「民族と信仰」2009年11月30日(月)

神学モノローグ


 今回日本で平凡社ライブラリーに新しくまとめられたジャック・
デリダの『精神についてーハイデッガーと問い』と言う本を購入し
た。その帯に記されていた「問題はいぜんナチズムだ」と文句に惹
きつけられた。すでに自分の年と同じ64年を過ぎてもいぜん
問題はナチズムだという、このテキストを見事に読み込みながら哲
学をするユダヤ系フランス人哲学者の言説に聞いてみたかった。同
じフランスのユダヤ人哲学者のレヴィナスはハイデッガーを挟んで
ホロコーストを体験しているが、デリダは一世代以上置いてハイ
デッガーに対峙している。その分ハイデッガーのテキストに切り込
んでいく。

 その切り込んでいく手がかりが「精神」という用法であ
る。1927年の『存在と時間』は、存在者とは区別される存在
そのものを問い進めていく。そのために存在そのものを伝統的に存
在者の最高存在、あるいは根底のように理解する西洋の枠組みを取
り払って、存在と存在者の差異を強調して、存在そのものに執拗に
近づこうとする。そこには「心」も「魂」も「精神」も入る余地は
ない。ハイデッガーが「避ける」と言ったことにデリダは注目して
いる。当然だと観ている。

 しかし6年後の1933年に、ハイデッガーが大学総長に
就任するときの「ドイツ大学の自己主張」と題される『総長就任講
演』では、その避けてきた「精神」という用法が、ドイツの大学と
民族の総意を言い表すかのように、全面的に使われてきていること
を指摘している。「総長に就任することは、この大学の精神的なる
指導への義務を負うことである。」「ドイツ大学の本質を意志する
ことは、自らの国家において自己を知る民族としてのドイツ民族に
課せられた歴史的、精神的な使命への意志という意味で、学問を意
志することである。」「精神とは存在の本質への根源に調和の合っ
た、かつ知である決意性である。」

 すなわち、ドイツ民族と大学の存在の本質に調和した決意性、意
志のあり方が精神であるという。まさにドイツ民族の精神である。
その精神的な指導の義務を負うという。デリダは、ハイデッガーが
本来避けていたこの「精神」という用法が、ナチスの台頭とそのド
イツでの大学の責任を負うものとして避けられないものとして、あ
たかも亡霊のように付きまとっていたものが前面に出てきたと見て
いる。だからハイデッガーにとっても「精神は自らの分身である」
とデリダはいう。存在の探求としては避けようと試みたものが、ド
イツ民族を語るときにはまさに戻ってきた亡霊のように前面に出て
くる。ハイデッガーでも避けられなかった。

 もし哲学者のハイデッガーでさえ避けられなかったとすれば、当
時の多くのドイツの教会とクリスチャンが、かたちとして信仰者の
枠を取っていても、当時の状況からドイツ精神に流れてしまったの
だろうと想像できる。分身としての亡霊は、かたちとしての外側の
ものをあっさりと飲み込んでしまう威力である。哲学をも信仰をも
囲み込んでしまう魔力である。

 当然対岸の火事ではない。どんなに福音的に、聖書的に信仰の立
場を守り、実行し、神学を築いていると思っても、思いがけないと
ころで、思いがけないときに、日本的精神が顔を出してきて、飲み
込まれてしまう。福音的、聖書的というのが外側でくっつけたもの
であるので、内側で分身のように付きまとっている日本的精神が夕
闇とともに忍び込み、覆われてしまう。そんな暗い歴史を日本の教
会は負っている。

 妻はそれに近いことを言ってくることがある。ハッとさせられる
が、どこかで自分の分身に従っているところがあることは認めざる
を得ない。信仰と言うより、どこかで闇のように隠れていてしかも
付きまとっている、ある精神的なものに流され、それで判断してい
るときがある。戻ってきた亡霊に惹かれ、居心地の良さを感じてい
る自分がいる。

 「問題はいぜんナチズムだ」とデリダが言い続けるヨーロッパの
苦悩は、民族の本源、人間の本源に切迫することで、逆にその責任
を厳粛に受け取ろうとする問いかけになっている。そんな内側から
の問いかけに襟を正される。今回の日本の訪問の最後に訪ねること
のできた99歳になられた大村晴雄先生が言われた言葉の重み
をあらためて思う。「日本人の根底にあるドロドロしたものをこと
ばで言い表せたら、私の日本プロテスタント史は終わる。」

上沼昌雄記

「それでも自分の息子、、、」2009年11月12日(木)

