「おどろきとおののき」2010年2月1日(月)

神学モノローグ

 網走から北に100キロのオホーツクに面した街、紋別の港から300
メートルほど沖合にあるオホーツク・タワー。海底と海上30
メートルほどの展望台。流氷シーズン前の静かな一時。海底にある
16ほどの窓。私たちだけの展望台。ただ私たちだけを待っていてく
れたようなこの時。海底の一つの窓で出会った名も知れない魚。展
望台から水平線上に浮かんでいる一条の白い帯。備え付けの望遠鏡
で確認できた流氷の挨拶。何とも不思議なこの名も知れない魚と、
思いがけない流氷との出会い。しるし、今回の日本の旅。

 神のヨブへの最終的な回答、「わたしが地の基を定めたとき、あ
なたはどこにいたのか。」(38:4)そしてその続き、「あなた
は海の源にまで行ったことがあるのか。、、、あなたは地の広さを
見きわめたことがあるのか。そのすべてを知っているなら、告げて
みよ。」(38:16,18)ヨブへの答え!?

 今月末出版予定の『父よ、父たちよ』の最終稿の校正と三位一体
の神のチャートと表紙デザインの確認。アブラハムがイサクをささ
げることと恵みの継承についての3回の説教。「家庭における
父親の意味」と「家族を通して宣教を考える」のセミナー、父親に
ついて分かち合った男性集会、父親のことと子供の反抗のことにつ
いて語り合った数名の友人。両親の離婚のことを分かち合ってくれ
た3名の独身の男性。ご自分の離婚のことを子供たちに説明を
して、同時に息子さんから正直な意見を聞けたことの証言と、その
息子さんとの会食。

 そんな父親のことを取り上げているときに、個人的には話ができ
なくとも、父親のことでその人の心の深くで何かが動き出している
ようなためらい。思い出したくない、しかしいつも引っかかってい
ることが浮かんできて、そのことでの心のおどろき。そこにまで神
の恵みを届けていくことの赦しの大きさへのおののき。何か自分の
心の海底に初めて入って、名もないドロドロした父親への感情に出
会ってためらっている表情。話を聞きながら自分の心の出てきた名
もない魚を見つめている様子。

 父親のいやな記憶。それは父親のことの記憶でありながら、それ
は取りも直さず自分の記憶であること。そんな記憶を持っている自
分として神の恵みで救われ、生かされていること。とするならば神
はその記憶にまで届いてくれるという信仰。それによって父親から
解放され、御霊の自由をいただけること。神の前での私であるこ
と。後ろのものを忘れて、水平線上に浮かんでいる一条の光をたよ
りに進んでいくことができる喜び。おどろきとおののきが静かに浮
かんできている様子。

 身近な家族での従順なお嬢さんと反抗的なお嬢さんの話。どちら
がその人の人格に長い目でいいのだろうかと語り合った同志。従順
すぎるとその人自身が人格的に独立できないで最終的に苦しみ、反
抗的な場合は結果的に人格の独立をもたらすことの互いの結論に、
わが意を得たりと言わんばかりに「その意味では俺は救われている
のだ」と喫茶室で大声を上げた同志。父親と殴る蹴るの格闘をした
こと、そのことの後悔と解放。もう俺は父親を憎んでいないと晴れ
やかに語った顔。

 いまだ見たこともない心の海底、はるかに望み見る水平線上の一
条の白い線。そこまで行ったことがあるのか、そこまで極めたこと
があるのかと問いかける神。留まっていたら駄目になる私たちを、
どこかに引き出そうとしておられる神の配慮。恵みの浸透を最大限
に引き延ばそうとされる神の計らい。思い切ってオホーツクまで来
たことで知らされたおどろきとおののき。そのように誘ってくれた
友人ご夫妻の愛。凍り付いたオホーツクの海辺で拾った小さな流木の夢。

上沼昌雄記

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