「流氷の挨拶」 1 of 2 2010年1月20日(水)

ウイークリー瞑想

 折角なので学生時代過ごした北海道の冬も経験したいと思って、
そしてどうせならもっと北海道らしい道東の冬を経験できればと
思って、札幌から北見の日赤の医院長として赴任された吉田ご夫妻
にお願いして訪ねることになりました。永福南キリスト教会での礼
拝と午後の男性集会での「夫として、父として」というテーマの男
性集会を終えて、八戸、青森、札幌と夜行列車も入れて北見に来ま
した。前日は大雪で列車の運休もあったということですが、予定通
り辿り着きました。

 列車から北海道の雪を見ながら、そして思い切って道東まで来た
ことで、ともかくも目的が果たされたのでそれ以上は何も考えてい
なかったのですが、吉田さんご夫妻が折角なのでまたオホーツクの
海を見に行きましょうと言うことで、網走の宿まで夕刻ドライブし
ました。

 すでに暗くなっていたのですが、窓からオホーツクの海が静かに
波を立てているのが聞こえます。部屋の電気を消して向こうに網走
の町の明かりを見ながら、暗闇に覆われた海を眺めていました。い
つも静かなこのオホーツクの海は、不思議に心を静めてくれます。
しかしいまはしっかりと闇に覆われているのです。当然一日の半
分、一年の半分は暗闇に覆われているのですが、そんなことはない
かのように、そんなときは存在しないかのように思いがちです。

 この冬の時期に朝日が昇るのを眺められるかどうかと思いなが
ら、カーテンを開けて暁のオホーツクをしばし眺めていました。
覆っていた雲が日の出に合わせて移り去ってくれて、7時
ちょっと前に、知床半島の入り口近くにそびえている斜里岳の脇か
ら、待っていましたと言わんばかりに一条の陽を私に投げかけてく
れます。ただ私に投げかけてくれるように届いていきます。あっと
いう間に顔を出して、残された雲と山間の陰で恥ずかしそうな仕草
をしていました。しかしその陽は遠慮なしに波に乗るようにしてこ
ちらまで届いてきます。そしてまぶしいほどの陽が部屋の中にまだ
降り注いできます。

 太陽の下の網走はイメージとは異なって明るい街になっていまし
た。ショッピングモールの近くのマクドナルドでコーヒーを飲ん
で、流氷はまだ沖合はるかで観ることはできないでしょうが北
100キロほどの紋別にドライブすることになりました。網走湖、能取
湖、サロマ湖を眺めながら北上してもう一つの流氷の街紋別に着き
ました。沖合に突き出たところに海底を魅せてくれる博物館のよう
なものがあるというので伺いました。窓から海の底というか、海中
が眺められます。一つの窓に図鑑でもテレビでも観たこともない
30センチほどの魚が遊んでいました。眺めている私たちを逆に観察
しているようです。見たこともない海のなか、海の底には知り得な
い世界が展開しているのです。心の底を見せられた思いです。それ
でいてそんな世界は存在しないかのように振る舞っています。

 3階の展望台に行きました。オホーツクの海の向こうに何か
白いものが浮かんでいます。備え付けの望遠鏡で見ると紛いもなく
流氷です。かかりの人に伺ったら20キロほど先でしょうとい
うことですが、オホーツク・ブルーの海面に一条の白い線が走って
います。望遠鏡ではその一列の固まりが浮かんでいるのが分かりま
す。そのはずれにはひとかたまりの流氷が取り残されたのか、勝手
に離れているのか、ともかく楽しそうに浮かんでいます。何か流氷
のほうが私たちに挨拶に来てくれたようです。遠くからよく来てく
れたと行って、シーズン前にわざわざ出てきてくれた感じです。思
いがけない風景に驚かされました。

 創造の営みでの思いがけない出会い、それはむしろ知り得ない世
界の奥を垣間見させてくれます。神の配慮なのでしょう。もしかす
ると配慮以上の神の手だてなのかも知れません。わたしが世界の基
を据えたときにあなたはどこにいたのかとヨブに問いかける神のや
り方なのでしょう。父親のことを振り返りながら私たちの心の底に
届き、心の向こうから呼びかける神の導きなのでしょう。

上沼昌雄記

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