「合い言葉—月がふたつ」2010年6月7日(月)

 今回の秋田滞在の間に村上春樹の『1Q84』のBook3が
出た。ちょうどのその発売日には旅行で出かけていたのであるが、
石川さんの奥様が知り合いの方を通して取り寄せてくださり、届け
てくださった。階段に置かれていたこの本が何かを呼びかけている
ようであった。週末にぶつかってエレミヤ書の学びと説教の準備を
しながら盗み読みをした。そんな楽しい記憶がよみがえってくる。

 この方が村上春樹の本を読むことになるとは想像していなかった
のであるが、数年前から読み出して、このBook3もアマゾンで
取り寄せて発売日に届けられたという方を、4月後半にお訪ね
した。まだ読み終わっていないが、あの月がふたつあることがどの
ようになるのか気になると言う。そして一緒に食事をしているとき
に聞き覚えのある音楽が流れてきた。「あれでしょう」と言ったら
にっこりと笑われた。ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」である。
『1Q84』の最初に主人公が1984年から1Q84の世
界に入っていく時の音楽である。そのCDを買って聞いている
ことが分かった。そんなお互いの入れ込みが分かっておかしかった。

 そして先週初めに伺っても、月がふたつある現実を想像しながら
楽しそうに話してくる。あたかも、月がひとつの世界からふたつの
世界に自分も移されたような感覚で語ってくる。月はひとつだけだ
という、分かり切った、誰にでも一見当然な世界ではなくて、月が
ふたつでもおかしくない世界に恵みによって生かされている。そん
な広がりと高みを楽しんでいるようである。身の回りにおかしなこ
とが起こっていても、現実に思いがけない恵みのなかで生かされて
いるのであるが、それは月がふたつだからだと言う。月がふたつの
世界だったら何が起こってもおかしくないという、開かれた態度である。

 この方は数年前に意を決して、今までのクリニックを譲って、ネ
パールでの医療活動に従事してきた。その経験がなかったら月がふ
たつというのは分からなかったと言う。そんな冒険をしなかったら
月はひとつのままであると言う。思いがけないこと、思いもよらな
いことを経験することで、次の新しい道が開かれている。思い出せば
『1Q84』が最初に出てから、月がふたつと口癖のように言っ
ていた。そんな世界を経験されてこられた。

 それ以来、月がふたつというのが合い言葉のようになった。月が
ひとつという分かり切った世界に信仰も閉じこめられて、身動きも
取れない状態で苦しんでしまうことを身近に感じさせられる。本来
月がふたつでもおかしくない恵みの世界を、道理と理屈と論理で分
かり切った世界に閉じこめようとする。それで納得し、解決しよう
とする。しかし同時に行き詰まってきている。だから月がふたつで
もおかしくないと村上春樹は叫び、多くの人はそのように受け止め
ている。信仰者がどういう訳か月がひとつと言い張ろうとしている。

 Book3の最後は月がひとつの世界に戻る。しかしこの方はそ
こからまた別の世界に入りそうだと言う。確かにそんなことを予感
させながら終わっている。その別な世界でまだ解決されないといけ
ないことが取り扱われるかのようである。次にはどんな合い言葉が
出てくるのか楽しみである。

上沼昌雄記

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