立ち返っています。キリストが私の内に住む罪と共におられ、
内に住む罪が宿営の外でキリストともに処罰され、処分されることを知
るのです。「肉によって無力になったため、律法にはできなくなってい
ることを神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰された
のです。」(ロマ書8:3)

 内に住みついている罪の現実に絶望する以外にないのですが、同時に
それとは逆に、キリストのゆえに神に感謝できるのです。内に向いてい
た心が、反転して外に向かうのです。絶望していた心が、希望を外に見
いだすのです。私たちの間に住むための受肉が、私たちを宿営の外に引
き出すのです。

 ルオーは、自分の絵の額縁にまで絵の具を塗っていく作法を取ってい
るというのです。確かのこの「郊外のキリスト」の額縁も、金の縁が取
られている間は、どす黒い青で絵の具が塗り込まれているようです。そ
れは月夜に照らされた三人の背後を見事に浮き彫りにしています。その
コントラストが絵を限りなく明るいものにしています。長い間見つめ
て、その明るさに気づいて感動しました。

 私たちの間に住むために来られたキリストが、私たちを外に引き出し
ているのです。内側は暗闇と絶望だけです。ルオーの描く建物の中は
真っ暗です。郊外の建物の外、門の外、宿営の外に光があるのです。自
分の内側に絶望したパウロが、自分の外側でキリストの上に見た明るさ
です。自分の外に、建物の外に、門の外に、宿営の外に光があるのです。

 そんなパウロの心に寄り添いながら、この方がルオーの「郊外のキリ
スト」を思い描いていたのだろうと納得しました。

 上沼昌雄記

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