ウイークリー瞑想

 父親のことでやり取りしている友が、英国人英会話教師リンゼー・アン・ホーカンさんの死体を遺棄した容疑で逃走を重ねていた市橋容疑者が大阪で逮捕された時に、インタビューに応じた両親のことについて、ご自分のブログに掲載する記事を送ってくれました。アキバ事件を起こした加藤容疑者の両親のインタビューについても、自分の思いを伝えてくれました。当然リンゼーさんのお父さんのことも記しています。友の心に父親への深く重苦しい思いがあります。

 「生きて捕まってくれて、、、ありがたい」という、世間体を意識した発言ではなく、生きて息子に罪に償いをしてほしいという母親の言葉に注目しています。そして父親も、報道陣からの多くの質問に理路整然と答え、自分の罪の様に謝罪し責任を持って、「それでも自分の息子、、。」とであると最後に言い放った、と言います。この言葉に友の心が突き刺されたようです。「息子の冒した罪を断罪して断絶して拒絶することは簡単である。しかし市橋の父の発言は父権の責任を十分に果たそうとしている」と、友は言います。

 市橋容疑者の父親のこの発言が、取りも直さず、友の心に自分の父親との葛藤を思い起こしています。学生時代に過激派のセクトに参加して火炎瓶を投げて警察に捕まった友を迎えに来た父親は「家名を汚した」となじっただけだ、と言います。出来損ないの息子と決めつけられて、許してもらえないという心の傷が自分自身を傷つけることになりました。「それでも自分の息子」と言ってくれたら、もっと素直になっていたかもしれない、もっと父親と話し合えたかもしれないと回顧しています。

 そして友は、自問するように言います。「もし自身の息子が犯罪に手を染めた時に『それでも自分の息子、、。』と言える彼の父のような人は一体どのくらいいるのだろう?」友は、市橋容疑者の父親の思いを、兄弟アベルを殺したカインの父親の思いと重ねながら、放蕩息子の父親の心と結びつけていきます。同時にそんな父親に帰還できない自分の心として見ています。自分自身への問いを深めています。「僕は何時になったら父の元に帰れるのだろうか?」そしてつぶやくように言います。「僕は父に許されぬまま一生を朽ち果てるのだろうか?」

 友の心の中の問いかけが響いてきます。どれだけの父親が「それでも自分の息子」と言えるだろう。自分は逃げてしまうのではないだろうか。拒絶して、断絶して、自分とは関係のないことにしてしまうのではないだろうか。そんな問いを発する友の心がこちらを揺さ振ります。鋭く問われます。自分はどうなのであろうか。

 放蕩息子の物語は、放蕩息子の物語と言うより、その息子を受けいる父親の物語かもしれません。父性に帰還できないで彷徨っている息子を受けいる父親の物語です。「父たちよ、子供たちを怒らせてはなりません」と言われている父親の帰還の物語です。父親が父親になる物語です。

 この友の父親とのことは、2003年に出した『夫たちよ、妻の話を聞こう』で記しています。それ以来不思議に父親のこと、父性のことでいろいろな角度からやり取りが続いています。そのやり取りには村上春樹も入ってきています。その村上春樹の新刊書『1Q84』のブック2の最後で、主人公の一人が意識を失った父親に自分のことを語りかけている場面は象徴的です。

 友の父を求める心の響きが、友の父への問いかけが、鳴りやむことのない海鳴りのように、遠くから届いてくる地響きのように、こちらを落ち着かなくさせます。

上沼昌雄記

「風土と信仰」2009年11月19日(木)

神学モノローグ

 

 11月の初めに日本での奉仕を終えて、孫の面倒のために長男のところに来ていた妻に合流するために、シカゴ経由でダラスにきた。北の郊外に居を構えている長男宅にしばらく滞在した。そして、昨日二日間のドライブをしてようやくカリフォルニアに戻ってきた。気温は下がっていたが晴れ上がった空の下、一日12時間ただ黙々と西に向かって運転した。

 

 ダラスからほとんど一日かかりでテキサス州を横切り、ニュー・メキシコ州、アリゾナ州の南部を横切るこのルートは、しかし、「砂漠横断ドライブ」といっても大げさでない。メキシコとの国境沿いにあるエル・パソ、アリゾナ州のフェニックス、カリフォルニア州のパーム・スプリングなどは知れているが、あとはよくここに人が住んでいるなと感心するような町を通過するだけである。所々に廃墟になった家々が立ち並んでいる。ともかく、ただそこにある大地とそこにある大空を、見ながらと言うより、それしかないので目に入る情景をただ後にしながら妻とドライブした。

