「さくらんぼの木の下で」2009年6月29日(月)

 

ウイークリー瞑想
最上川沿いの隠れ家で知り合った方が、ご自分のさくらんぼの実を
少しく残しておいてくれて、土曜日の夕刻に連れて行ってくれまし
た。収穫は一週間前に終わっていたのですが、北海道から戻ってき
たのに合わせて、枝に残しておいてくれました。当初は金曜日にと
言うことでしたが、親戚の方の農作業の助けに出ないといけないと
いうので、土曜の夕刻になりました。さくらんぼの木の下でコー
ヒーを飲みながら話をして、さくらんぼ狩りをするというのを、こ
の忙しいときに取り計ってくれました。

日中は結構な温度で外に出ていられないほどでした。もちろんこの
方はそんな中で一日仕事をしてきたのです。夕刻は外に出るのに
ちょうど良い気温です。最上川を挟んだ街に住んでいますが、この
方の農地は向こう側です。橋を回って土手の近くのご自分のさくら
んぼのきの下に、簡易の特設ベンチを用意してくれていました。
座ったとたん一面緑のジュータンが目の前に迫ってきました。

ふたの付いているアラビカ種のブラックで無糖の缶入りコーヒー
を、こんなものでと言われて差し出してくれました。夕闇が迫る中
でいただくには最高のものです。炒りたての温かいコーヒーではそ
の場に合いません。夏のキュウリ畑での日中のきつい仕事の話、何
度も刈り取らなければならない雑草取りの話、冷たい缶コーヒー
は、一日の労働をした者が口にするものです。

今日は気持ちの良い風が吹いていると言って、最上川の氾濫の歴史
を語ってくれました。今は堤防と土手ができているので以前のよう
なことはないが、それを超えるほどの雨が一気に降ったときにはこ
の地帯は5メートル近くの水位になると言うのです。そんな洪
水のためにあたりには家は建っていません。一面の緑のジュータンで
す。5メートルの水に覆われたときの状景を何とか思い描こう
としました。あまりにも静かでそんな過去を感じさせないのどかな
のです。しかし洪水の歴史を背負った人たちです。夕闇に吹く風が
そんな歴史を語ってくれます。

暗くなる前にと、取って置いてくれたさくらんぼの実を刈り取りま
した。もぎ取りながら口に入れてみました。最後まで木に残された
果実の持つ円熟した甘みが伝わってきます。 最高のさくらん
ぼをいただくことになりました。高いところはこの方が脚立に乗っ
て採ってくれました。 こんな小さな果実でこれほどの甘みを
口に届けてくれるさくらんぼが、「小さな恋人」と呼ばれて全国に
届けられています。その産地でしかもその木の下で、小さい粒に
いっぱいの甘みをため込んで待っていてくれたさくらんぼをいただ
きました。贅沢な恵みです。

薄暗くなるまでさくらんぼの木の下で話し込みました。おそばを食
べに行きましょうと、そば好きな私のことを覚えていてくれまし
た。食べながら、この方が以前に、自分は村上春樹はダメだけれ
ど、チェーホフは好きだと言われたのを思い出しました。同人誌に
小説を書いています。そしてその村上春樹が新刊『1Q84』で
チェーホフを一つの複線として用いていることを話しました。何と
も言えない結びつきです。しかしそんな結びつきとは関係なしに、
しばしチューホフ論を論じてくれました。

村上春樹では訳の分からない世界に引き込まれてしまうので、訳の
分からない世界にいる自分は何とかそこから抜け出したいので
チェーホフに惹かれるというのです。チェーホフを目指して小説を
書いていると言います。ロシア正教会を背景にしたチェーホフの世
界でキリスト教を捉えています。

話は尽きそうにないのですが、8時半には目をしょぼつかせて
いました。いつもはこの時間には寝ていると言います。そんな自然
の流れの中で最大限に生きている人といると、不思議にすべてが豊
かになります。そしてどうしても、「地の基を定めたとき」(ヨブ
記38:4)に帰って行きます。

上沼昌雄記

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「北の大地に吹く風は」2009年6月24日(水)

ウイークリー瞑想

知床半島に知床五湖があります。遊覧船を乗ったところから車で
15分ほど奥に入ったところにあります。一度鮭の産卵する川に降り
てまた上っていきます。その五湖の水が岩場にしみ出るようにして
白糸の滝のように落ちているのを、遊覧船から見ることができま
す。一湖、二胡と歩くことができます。その先はヒグマ出没中でと
言うことで行くことができません。手付かずの自然にじっと佇んで
いる五つの湖です。

レストハウスのところから展望台が海に向かう崖の上に伸びていま
す。電気柵を付けてヒグマを近づけないようにした木の柵の上
を、400メートルほど断崖に向かってゆっくりと歩いていきま
す。笹の海のようなところにエゾシカの家族が所々にたむろしてい
ます。右手には先ほどの一湖が見えます。断崖の手間の小高い丘の
上が行き止まりです。それ以上伸ばすと遊覧船から見えてしまうの
で、その手前で止めているのでしょう。

