「風土と信仰」2009年11月19日(木)

神学モノローグ

 

 11月の初めに日本での奉仕を終えて、孫の面倒のために長男のところに来ていた妻に合流するために、シカゴ経由でダラスにきた。北の郊外に居を構えている長男宅にしばらく滞在した。そして、昨日二日間のドライブをしてようやくカリフォルニアに戻ってきた。気温は下がっていたが晴れ上がった空の下、一日12時間ただ黙々と西に向かって運転した。

 

 ダラスからほとんど一日かかりでテキサス州を横切り、ニュー・メキシコ州、アリゾナ州の南部を横切るこのルートは、しかし、「砂漠横断ドライブ」といっても大げさでない。メキシコとの国境沿いにあるエル・パソ、アリゾナ州のフェニックス、カリフォルニア州のパーム・スプリングなどは知れているが、あとはよくここに人が住んでいるなと感心するような町を通過するだけである。所々に廃墟になった家々が立ち並んでいる。ともかく、ただそこにある大地とそこにある大空を、見ながらと言うより、それしかないので目に入る情景をただ後にしながら妻とドライブした。

 

 この秋の日本の奉仕は結構の移動をすることになった。車窓から眺める黄金色の稲穂と刈り取りの様子、少しずつ色づいていく柿とリンゴの木、道東でのタマネギの収穫、そしてそれを囲む青々とした海、ともかく豊かな自然に恵まれ、さらに季節の変化に沿うように醸し出だされる絵物語を思い出した。その豊かさと変化を食卓でも味わうことも許された。そんな場面が、枯れた大地のなかを走っている国道をただひたむきにドライブしている脳裏に浮かんできた。いただいた料理を思い出してはつばを飲み込んだ。

 

 同時に、今回日本に滞在している間に岩波新書から出た『和辻哲郎—文人哲学者の軌跡』を思い出した。著者はレヴィナスの『全体性と無限』の訳者の倫理学者の熊野純彦である。思い出した核心部分は、大学時代に信仰者として和辻哲郎の『風土』を読んで、砂漠の中から出てきた旧約聖書の民と、温暖な農耕文化から出てきた日本の違いが、信仰、思考、生活、ものの見方・考え方のすべてに出ているという、考えてみたら当然のように思われるのであるが、そんな違いを明確に言い表しうる驚きと、それではどうしたらよいのだろうかというためらいを持ったことである。

 

 前にも書いたことがあるが、大学の講義で一番印象的であったのは、人文地理学の授業であった。半年期の授業であったが、最初の数回を講義して、あとは調査か何かで世界中を飛び回っていた教授がようやく戻ってきて、最後の授業で撮ってきたスライドを見せて、感想というか評価を求め、それが最終のただ一回の試験であったことである。意図はスライドを見ながら日本とどこが違うのかを見きわめることを求めていたようである。私は、それこそ和辻哲郎の『風土』を思い出したのかも知れないが、先生はそのように世界中と飛び回っていますが、それぞれの風土とその人のものの考え方とどのように関わっているのでしょうかと質問をした。教授が椅子に座り込んで頭を抱えるように、それこそ自分が一番知りたいことだと率直に言われた。風土と関係があるようであるが、同時にそのように紋切り型には割り切れなというのが、その教授の説明であったように思う。その場面を今でも覚えている。

 

 同じ関わりで、オックスフォード大学で地理学の教授であったジェームズ・フーストン師がカナダのリジェント・カレッジに移られたときに「魂の地理学」として霊性神学を始めたことである。その人がどのような自然環境で、どのようなものを食べ、どのような場所で遊び、どのような家庭環境で育ってきたのかが、信仰生活に深く影響しているという話しであった。そのためにクラスで生い立ちや、自然環境を振り返る作業をすると言うことであった。今回友が最上川の舟下りに誘ってくれた。確かに、ゆったりと流れているような最上川と、山から下りてきてこれから関東平野を流れていくその境にある利根川で育った人では川の印象が全く違うことは分かる。

 

 砂漠のなかを旅したイスラエルの民、約束の地に落ち着くことで堕落した民、後にヨーロッパという風土で育ったキリスト教、アメリカという大地を通過したことで獲得した福音主義、すべての根を腐らせてしまう沼のような日本でもがいている教会、決して自分たちで選び取ったわけではなく、それぞれ与えられたなかで神の旅としての生き様である。それでいてそれも神の計画なのだろうかと問いたくなる。問うても答えのない、それこそ一番知りたいことだといって椅子に自らを静めた教授の姿を思い出すだけである。

 

 あの広大なテキサス州で人は何を楽しみに生きているのだろうか、そんな問いに妻は、家族を中心に生活が動いているので、根本的なところで人々は満たしをいただいているのだと言う。確かに教会も家族中心に動いていることが分かる。カリフォルニアの教会とは異なった落ち着きがある。バイブル・ベルトと言われるだけのものを持っている。カリフォルニア州に入ってLA郊外に近づくにつれて、運転の慌ただしさを感じながら、ダラス郊外のゆったりとした運転がうらやましくなった。何がそうさせているのだろうか、厳しい環境が逆になせることなのだろうか、それも神の計画に入っていることなのだろうか。分かったような、分からないような問いかけを旅の終わりに再起させられて、結構の旅をしている自分を不思議に納得している。

 

上沼昌雄記

 