 

 この秋の日本の奉仕は結構の移動をすることになった。車窓から眺める黄金色の稲穂と刈り取りの様子、少しずつ色づいていく柿とリンゴの木、道東でのタマネギの収穫、そしてそれを囲む青々とした海、ともかく豊かな自然に恵まれ、さらに季節の変化に沿うように醸し出だされる絵物語を思い出した。その豊かさと変化を食卓でも味わうことも許された。そんな場面が、枯れた大地のなかを走っている国道をただひたむきにドライブしている脳裏に浮かんできた。いただいた料理を思い出してはつばを飲み込んだ。

 

 同時に、今回日本に滞在している間に岩波新書から出た『和辻哲郎—文人哲学者の軌跡』を思い出した。著者はレヴィナスの『全体性と無限』の訳者の倫理学者の熊野純彦である。思い出した核心部分は、大学時代に信仰者として和辻哲郎の『風土』を読んで、砂漠の中から出てきた旧約聖書の民と、温暖な農耕文化から出てきた日本の違いが、信仰、思考、生活、ものの見方・考え方のすべてに出ているという、考えてみたら当然のように思われるのであるが、そんな違いを明確に言い表しうる驚きと、それではどうしたらよいのだろうかというためらいを持ったことである。

 

 前にも書いたことがあるが、大学の講義で一番印象的であったのは、人文地理学の授業であった。半年期の授業であったが、最初の数回を講義して、あとは調査か何かで世界中を飛び回っていた教授がようやく戻ってきて、最後の授業で撮ってきたスライドを見せて、感想というか評価を求め、それが最終のただ一回の試験であったことである。意図はスライドを見ながら日本とどこが違うのかを見きわめることを求めていたようである。私は、それこそ和辻哲郎の『風土』を思い出したのかも知れないが、先生はそのように世界中と飛び回っていますが、それぞれの風土とその人のものの考え方とどのように関わっているのでしょうかと質問をした。教授が椅子に座り込んで頭を抱えるように、それこそ自分が一番知りたいことだと率直に言われた。風土と関係があるようであるが、同時にそのように紋切り型には割り切れなというのが、その教授の説明であったように思う。その場面を今でも覚えている。

 

 同じ関わりで、オックスフォード大学で地理学の教授であったジェームズ・フーストン師がカナダのリジェント・カレッジに移られたときに「魂の地理学」として霊性神学を始めたことである。その人がどのような自然環境で、どのようなものを食べ、どのような場所で遊び、どのような家庭環境で育ってきたのかが、信仰生活に深く影響しているという話しであった。そのためにクラスで生い立ちや、自然環境を振り返る作業をすると言うことであった。今回友が最上川の舟下りに誘ってくれた。確かに、ゆったりと流れているような最上川と、山から下りてきてこれから関東平野を流れていくその境にある利根川で育った人では川の印象が全く違うことは分かる。

 

 砂漠のなかを旅したイスラエルの民、約束の地に落ち着くことで堕落した民、後にヨーロッパという風土で育ったキリスト教、アメリカという大地を通過したことで獲得した福音主義、すべての根を腐らせてしまう沼のような日本でもがいている教会、決して自分たちで選び取ったわけではなく、それぞれ与えられたなかで神の旅としての生き様である。それでいてそれも神の計画なのだろうかと問いたくなる。問うても答えのない、それこそ一番知りたいことだといって椅子に自らを静めた教授の姿を思い出すだけである。

 

 あの広大なテキサス州で人は何を楽しみに生きているのだろうか、そんな問いに妻は、家族を中心に生活が動いているので、根本的なところで人々は満たしをいただいているのだと言う。確かに教会も家族中心に動いていることが分かる。カリフォルニアの教会とは異なった落ち着きがある。バイブル・ベルトと言われるだけのものを持っている。カリフォルニア州に入ってLA郊外に近づくにつれて、運転の慌ただしさを感じながら、ダラス郊外のゆったりとした運転がうらやましくなった。何がそうさせているのだろうか、厳しい環境が逆になせることなのだろうか、それも神の計画に入っていることなのだろうか。分かったような、分からないような問いかけを旅の終わりに再起させられて、結構の旅をしている自分を不思議に納得している。

 

上沼昌雄記

 

 

神学モノローグ

「風土と信仰」20091119日(木)

 

