「イチローと村上春樹」2010年9月24日(金)

 しばらく前は、今年のイチローは200本安打が大丈夫かとい
うような記事をネットで読んでいた。確かに一時大夫停滞していた
のを覚えている。イチローも衰えが出てきたのだろうかとも思っ
た。しかし9月に入っていつものような量産が始まってあれよ
という間に、昨日見事に10年連続200本安打を達成し
た。昨日は家にいてハイスピードのネットがないので観られなかっ
たが、いま事務所に来て大リーグのウエブでビデオを観ることがで
きた。昨年は9月の初めに、9年連続の新記録をテキサ
スの球場で、しかも夜更けに達成したのを覚えている。今回は快晴
のもとトロントでのことであった。それにまつわる記事とインタ
ビューも読むことができた。

 すでに69歳になっているピート・ローズと比較されている。40
年近く前にシカゴ郊外で学びを始めたときに、妻の友人たちから
ピート・ローズのことを聞いていた。そののち監督時代に野球賭博
に関わって球界を追われる身になったのだと思う。それでも彼の記
録は超えがたいものと残っている。それを「超えてあげたい」とま
でイチローは言う。そんなことを言えるイチローの、強さではな
く、柔軟性に思いを馳せている。強さでは勝てないし、強さだけで
はここまで来ることはできなかった。強さをすり抜けるというか、
力と力の間の隙間をすり抜けるような柔らかさが彼にはある。

 三塁手が突っ立っていると思ったらその前にバンドをして、悠々
一塁に走り抜ける。どんな強肩な捕手でも年で衰えてきたと思った
ら、遠慮なしに二塁でも三塁でも滑り込んでしまう。ヘンス際の
ボールであればよじ登ってホームランを阻止してしまう。レーザー
ビームと呼ばれた外野から三塁手へのボールはランナーの手前しっ
かりと届いてしまう。いままでにない、そして忘れられない場面の
数々を提供してくれている。

 村上春樹の『1Q84』のブック3を、イチローの今回の快挙
の前に、何度目になるのか明確ではないが読み出した。そして、昨
晩読み終えることができた。1Q84という時代というか世界の
設定、そこでのふたつの月、マザとドウタ、レシヴェとパシ
ヴァ、20年にわたるロマンス、学園闘争と新興宗教、そんな
おかしな設定がなされていながら、自分のなかのどこかで置き忘れ
てきた古い荷物をもう一度開けられるような感覚を覚える。読む度
にその感覚が深くなる。月がふたつだとか、1Q84のおかしな
世界が、架空のものでなく、自分のなかのどこかで置き忘れてき
て、思い起こさせられるものとなるのである。

 神学書を読み、コメンタリーを読み、哲学書を読み、また自分な
りに小説を読んでいるが、多くの場合に正面から語られている感じ
がある。これが問題でだからこうしたらよいというテキスト的とい
うか、回答提供型のものが多い。当然それなりに意味があるが、物
足りなさが残る。自分のなかの触れられていない面がいつまでも、
水の下に留まっている濁りかすのように心の隅に残っている。

 村上春樹が書くものはその正面の課題をすり抜けているところが
ある。何を村上春樹は言いたいのかと問われると、そんな問いを上
手にすり抜けて、いつの間にか背後に回っていて、問いをかけた人
も気づかない意識の背後を揺さ振るのである。『1Q84』の
ブックレビューに、こんなのは小説でないという酷評がある。そう
も取れるのだろうと素人ながら思う。それありながら、日本語の限
界をあっさりすり抜けて、世界中で読まれてしまう。

 イチローの今回の200本安打が二遊間をきれいに抜けていく
のを何度も観ながら、村上春樹の文章が私のなかの二遊間の守りを
きれいに抜けて、自分でもまだ分からない意識の背後にボールが転
がっていているような感じがしている。そんなことができるふたり
のしなやかさに恐れ入っている。そのためにこのふたりが怠りなく
自分の可能性の限界を伸ばそうとしている努力には驚異すら感じる。

 同じバッターフォームでは10年も毎年200本安打は打
てないことをイチローは知り尽くしている。『ノールウエイの森』
でも『世界の終わりとハードボイルで・ワンダーランド』にして
も、それと同じスタイルでは、自分がいずれ死んでしまうことを村
上春樹は知っている。このふたりのしなやかさは、信仰の新しさを
いただいているものが当然身に着けていないといけないのだが、ど
うも自分のなかで逆になっている。

上沼昌雄記

追伸:イチローのことを取り上げたメジャーリーグのドキュメント
が、アメリカの公共テレビ局PBSでこの28日と29日の2晩にわたって特集
されます。以下のところです。http://www.pbs.org/baseball-the-tenth-
inning/

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