 

神学モノローグ

「風土と信仰」20091119日(木)

 

 11月の初めに日本での奉仕を終えて、孫の面倒のために長男のところに来ていた妻に合流するために、シカゴ経由でダラスにきた。北の郊外に居を構えている長男宅にしばらく滞在した。そして、昨日二日間のドライブをしてようやくカリフォルニアに戻ってきた。気温は下がっていたが晴れ上がった空の下、一日12時間ただ黙々と西に向かって運転した。

 

 ダラスからほとんど一日かかりでテキサス州を横切り、ニュー・メキシコ州、アリゾナ州の南部を横切るこのルートは、しかし、「砂漠横断ドライブ」といっても大げさでない。メキシコとの国境沿いにあるエル・パソ、アリゾナ州のフェニックス、カリフォルニア州のパーム・スプリングなどは知れているが、あとはよくここに人が住んでいるなと感心するような町を通過するだけである。所々に廃墟になった家々が立ち並んでいる。ともかく、ただそこにある大地とそこにある大空を、見ながらと言うより、それしかないので目に入る情景をただ後にしながら妻とドライブした。

 

 この秋の日本の奉仕は結構の移動をすることになった。車窓から眺める黄金色の稲穂と刈り取りの様子、少しずつ色づいていく柿とリンゴの木、道東でのタマネギの収穫、そしてそれを囲む青々とした海、ともかく豊かな自然に恵まれ、さらに季節の変化に沿うように醸し出だされる絵物語を思い出した。その豊かさと変化を食卓でも味わうことも許された。そんな場面が、枯れた大地のなかを走っている国道をただひたむきにドライブしている脳裏に浮かんできた。いただいた料理を思い出してはつばを飲み込んだ。

 

 同時に、今回日本に滞在している間に岩波新書から出た『和辻哲郎—文人哲学者の軌跡』を思い出した。著者はレヴィナスの『全体性と無限』の訳者の倫理学者の熊野純彦である。思い出した核心部分は、大学時代に信仰者として和辻哲郎の『風土』を読んで、砂漠の中から出てきた旧約聖書の民と、温暖な農耕文化から出てきた日本の違いが、信仰、思考、生活、ものの見方・考え方のすべてに出ているという、考えてみたら当然のように思われるのであるが、そんな違いを明確に言い表しうる驚きと、それではどうしたらよいのだろうかというためらいを持ったことである。

 

 前にも書いたことがあるが、大学の講義で一番印象的であったのは、人文地理学の授業であった。半年期の授業であったが、最初の数回を講義して、あとは調査か何かで世界中を飛び回っていた教授がようやく戻ってきて、最後の授業で撮ってきたスライドを見せて、感想というか評価を求め、それが最終のただ一回の試験であったことである。意図はスライドを見ながら日本とどこが違うのかを見きわめることを求めていたようである。私は、それこそ和辻哲郎の『風土』を思い出したのかも知れないが、先生はそのように世界中と飛び回っていますが、それぞれの風土とその人のものの考え方とどのように関わっているのでしょうかと質問をした。教授が椅子に座り込んで頭を抱えるように、それこそ自分が一番知りたいことだと率直に言われた。風土と関係があるようであるが、同時にそのように紋切り型には割り切れなというのが、その教授の説明であったように思う。その場面を今でも覚えている。

 

 同じ関わりで、オックスフォード大学で地理学の教授であったジェームズ・フーストン師がカナダのリジェント・カレッジに移られたときに「魂の地理学」として霊性神学を始めたことである。その人がどのような自然環境で、どのようなものを食べ、どのような場所で遊び、どのような家庭環境で育ってきたのかが、信仰生活に深く影響しているという話しであった。そのためにクラスで生い立ちや、自然環境を振り返る作業をすると言うことであった。今回友が最上川の舟下りに誘ってくれた。確かに、ゆったりと流れているような最上川と、山から下りてきてこれから関東平野を流れていくその境にある利根川で育った人では川の印象が全く違うことは分かる。

 

 砂漠のなかを旅したイスラエルの民、約束の地に落ち着くことで堕落した民、後にヨーロッパという風土で育ったキリスト教、アメリカという大地を通過したことで獲得した福音主義、すべての根を腐らせてしまう沼のような日本でもがいている教会、決して自分たちで選び取ったわけではなく、それぞれ与えられたなかで神の旅としての生き様である。それでいてそれも神の計画なのだろうかと問いたくなる。問うても答えのない、それこそ一番知りたいことだといって椅子に自らを静めた教授の姿を思い出すだけである。

 

 あの広大なテキサス州で人は何を楽しみに生きているのだろうか、そんな問いに妻は、家族を中心に生活が動いているので、根本的なところで人々は満たしをいただいているのだと言う。確かに教会も家族中心に動いていることが分かる。カリフォルニアの教会とは異なった落ち着きがある。バイブル・ベルトと言われるだけのものを持っている。カリフォルニア州に入ってLA郊外に近づくにつれて、運転の慌ただしさを感じながら、ダラス郊外のゆったりとした運転がうらやましくなった。何がそうさせているのだろうか、厳しい環境が逆になせることなのだろうか、それも神の計画に入っていることなのだろうか。分かったような、分からないような問いかけを旅の終わりに再起させられて、結構の旅をしている自分を不思議に納得している。

 

上沼昌雄記

 

 

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