 11月の初めに日本での奉仕を終えて、孫の面倒のために長男のところに来ていた妻に合流するために、シカゴ経由でダラスにきた。北の郊外に居を構えている長男宅にしばらく滞在した。そして、昨日二日間のドライブをしてようやくカリフォルニアに戻ってきた。気温は下がっていたが晴れ上がった空の下、一日12時間ただ黙々と西に向かって運転した。

 

 ダラスからほとんど一日かかりでテキサス州を横切り、ニュー・メキシコ州、アリゾナ州の南部を横切るこのルートは、しかし、「砂漠横断ドライブ」といっても大げさでない。メキシコとの国境沿いにあるエル・パソ、アリゾナ州のフェニックス、カリフォルニア州のパーム・スプリングなどは知れているが、あとはよくここに人が住んでいるなと感心するような町を通過するだけである。所々に廃墟になった家々が立ち並んでいる。ともかく、ただそこにある大地とそこにある大空を、見ながらと言うより、それしかないので目に入る情景をただ後にしながら妻とドライブした。

 

 この秋の日本の奉仕は結構の移動をすることになった。車窓から眺める黄金色の稲穂と刈り取りの様子、少しずつ色づいていく柿とリンゴの木、道東でのタマネギの収穫、そしてそれを囲む青々とした海、ともかく豊かな自然に恵まれ、さらに季節の変化に沿うように醸し出だされる絵物語を思い出した。その豊かさと変化を食卓でも味わうことも許された。そんな場面が、枯れた大地のなかを走っている国道をただひたむきにドライブしている脳裏に浮かんできた。いただいた料理を思い出してはつばを飲み込んだ。

 

 同時に、今回日本に滞在している間に岩波新書から出た『和辻哲郎—文人哲学者の軌跡』を思い出した。著者はレヴィナスの『全体性と無限』の訳者の倫理学者の熊野純彦である。思い出した核心部分は、大学時代に信仰者として和辻哲郎の『風土』を読んで、砂漠の中から出てきた旧約聖書の民と、温暖な農耕文化から出てきた日本の違いが、信仰、思考、生活、ものの見方・考え方のすべてに出ているという、考えてみたら当然のように思われるのであるが、そんな違いを明確に言い表しうる驚きと、それではどうしたらよいのだろうかというためらいを持ったことである。

 

 前にも書いたことがあるが、大学の講義で一番印象的であったのは、人文地理学の授業であった。半年期の授業であったが、最初の数回を講義して、あとは調査か何かで世界中を飛び回っていた教授がようやく戻ってきて、最後の授業で撮ってきたスライドを見せて、感想というか評価を求め、それが最終のただ一回の試験であったことである。意図はスライドを見ながら日本とどこが違うのかを見きわめることを求めていたようである。私は、それこそ和辻哲郎の『風土』を思い出したのかも知れないが、先生はそのように世界中と飛び回っていますが、それぞれの風土とその人のものの考え方とどのように関わっているのでしょうかと質問をした。教授が椅子に座り込んで頭を抱えるように、それこそ自分が一番知りたいことだと率直に言われた。風土と関係があるようであるが、同時にそのように紋切り型には割り切れなというのが、その教授の説明であったように思う。その場面を今でも覚えている。

 

 同じ関わりで、オックスフォード大学で地理学の教授であったジェームズ・フーストン師がカナダのリジェント・カレッジに移られたときに「魂の地理学」として霊性神学を始めたことである。その人がどのような自然環境で、どのようなものを食べ、どのような場所で遊び、どのような家庭環境で育ってきたのかが、信仰生活に深く影響しているという話しであった。そのためにクラスで生い立ちや、自然環境を振り返る作業をすると言うことであった。今回友が最上川の舟下りに誘ってくれた。確かに、ゆったりと流れているような最上川と、山から下りてきてこれから関東平野を流れていくその境にある利根川で育った人では川の印象が全く違うことは分かる。

 

 砂漠のなかを旅したイスラエルの民、約束の地に落ち着くことで堕落した民、後にヨーロッパという風土で育ったキリスト教、アメリカという大地を通過したことで獲得した福音主義、すべての根を腐らせてしまう沼のような日本でもがいている教会、決して自分たちで選び取ったわけではなく、それぞれ与えられたなかで神の旅としての生き様である。それでいてそれも神の計画なのだろうかと問いたくなる。問うても答えのない、それこそ一番知りたいことだといって椅子に自らを静めた教授の姿を思い出すだけである。

 

