「父親のテーマとしての『1Q84』」2009年9月14日(月)

神学モノローグ

 『1Q84』はいくつもの大切なテーマがかなり複雑に絡み
合った物語である。どのテーマを取り上げ、どのように紐解いてい
くのかで、この小説に関してのその人の読み方が可能である。そん
なことを著者が許しているというか、意図的に仕組んでいるようで
ある。すなわち、この面から取りかかることができ、また別の面か
ら取りかかることができるという重層的な感じである。そのような
可能性を計算して書いているようにも思う。

 そのなかで今回初めて正面から取り上げられている父親のことが
どうしても気になる。前回の『海辺のカフカ』では、母親を探しに
行くために父親と決別をする、そして見つけ出すためには父親を
「抹殺」することが、あたかもギリシャ神話のオイディップス王の
物語のように取り上げられている。それでも正面から取り上げられ
ているわけでない。今回の『1Q84』も正面から取り上げられ
ているわけでないと言えばそのようにも言えるが、それでもかなり
中心的なファクターとして関わっている。

 今回雑誌『リバイバル・ジャパン』の9月15日号に
「なぜ村上春樹は読まれるのか?」という記事を書いた。その記事
の前に編集者の谷口氏が「村上春樹の新刊『1Q84』に描かれ
た宗教世界」というポイントを見抜いた記事を書いている。そこで
『1Q84』に描かれている父親のことに見事に言及している。
編者者としてのすぐれた視点である。

 幼児期の母親の記憶で悩まされていた30歳になった天吾と
いう小説家志望の男性が、17歳の少女の作品「空気さなぎ」
を書き直すことで、この少女のもたらす世界1Q84年に引き込
まれていく。そうでなかったらそのままで終わってしまったであろ
う人生に見逃すことのできない碇が据えられる。母親を通して生ま
れた自分の父親は自分を育ててくれた父親ではないであろうとい
う、どうにも避けることのできない問いである。そんな問いを抱え
ていながら長い間そのままにしてきた。そのままにしたままで人生
を終わってしまったかもしれない。しかし不思議な1Q84に引
き込まれたことでそのままにしておくことができなくなる。

 すでに引退してしかも認知症の父親を、何かにひかれるように訪
ねる。小説では2回訪ねることになる。2回目はすでに
意識を失った父親であるが、それが同時にこの物語の最後になって
いる。最初の訪問ですでに自分を育ててくれた息子を識別できない
そんな父親に、天吾は避けられないとこととして自分を生んだ母親
のことと父親のことを尋ねる。そんな問いを識別できないようであ
りながらこの父親は、「空白」が母親と交わって天吾が生まれたと
いう。その空白を埋めるのが自分の仕事であったと告白する。それ
以上の説明を拒む。説明できないことは、説明しても分からないと
哲学めいたことを言う。しかし天吾には分かった。そして去るとき
に父親の目に涙が流れていることに感激する。

 『1Q84』にはもう一人の主人公になる青豆という女性がい
る。二人の物語が奇数と偶数の章で展開している。天吾が父親を施
設に訪ねるときは、青豆はカルト集団のリーダーを訪ねるという
か、殺しに行くというか、ともかく対面するときである。青豆は
「証人会」という宗教団体に属している両親のところから抜け出し
て、交流も全く断って、自立している。彼女の特殊な技術がこの
リーダーの殺害に使われる。そのために遣わされる。リーダーはそ
んな背景を知りながら、しかも自分が殺されることを知りながら彼
女と会話をする。

 天吾が自分を育ててくれた父親とする会話と、青豆が殺害に向
かったカルト集団のリーダーとする会話がパラレルに
『1Q84』のクライマックスのように展開していく。自分の本
当の父親は「空白」であると言うことで、真実を間接的に告白して
くれたことで切り離された父親と、両親とは宗教的な理由で切り離
されてしまった青豆が、カルト集団のリーダーの中に見いだして抱
かれるような父親のイメージとも言える。

 パラレルに展開するこの二つのことは切り離せない。それが何を
意味するのかは不明である。不明であるというのは多義的な意味が
含まれていると言うことである。すでにビックブラザーのいないリ
トルピープルの世界で探し求める父親の姿である。父親に返ること
でしか見いだせない自分の姿と、なお父親のようなイメージに宗教
指導者を結びつけてしまう小市民の意識である。

 この夏、父親に関する原稿を出版社に送った。親しい友人の牧師
に原稿を読んでいただいた。男性集会をし、闇のテーマを取り上
げ、そして避けられないかたちで父親の課題にぶつかった。そして
今回の村上春樹の新刊 『1Q84』でその父親のことが取
り上げられている。しかしその意味合いはかなり複雑である。それ
は、取りも直さず父親のことが複雑で面倒なテーマであることを
語っている。

上沼昌雄記

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