私たちを迎えるように空も晴れ渡っています。オホーツクの海が静
かに鎮座しています。後ろを向けば知床連山が所々に雪を残して
しっかりと立っています。360度見渡せる大きな自然の中に置
かれます。潮風を含んだ風が、よくここまで来てくれたと言わんば
かりに私たちを迎えてくれます。そんな風が頬を伝わり、心の深く
にしみ込んできます。じっとしていると、天の基を据えられたとき
の風が語りかけてくるようです。

北見の教会での礼拝と午後の集会の奉仕をいただきました。母教会
の前橋の教会出身のご夫妻が、しっかりとそして自由に牧会をして
います。北の大地にふさわしい風が吹いています。

北見を後にして旭川郊外に退かれている同労者ご夫妻を訪ねまし
た。昨年の秋に続いて二度目です。大雪山の脇を列車が通り、旭川
に近づくにつれて「石狩川」を何度も渡っていることに気づきまし
た。納内という駅に降りて、迎えてくれた同労者に石狩川は近くな
のですかと聞きましたら、自転車で行きましょうとなりまし
た。6キロぐらい離れたところに神居古潭という、先住民族の
居住跡と駅(?)があるというのです。

奥様に挨拶をして、荷物を置いて、自転車を用意してくれて、二人
で出発しました。その近辺で自転車を乗っているのは中学生か高校
生だけですが、そんな年頃に帰った気分で、結構強い横風に吹かれ
ながらせっせと自転車を漕いで行きました。初夏の北の大地に吹く
風が、また迎えてくれました。よくここまで来て自転車に乗ってい
ると言ってくれているようです。あの天の基が据えられたときの風
に向かい入れられているようです。身体全体に風がしみ込んできます。

石狩川沿いにはかつての鉄道の駅であった「神居古潭駅」という駅
舎と、機関車が記念に3台置いてあります。D51もあり
ます。北の自然の中の多少不思議な光景です。トンネルができて廃
止されたと言うのです。そして川の向こうに回ると、かつての先住
民族の居住地の跡が窪地のように凹んでいます。200ぐらい続
いてあるようです。上ってくる鮭を捕り、猟をしながら生きていた
のでしょう。

そんな太古からの風が身体全体にしみ込んできます。風の洗礼を受
けたようです。そのように風に舞い込まれて、地の基が据えられた
ときに向かい入れられた感じです。初夏の北の大地に吹く風は、私
を包み、心を遠い太古の昔に舞い込んでいきます。はじめの時に結
びつけてくれます。そのはじめの時は同時に、新しい風となって届
いてきます。そのいのちでもう一度生かされます。

9月に札幌で第5回日本伝道会議があります。北の大地に吹く
風は、新しい息吹をもたらしてくれることでしょう。

上沼昌雄記

「手付かずの自然とヨブ記」2009年6月19日(金)

ウイークリー瞑想

一昨日札幌に入りました。本州の続きのようなどんよりとした空で
した。エゾ梅雨と言われているようです。最初の目的地の釧路に昨
日到着いたしました。迎えてくださった牧師が、この夏はこんな天
気で終わってしまうのではないかと言われました。梅雨入りして蒸
し暑さを感じる東京からの移動でしたので、からっとした梅雨のな
い北海道を期待していたのです。

釧路では他教派の牧師に呼びかけてくださって、4名の牧師と
の懇談会を午後いただきました。呼びかけると言ってもそれぞれの
教派も釧路では一つの教会だけなので、自然と他教派との交わりに
なるのですと説明をいただきました。闇の本を書くことになった背
景をお話しさせていただきました。どこかで共感をいただいたよう
です。夜の教会の祈祷会でも闇を考える手だてをさせていただきました。

釧路を朝出て斜里で、北見の友人ご夫妻と待ち合わせることになっ
ていました。空は雲に覆われて晴れそうもありませんでした。じめ
じめした湿原とどんよりとした空の中を列車が通過していました。
世界遺産の知床半島も同じように雲の中で、それはそれとして幻想
的な趣をいただけると思っていました。しかし列車が斜里に近づく
につれて空はきれいに晴れてきて、斜里岳が窓の向こうに浮かんで
きました。牧場を中心とした麓は緑に覆われていました。

斜里の駅で再会を果たしました。お忙しい中で一日の休暇を取って
くださいました。途中で、いきなり崖から多量の水が吹き出て海に
流れ出ているオシンコシンの滝を観ました。そんな豊かな滝を作っ
ている神秘的な知床半島の挨拶をいただいた感じです。用意してく
ださったおにぎりをおいしくいただきました。

午後の半島巡りの遊覧船に乗せてくれました。世界遺産に指定され
ているところは自然が手付かずのままですので、当然道もないの
で、遊覧船で海から海岸線と半島を眺めることになります。流氷で
削られて様々な模様を作っている岩肌には、所々水がわき出るよう
に数条の滝を作っています。女の涙、男の涙と呼ばれる滝がありま
す。種々の鳥たちが留まっています。