 あの広大なテキサス州で人は何を楽しみに生きているのだろうか、そんな問いに妻は、家族を中心に生活が動いているので、根本的なところで人々は満たしをいただいているのだと言う。確かに教会も家族中心に動いていることが分かる。カリフォルニアの教会とは異なった落ち着きがある。バイブル・ベルトと言われるだけのものを持っている。カリフォルニア州に入ってLA郊外に近づくにつれて、運転の慌ただしさを感じながら、ダラス郊外のゆったりとした運転がうらやましくなった。何がそうさせているのだろうか、厳しい環境が逆になせることなのだろうか、それも神の計画に入っていることなのだろうか。分かったような、分からないような問いかけを旅の終わりに再起させられて、結構の旅をしている自分を不思議に納得している。

 

上沼昌雄記

 

 

「風土と信仰」2009年11月19日(木)

神学モノローグ

 11月の初めに日本での奉仕を終えて、孫の面倒のために長
男のところに来ていた妻に合流するために、シカゴ経由でダラスに
きた。北の郊外に居を構えている長男宅にしばらく滞在した。そし
て、昨日二日間のドライブをしてようやくカリフォルニアに戻って
きた。気温は下がっていたが晴れ上がった空の下、一日12時
間ただ黙々と西に向かって運転した。

 ダラスからほとんど一日かかりでテキサス州を横切り、ニュー・
メキシコ州、アリゾナ州の南部を横切るこのルートは、しかし、
「砂漠横断ドライブ」といっても大げさでない。メキシコとの国境
沿いにあるエル・パソ、アリゾナ州のフェニックス、カリフォルニ
ア州のパーム・スプリングなどは知れているが、あとはよくここに
人が住んでいるなと感心するような町を通過するだけである。所々
に廃墟になった家々が立ち並んでいる。ともかく、ただそこにある
大地とそこにある大空を、見ながらと言うより、それしかないので
目に入る情景をただ後にしながら妻とドライブした。

 この秋の日本の奉仕は結構の移動をすることになった。車窓から
眺める黄金色の稲穂と刈り取りの様子、少しずつ色づいていく柿と
リンゴの木、道東でのタマネギの収穫、そしてそれを囲む青々とし
た海、ともかく豊かな自然に恵まれ、さらに季節の変化に沿うよう
に醸し出だされる絵物語を思い出した。その豊かさと変化を食卓で
も味わうことも許された。そんな場面が、枯れた大地のなかを走っ
ている国道をただひたむきにドライブしている脳裏に浮かんでき
た。いただいた料理を思い出してはつばを飲み込んだ。

 同時に、今回日本に滞在している間に岩波新書から出た『和辻哲
郎—文人哲学者の軌跡』を思い出した。著者はレヴィナスの『全体
性と無限』の訳者の倫理学者の熊野純彦である。思い出した核心部
分は、大学時代に信仰者として和辻哲郎の『風土』を読んで、砂漠
の中から出てきた旧約聖書の民と、温暖な農耕文化から出てきた日
本の違いが、信仰、思考、生活、ものの見方・考え方のすべてに出
ているという、考えてみたら当然のように思われるのであるが、そ
んな違いを明確に言い表しうる驚きと、それではどうしたらよいの
だろうかというためらいを持ったことである。

 前にも書いたことがあるが、大学の講義で一番印象的であったの
は、人文地理学の授業であった。半年期の授業であったが、最初の
数回を講義して、あとは調査か何かで世界中を飛び回っていた教授
がようやく戻ってきて、最後の授業で撮ってきたスライドを見せ
て、感想というか評価を求め、それが最終のただ一回の試験であっ
たことである。意図はスライドを見ながら日本とどこが違うのかを
見きわめることを求めていたようである。私は、それこそ和辻哲郎
の『風土』を思い出したのかも知れないが、先生はそのように世界
中と飛び回っていますが、それぞれの風土とその人のものの考え方
とどのように関わっているのでしょうかと質問をした。教授が椅子
に座り込んで頭を抱えるように、それこそ自分が一番知りたいこと
だと率直に言われた。風土と関係があるようであるが、同時にその
ように紋切り型には割り切れなというのが、その教授の説明であっ
たように思う。その場面を今でも覚えている。

 同じ関わりで、オックスフォード大学で地理学の教授であった
ジェームズ・フーストン師がカナダのリジェント・カレッジに移ら
れたときに「魂の地理学」として霊性神学を始めたことである。そ
の人がどのような自然環境で、どのようなものを食べ、どのような
場所で遊び、どのような家庭環境で育ってきたのかが、信仰生活に
深く影響しているという話しであった。そのためにクラスで生い立
ちや、自然環境を振り返る作業をすると言うことであった。今回友
が最上川の舟下りに誘ってくれた。確かに、ゆったりと流れている
ような最上川と、山から下りてきてこれから関東平野を流れていく
その境にある利根川で育った人では川の印象が全く違うことは分かる。

