「書物の民」2010年3月15日(月)

 ユダヤ人思想家のものを読んでいると自分たちを「書物の民」と
呼んでいる文章に出会う。シナイ山で律法をいただいた民として当
然の理解なのであろうと思っていた。しかし何人かの文章を読んで
いるなかで、それも当然といえば当然なのであるが、国を追われ、
四散し、彷徨っている民にとって、書物は彼らの国であり、故郷で
あり、家であり、住処であるという意味で「書物の民」と呼んでい
ることがわかる。日本という国を持ち、前橋という故郷を持ち、出
てきた家を持っているものには理解できないことである。なんと
言っても、書物はユダヤ人の存在証明であり、神の居場所の主張な
のである。

 エジプトで裕福なユダヤ人家庭に生まれ育ったエドモン・ジャベス
は、1957年のスエズ紛争で当時のナセル大統領によるユダヤ
人国外退去にあってフランスに移り住んだ。文字通りの「出エジプ
ト」を経験することになった。そのことでユダヤ人として、ユダヤ
教徒としてのアイデンティティーを探求し続けることになる。拠る
べき土地も、頼るべき社会も、積み重ねる財産も持ち得ない民に
とって、板に記され、羊皮紙にすり込まれ書物は、消すことのでき
ない記憶として民のなかに刻まれ、生かされていることを知る。記
憶を誰も消すことはできない。ホロコーストでさえその記憶を灰に
することはできない。

 そのエドモン・ジャベスが『問いの書』という不思議なタイトル
の本でいう。「《私は書物のなかに存在する。書物とは、わが世
界、わが祖国、わが家、そしてわが謎である。書物とは、わが呼吸
でありわが安息である。》私はめくられるページとともに起き、記
されるページとともに横たわる。《私は、それですみかを築くこと
ばの一族に属している》、と答えることができること。この答えが
さらにひとつの問いであり、このすみかは絶えず脅威にさらされて
いることをはっきりと知りつつも。、、、神が存在するのは、神が
書物のなかに存在するからだ。」(39頁)

 神が書物のなかに存在し、自分たちも書物のなかに存在する。そ
して民はいまだに約束の地を求めて彷徨っている。地から切り離さ
れ、国を失い、地の果てに散らされ、いまだに住処は脅威にさらさ
れている。すでに書物に記されていることであり、いまだに続いて
いることである。神も書物のなかで苦しんでいることがわかる。書
物は拠り所でありながら、なぜという問いが続いて吹き出てくる。
その問いが書くことを勧める。書物の民はタルムードを生み、その
また注解を生みながら、書くことで存在を確認している。それ以外
にどこに行けるのであろうか。書くことが神への問いであり、自分
たちの存在証明である。書き続けることは生きているしるしである。

 聖書信仰を標榜している私たちも「書物の民」と言えるのであろ
う。しかし現実には全く違うのかも知れない。国を追われ、四散
し、いまだに故郷を求めている民ではない。私たちには好むと好ま
ざるとに関わらず日本という国があり、同化し同時にはみ出される
社会があり、記憶であり嫌悪である家族があり、願いであり苦しみ
である教会がある。どんなに逆さになってもデアスポラの民ではな
い。赤城山が待っていてくれる。空っ風が体を吹き抜ける。旧友に
会うことができる。教会の居心地良さと悪さが交互に思い出される。

 それでも神の国を求めている寄留の民と言うことができる。しか
しデアスポラの民に比べたら観念の世界のことである。美しい思念
の世界のことである。同じように私たちも聖書を大切にし、原語で
読むことを心がける「書物の民」と言える。それでも離散の民でな
いのでどうしても「聖書信仰」も観念の世界になる。聖書理解はこ
うあるべきという理念の世界になる。美しい神学のイデアの世界となる。

 先祖がイタリアからエジプトに移り住んで財産を築き、そのエジ
プトから追われてフランスに移り住む。文字通りの出エジプトを経
験することで、国を失い、財産を失っても、なおそこにある書物に
アイデンティティーを見いだす。寄留の民であってもなお帰ること
のできるところ、それが書物である。その書物の上に自分たちの歴
史を、処すべき処世術を、苦しみのなかで見いだした格言を書き続
ける。『問いの書』はそのようにして書かれた。

 書くことは存在証明である。書き続けることは生きているしるし
である。

上沼昌雄記

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