「死が聞いたといううわさ」2010年2月10日(水)

神学モノローグ

 ヨブ記28章は何という章なのであろうか。神の知恵の出所
の神秘と言ったら良いであろうか。人は、鉄も銅も銀も金もその出
所を見いだし、光の下に引き出すことができる。しかし、知恵と悟
りをどこにも見いだせない。なぜ無用な苦しみを受けなければなら
ないのか、その答えをどこにも見いだせない。深い淵も「私の中に
はそれはない」と言い、海も「私のところにはない」(14
節)と言う。それはオフィルの金でも、サファイアでも、エチオピ
アのトパーズでも代用することができない。

 そのうえで、「では、知恵はどこから来るのか」(20節)
とヨブが自問する。「それはすべての生き物の目に隠され、空の鳥
にもわからない。」(21節)そして不思議な表現が続く。
「滅びの淵も、死も言う。『私たちはそのうわさをこの耳で聞いた
ことがある。』」(22節)レトリカルな言い回しである。そ
れでも、すべての生き物の目に隠されていて、ただ死はそのうわさ
を耳にすることができる。ヨブがどこかでこの世界を超えたところ
で知恵を聞き出そうとしている。それは取りも直さず神の道であ
る。それで続く、「しかし、神はその道をわきまえておられ、神は
そのところを知っておられる。」(23節)当然ヨブも知るこ
とができない。ただ死だけがそのうわさを聞いた。

 ホロコーストの生き残りで、ユダヤ教徒の哲学者レヴィナスが、
ナチスに関わったハイデガーの存在の問いの哲学に対して、「他
者」の哲学を打ち出すことで戦後のヨーロッパに新しい道を切り開
いた。同じユダヤ人の詩人で両親を強制収容所で失い、自分も強制
労働をさせられたパウル・ツェランが、どこかでハイデガーの思索
と詩作に惹かれながら、逆にハイデガーを自分の詩のなかに引き込
んでしまったという、何とも不可解な関わりで戦後の思想界の複雑
さを示している。

 「死のフーガ」という戦後すぐに出た詩がある。パウル・ツェラ
ンの初期の代表作である。この詩はしかし、「アウシュヴィッツ後
に詩を書くことはもはや野蛮だ」という哲学者アドルノの言葉を覆
すことになった。しかし同時にそれは、パウル・ツェランを四半世
紀後には死に追いやることにもなった。

 600万の同胞の死、そこに含まれる母の死、その死に耳を傾
け、その死だけが聞き届ける声を詩に変える作業。そんな声々を、
パウル・ツェランは、夜の闇に、海に、砂浜に、木々に、植物たち
に、昆虫たちに、風に、鳥たちに、灰に、じっと耳を傾けて聞こう
とする。自死の3年前に歌う。「糸の太陽たち/灰黒の
荒蕪地のうえ。/一つの木の/高さの思念が/光の
音色をさぐり奏でる、――まだ/歌うべき歌がある、人間たちの/
彼方に。」

 そんな世界にハイデガーが引き込まれていく。ハイデガーは、存
在そのものの思索は詩作でしか表されないとみる。ヘルダーリンの
詩の解明に全力を注ぐ。そのヘルダーリンの向こうにパウル・ツェ
ランをみた。それは歴史の悲劇であった。

 人間たちの彼方に、まだ聞くべき知恵があるとヨブは気づく。そ
れは死だけがうわさとして聞くことのできるもの。そんな死がかつ
て大きく口を開いた。そして何とかその口を閉ざそうとしている。
美しい神学もそれに加担している。そんな美しい神学にヨブは聞き
飽きたと言う。ヨブは何とか死だけが聞いていたうわさに近づこう
とする。そしてまもなく神は嵐の中からヨブに答えられる。

上沼昌雄記

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中