 砂漠のなかを旅したイスラエルの民、約束の地に落ち着くことで
堕落した民、後にヨーロッパという風土で育ったキリスト教、アメ
リカという大地を通過したことで獲得した福音主義、すべての根を
腐らせてしまう沼のような日本でもがいている教会、決して自分た
ちで選び取ったわけではなく、それぞれ与えられたなかで神の旅と
しての生き様である。それでいてそれも神の計画なのだろうかと問
いたくなる。問うても答えのない、それこそ一番知りたいことだと
いって椅子に自らを静めた教授の姿を思い出すだけである。

 あの広大なテキサス州で人は何を楽しみに生きているのだろう
か、そんな問いに妻は、家族を中心に生活が動いているので、根本
的なところで人々は満たしをいただいているのだと言う。確かに教
会も家族中心に動いていることが分かる。カリフォルニアの教会と
は異なった落ち着きがある。バイブル・ベルトと言われるだけのも
のを持っている。カリフォルニア州に入ってLA郊外に近づく
につれて、運転の慌ただしさを感じながら、ダラス郊外のゆったり
とした運転がうらやましくなった。何がそうさせているのだろう
か、厳しい環境が逆になせることなのだろうか、それも神の計画に
入っていることなのだろうか。分かったような、分からないような
問いかけを旅の終わりに再起させられて、結構の旅をしている自分
を不思議に納得している。

上沼昌雄記

「書き記すこと、旅を」2009年11月4日(水)

ウイークリー瞑想

 6週間近い日本での奉仕を終えて無事に孫の世話に来ている
妻のいるダラスに帰ってきました。家に戻る旅がまだ残っています
が、妻と孫に会えてホッとしています。義樹はシンガポール、マ
レーシア出張と言うことで、私たちは太平洋上ですれ違ったようで
す。その日本での最後の一週間ちょっとの旅を思い起こしていま
す。日替わりの多様な時をいただきました。

 次の日の礼拝のために最上川の隠れ家を出て、乗り放題のJR
を使って、山形新幹線で福島に出て、東北新幹線で仙台まで登り、
そこからさらに八戸に行きました。八戸からは特急で青函トンネル
と通過して函館に入り、そこからさらに特急で、全部で12時
間かかって札幌に入りました。札幌駅から地下鉄で発寒南という駅
で札幌西教会の沈牧師が迎えに来てくれました。夕方まで役員会が
あり、役員の方々と夕食をしましょうと言うことでした。

 食事のテーブルに一組のご夫妻がおられました。食事が始まって
隣におられたご主人に「あれはいつだったのでしょうかね」と伺い
ました。それだけで私の質問の意味を分かってくれました。10
年前のことでした。この教会の夫婦セミナーで奥様を「ひまわり」
と言われ、さらに「見下ろされているような気がする」と言われた
のです。当時はまだ信仰を持たれていなかったようですが、今はご
夫婦で奉仕されています。と言うことで食卓は花と木のたとえの復
習の時となりました。

 礼拝には北見から吉田ご夫妻が来てくださいました。教会は二つ
の礼拝を守り、沈牧師をリーダーに新しい進展に向かっています。
夕礼拝を竹本牧師の希望の丘教会で持ちました。「父の功罪、母の
恵み」ということで、父親のことを中心に語りました。その前に
「雄羊の会」という男性だけの会で夕食の時を持ったときに父親と
してのアブラハムのことを分かち合いました。

 月曜の朝に早朝祈祷会に出席しました。朝飯を竹本牧師と一緒に
させていただいて、札幌からJRで秋田に入りました。石川宅
で同じ秋田出身で千葉の柏で伝道牧会されている佐々木牧師ご夫妻
と一緒になりました。豊かな夕食をいただきながら秋田での宣教師
たちの開拓の苦労話を聞くことができました。そんなこともあって
火曜の朝には前日に竹本牧師からいただいた『宣教師イヴァ・グ
ラースとこの時代』を仙台に向かう新幹線のなかで読むことになり
ました。

 仙台では鈴木牧師ご夫妻と昼食をいただいたあとに、表の私と裏
の私から、裏の私を訪ねて見いだす情景と、その到達点と言えるの
かどうか分からないのですが、心の核を映像化してみる作業をいた
しました。振り返りながら書き記すことで、分かち合うことはしま
せんでした。その夜最上川の隠れ家に戻ってから神学モノローグ
「アメリカ、アメリカ、アメリカ」の原稿を書きました。ともかく
書き記すことが大切なのだと思って書いてみました。