絶壁の崖の上は新緑に覆われた木々が生い茂っています。その向こ
うはまだ所々に雪をとどめているいくつかの山が半島を縦断するよ
うに伸びています。そしてその向こうは晴れ渡った青空が私たちを
迎えるように広がっています。少しの水しぶきを受けながら遊覧船
の最後尾に座って、所々で止まるたびに海を見つめると、紺碧の海
に透き通ったクラゲが浮いています。知床半島は野生の動物たちが
自由に行き来する地です。ヒグマ、エゾシカ、オジロワシなどの楽
園です。

そんな手付かずの自然を前にしていると、状景は全く違うのです
が、神が最後にヨブに語りかけたことばを思い出します。「わたし
が地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟るこ
とができるのなら、告げてみよ。」(38:4)人としてできるこ
とを一生懸命にしても、それとわたしが世界の基を定めたときとは
関係がないと言われるのです。それはしかし、単に突き放された言
い方ではなく、最後にあなたが帰ってくるべき世界はここです、創
造の御手の中ですと言われているようです。

上沼昌雄記

「雨の吉祥寺で」2009年6月9日(火)

ウイークリー瞑想

先週末金曜日の夕方に小雨降る吉祥寺に降り立ちました。闇の本の
装丁をしてくださった方の事務所が井の頭公園の近くにあります。
「闇」の本の中身と装丁の共同作業をしていたら、「闇太郎」とい
うお店が五日市街道沿いにあるというので、できたら一緒に伺っ
て、闇の本を置いてこようと思ったのです。

この方の事務所に伺う前に、駅ビルの2階の本屋さんに立ち寄って
確認したいことが二つありました。一つは、話題になっている村上
春樹の新刊『1Q84』の売れ行きを実際に見てみたかったので
す。うずたかく積まれているコーナーを横目で見ていたのですが、
金曜日の仕事帰りのどちらかというと若い女性が立ち止まり、本を
取り上げて眺め、レジに向かっている光景がかなり目に入ってきました。

私は、発売当日に山形市内の本屋さんで手に入れました。その後の
日曜日の説教が終わってから読み出して、月曜日の夕方までかけて
2巻を「一応」読み終わりました。その時しか読む時間がないの
と、発売当初から増刷を繰り返しているほど売れているということ
で、ともかく読んでみておきたかったのです。

もう一つは、本の装丁をしてくれた方がシベリヤ抑留を経験した信
仰者で詩人の石原吉郎という人を紹介してくれたので、本か詩集が
あれば手に入れたいと思ったのです。闇の本は村上春樹の井戸の底
に降りていく話と、さらにホロコーストの生き残りのユダヤ人哲学
者のレヴィナスの存在の手前の闇を観る経験を参考にしているの
で、村上春樹の本と同時に、日本人信仰者のシベリヤ抑留の体験を
知りたいと思ったのです。 

本はありませんでした。しかしこの方の事務所を訪ねてしばらく談
笑をしているうちに、石原吉郎の話になりました。そして彼の著書
の共有を申し込んでくれました。それで、シベリヤ抑留の体験の記
録と、帰国してからの記録の2冊のエッセイ集を半無期限にお借り
しすることになりました。

そのまま談笑をしていたかったのですが、当初の目的を果たそうと
思い、五日市街道まで雨の中を歩いて「闇太郎」というお店に向か
いました。そんな名前を付ける店主に会ってみたかったのと、実際
にそんなお店があるのかという思いが交差していました。「闇太
郎」の看板に引きつけられるように入ってみると、10脚ほどの椅
子が並んでいるL字型のカンターの奥に多少無愛想にご主人が
立っていました。

おでんをいただきながら、カンター越しに話しかけ、闇の本を紹介
して、ご迷惑でなければと思って差し上げました。闇のテーマに興
味を示してくれました。本の帯にレヴィナスのことが書いてありま
す。それを眺めながらご自分も大学で哲学を学び、サルトルやメル
ロ・ポンティやブレヒトを読んできたことを独り言のように話して
くれました。1941年生まれで、「あなたは?」を聞いてこられ
ました。すなわちともに何らかのかたちで60年安保に関わってい
るのです。

20年ほど会社勤めをして経験なしに無からお店を始めたというの
です。「闇太郎」という名前で世に関わる道を選んだのです。名前
は最後まで迷ったがこれで行こうと決めて、すでに30年以上経つ
というのです。逆にどうしてこのような本のタイトルを付けてきた
のかと聞いてこられました。「やみを隠れ家とする神」という表現
が聖書にあって、それに合わせて「闇を住処とする私」と付けたと
説明させていただきました。聖書に闇のことは多く書いているよな
と、また独り言のように言われました。

「闇太郎」をご自分のお店に名前を付けることになった心の風景
と、闇について書くことになった心の風景がどこかで結びつくようで
す。
私たちは「闇」仲間だといってほほえんでくれた店のご
主人の笑顔を後にして、雨の上がりかけた吉祥寺の街に出ました。

上沼昌雄記