「それでも自分の息子、、、」2009年11月12日(木)

ウイークリー瞑想

 父親のことでやり取りしている友が、英国人英会話教師リンゼー・アン・ホーカンさんの死体を遺棄した容疑で逃走を重ねていた市橋容疑者が大阪で逮捕された時に、インタビューに応じた両親のことについて、ご自分のブログに掲載する記事を送ってくれました。アキバ事件を起こした加藤容疑者の両親のインタビューについても、自分の思いを伝えてくれました。当然リンゼーさんのお父さんのことも記しています。友の心に父親への深く重苦しい思いがあります。

 「生きて捕まってくれて、、、ありがたい」という、世間体を意識した発言ではなく、生きて息子に罪に償いをしてほしいという母親の言葉に注目しています。そして父親も、報道陣からの多くの質問に理路整然と答え、自分の罪の様に謝罪し責任を持って、「それでも自分の息子、、。」とであると最後に言い放った、と言います。この言葉に友の心が突き刺されたようです。「息子の冒した罪を断罪して断絶して拒絶することは簡単である。しかし市橋の父の発言は父権の責任を十分に果たそうとしている」と、友は言います。

 市橋容疑者の父親のこの発言が、取りも直さず、友の心に自分の父親との葛藤を思い起こしています。学生時代に過激派のセクトに参加して火炎瓶を投げて警察に捕まった友を迎えに来た父親は「家名を汚した」となじっただけだ、と言います。出来損ないの息子と決めつけられて、許してもらえないという心の傷が自分自身を傷つけることになりました。「それでも自分の息子」と言ってくれたら、もっと素直になっていたかもしれない、もっと父親と話し合えたかもしれないと回顧しています。

 そして友は、自問するように言います。「もし自身の息子が犯罪に手を染めた時に『それでも自分の息子、、。』と言える彼の父のような人は一体どのくらいいるのだろう?」友は、市橋容疑者の父親の思いを、兄弟アベルを殺したカインの父親の思いと重ねながら、放蕩息子の父親の心と結びつけていきます。同時にそんな父親に帰還できない自分の心として見ています。自分自身への問いを深めています。「僕は何時になったら父の元に帰れるのだろうか?」そしてつぶやくように言います。「僕は父に許されぬまま一生を朽ち果てるのだろうか?」

 友の心の中の問いかけが響いてきます。どれだけの父親が「それでも自分の息子」と言えるだろう。自分は逃げてしまうのではないだろうか。拒絶して、断絶して、自分とは関係のないことにしてしまうのではないだろうか。そんな問いを発する友の心がこちらを揺さ振ります。鋭く問われます。自分はどうなのであろうか。

 放蕩息子の物語は、放蕩息子の物語と言うより、その息子を受けいる父親の物語かもしれません。父性に帰還できないで彷徨っている息子を受けいる父親の物語です。「父たちよ、子供たちを怒らせてはなりません」と言われている父親の帰還の物語です。父親が父親になる物語です。

 この友の父親とのことは、2003年に出した『夫たちよ、妻の話を聞こう』で記しています。それ以来不思議に父親のこと、父性のことでいろいろな角度からやり取りが続いています。そのやり取りには村上春樹も入ってきています。その村上春樹の新刊書『1Q84』のブック2の最後で、主人公の一人が意識を失った父親に自分のことを語りかけている場面は象徴的です。

 友の父を求める心の響きが、友の父への問いかけが、鳴りやむことのない海鳴りのように、遠くから届いてくる地響きのように、こちらを落ち着かなくさせます。

上沼昌雄記

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