 水曜日は最上川沿いで農業を営みながら小説を書いている方が最
上川の舟下りに連れて行ってくれました。行く道中も山道を通りな
がらある村落を舞台にした小説を書いたことを話してくれました。
ともかく物語が出てくるというのです。舟下りは12キロを
1時間かけてゆっくりと下ります。水辺から真っ盛りの紅葉を見上げ
ることになります。山辺がそのまま河に下っている峡の間を最上川
は悠然と流れています。何とも贅沢な時をいただきました。

 木曜日には宇都宮の郊外のホームに99歳の大村晴雄先生を
訪ねました。すでに連絡をしていたのですが、待ってきてくれまし
た。いつものようにイラク戦争にでた義樹のことを尋ねてくれまし
た。最近もたれた聖書研究会のことをとてもうれしそうに話してく
れました。イザヤ書の15章にまで来ていると言うことです。
ヘーゲル研究会でイエナ時代のヘーゲルを読んでいると言うこと
で、論理の学のLogikをLogosにしたらそのまま「キリ
ストの学」になるという興味深い話をしてくださいました。失礼を
する前にいつものように「祈ってよ」と言うことで、お祈りをさせ
ていただきました。「アーメン」と信じられないほど大きな声で合
唱されました。年を取って信仰で生きる道をしっかり見せていただ
きました。

 金曜の朝に再度最上川の隠れ家から札幌に向かいました。その前
にすでに何人かの方に読んでいただいたモノローグを発信しまし
た。札幌の男性会が「雄羊会」と名付けていることもあって、その
まま『雄羊』という本を長い列車の旅で読みました。ジャック・デ
リダというアルジェリア出身のユダヤ人哲学者の書いたものです。
当然アブラハムがささげた雄羊です。彼の思想が日本人哲学者の高
橋哲哉にも影響しています。この人のインタビューが『ミニスト
リー』という新しい雑誌に登場していて、友人のフリーランス・ラ
イターの山川曉氏が送ってくれました。

 土曜の午後に北海道KGK卒業生会の「ファミリー交わり会」
で「夫婦の成長を楽しむ」ということで、夫婦で花と木でたとえる
ことから始まって、夫婦が互いに耳を傾けるべきことを作業のよう
にさせていただきました。卒業生会がすでに一つのファミリーと
なっていることを知りました。その後千歳飛行場で何とも北海道ら
しいみそラーメンをかけ込んで仙台まで飛びました。そこでなんと
シオン教会の坂本牧師ご夫妻が出迎えてくれました。

 最上川沿いで始まっている礼拝とシオン教会での礼拝を許されま
した。舟下りに連れて行ってくれた方も礼拝に集ってくれました。
昼を教会で用意してくれたサンドイッチを食べながらこの方の放浪
の人生物語を伺うことができました。そこで経験したことが今に生
きているようです。悔いはないが報いを受けていると言います。夕
食は隠れ家のご夫妻が4年間過ごされたネパールのカレーを
作ってくださいました。それしか言いようがないのですが、とても
印象的な味です。

 月曜の朝、年が明けての再会を期して、帰国の途につきました。
ダラスへの途中のシカゴの飛行場で瞳家族としばらくの時を過ごし
ました。ダラスではルイーズが迎えてくれました。義樹はすでに留
守でしたが、義樹の奥さんのお母さんも滞在中で賑やかな家族の中
に入りました。このようにして24時間以上の旅を無事に終え
ることができました。寒波に襲われた日本より温かいので体には楽です。

 書くこと、エクリチュールをデリダは哲学のテーマにしていま
す。書くことは言葉である方向に導きます。言葉が発せられたとき
の思いを無視して進むこともあります。時代のなかで作り出された
言葉でさらに別な方向に進むこともあります。そんな言葉の弊害を
乗り越えて、さかのぼって言葉の手前に届こうとしているようで
す。そんなこと思いながらこの一週間余のことを書いてみました。

上沼昌雄記

「アメリカ、アメリカ、アメリカ」2009年10月30日 (金)

神学モノローグ

 今回の6週間近い日本での奉仕の間で、自分自身がアメリカ
に住んでいることもあって、またアメリカと日本を行き来しながら
奉仕させていただいていることもあって、うんと思わされ、えぇと
思わされ、えーと思わされることが3度あった。それで上のタ
イトルとなった。

 最初は戦争反対を唱えている方が、多少あることで議論が盛り上
がってきたことに合わせるように、アメリカの戦争のことを取り上
げてこられた。もっともな意見でもあるし、その考えは分かるので
あるが、反論を始めることも叶わないで、そのご意見を伺うことで
ことが流れた。アメリカでも戦争絶対反対の人々もいるので、特に
驚くことでもなかった。ただそのテーマが出てきたことに多少のた
めらいが全体にあった。むしろ正直に出してくれたことを感謝している。

 そのあと札幌での伝道会議の宣言文を友人が送ってくれた。随分
時間をかけて文章をまとめられたのだと思う。多様なテーマを見事
に網羅している。前文で過去4回の伝道会議を総括するように
して本論に移っている。4回目の沖縄でのテーマが「和解の福
音」であった。「沖縄の痛みを心に刻み」と大切なことを確認して
いる。和解のテーマで避けられないことである。日本と日本の教会
が負っていることである。いまだに光に照らされないで闇に覆われ
ている課題である。

 なるほどと思っていたところが、いきなり「ところが2001
年9月11日のアメリカ同時多発テロ以降の世界は、和解
ではなくて敵対の様相を呈し」と入ってきている。それで札幌での
伝道会議のテーマを「危機の時代」とすると言っている。同時多発
テロも「危機の時代」もそれ自体は大切で大変な課題なのである
が、自分たちが本来見つめるべき課題をどこか外に転嫁しているよ
うに思えて仕方がない。沖縄の痛みは、まさに日本と日本の教会が
戦争責任のことを含めていまだに負わされていることである。その
意味で自分たちの内側を真剣に見つめるべき課題である。「危機の
時代」はまさに「日本の教会の危機」として受け止められること
で、ことが始まることである。

 と思いながらも、宣言文のことを取り上げてもどうにかなること
でもないと思っていた。しかし、同じような思いにさせられること
があって、この記事を書くことになった。過ぎる礼拝の奉仕を札幌
でさせていただいた。友人の竹本牧師が、最近出版された『宣教師
イヴァ・グラースとこの時代』という本を下さった。不思議に読ん
でいた方が良いのであろうと思って読んだ。グラース宣教師とは多
少面識もあって宣教師の心を深く感じることができた。

 ところが後半になって、前半とは全くと言っていいほど趣が変
わって、というのか、流れが変わってアメリカの宣教師によるいわ
ゆる「成果主義」の批判に移っている。最後の座談会もその批判が
何度も出てくる。「日本の福音派の根本問題はアメリカ追随のやり
方をしてきたことにある」とも言っている。前半の宣教師の心と姿
勢をとても親しみのある文章でまとめてくれていて引き込まれる思
いで読んできたので、このような部分に接してためらいと違和感を
覚えた。本を下さった竹本牧師はその座談会で「ただのアメリカ批
判にならないように」と、北海道での宣教師との関わりのなかで建
徳的な意見を述べている。

 そのような批判を読みながら、先の宣言文と同じで、日本の教会
がすでに自分たちの課題として受けと得るべきことをしていない
で、その責任を転嫁しているようで、まさに日本の教会の危機を覚
えさせられた。もはやそんなことを言っているときではなくて、自
分たちの課題として内側からどのように変えていくことができるの
か真剣に取り組んでいくときである。少なくとも日本とアメリカの
教会を観ながら自分自身の課題と思わされている。アメリカの教会
もそれなりにしっかりと取り組んでいる。それを見ないですぐに役
立つようなプログラムに飛びつくのはこちらの問題である。

 札幌から帰途秋田によって交わりをいただき、秋田から仙台に向
かう新幹線のなかでこの本を読み出した。盛岡への峠の紅葉は目を
見張るばかりであった。常緑樹の秋田杉に黄色、オレンジ色、紫、
赤がちりばめられた山肌の芸術作品に見とれていた。と同時に本の
あちらこちらの部分に見られる後味の悪い読後感がよみがえってき
た。不思議に村上春樹の歴史感覚を思い見ることになった。アメリ
カの苦悩をしっかりと捉え、日本の闇を見据えて小説の背景にして
いる日本人小説家の格闘に襟を正される思いがする。必ず小説に戦
争と大学紛争のことが出てくる。それは命をかけてのことである。

 伝道と宣教は本来命がけのわざである。宣言文を読んでも、本の
後半にでてくる「違和感」を感じる部分を読んでも、すれ違いとい
うか、責任転嫁というか、歴史感覚の遅れを感じる。日本の教会は
今、命がけのことに取り組んでいく責任が問われているように思え
て仕方がない。

上沼昌雄記