「Mission Accomplished」2010年10月12 日(火)

 この二日間ほど友人の厚意をいただき、大阪市内に滞在していま
す。大阪の南にある教会の牧師ご夫妻を訪ねる目的がありました。
義父の日本での宣教活動に関してインタビューしているときに、こ
の牧師が信仰に導かれる過程を殊の外うれしそうに語ってくれまし
た。それで今回の日本滞在の折に訪問したいと思い、実現しました。

 宣教活動の後半は多大な労力を注いだのですが、思い通りに行か
なかったという思いと、その後の教会の歩みをみて落胆しているこ
とを折々に感じていました。しかし前半の宣教活動では何人かの人
が導かれて牧師になっていることを知りました。その中のひとりな
のです。しかもこの方のことは最も記憶に残ることというのです。
その旨をお伝えしましたら、懐かしそうに感銘を受けていました。

 教会は幼稚園、塾、ダンス教室、シニアの集い、ともかく地域の
人に届こうと努力し、実際に届いていることが分かります。3
年前に改築をしたときに講壇の後ろに「納骨堂」ではなくて、「納
骨室」を付け加えた話をしてくださいました。お墓が別なところに
なって、その繋がりという意味での「納骨室」です。教会のメン
バーの家族の人が教会に親しみを感じてくれていると言うことで
す。礼拝は子どもさんを入れて270名ほどということです。

 先週名古屋でこの訪問の計画を知り合いの牧師に話しました。こ
の教会が活発に地域に伝道していることを話してくれました。今回
も金曜日の夕方に東海聖書神学塾のチャペルでの奉仕が許されまし
た。この数年伺っています。そこに大阪から新幹線通学をしている
兄弟のことを知っていました。その兄弟がこの教会から遣わされて
いるのです。大阪にも神学校がありながらこの牧師は名古屋のこの
神学塾にあえて送っています。

 宣教師の身を削るような犠牲的な伝道のなかで、ほんのわずかに
導かれた人が、さらに遣わされて大阪の南で大きな実を結んでいま
す。宣教活動の難しかったこと、落胆すること、そのことに心が占
められているのですが、宣教のために費やした労は、忘れたような
ときに思いがけないところでしっかりと実を結んでいるのです。そ
こからさらに神学校に導かれる人が起こされて、時間と場所を越え
て実を結んでいます。

 ヨナが神に怒っていても、また怒ったままで生涯を終えても、ヨ
ナを通しての神の目的は果たされています。Mission
Accomplishedです。

上沼昌雄記

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“「Mission Accomplished」2010年10月12 日(火)” への 1 件のフィードバック

  1. 不思議な導きで「Mission Accomplished」を二年たって読んでいます。

    ヨナの物語に励まされています。
    お義父様の失意と落胆が伝わってきます。
    そんな人間の生々しい思いを超えた神様の計画を見せていただいています。

    生きている限りは、願わくは実をこの目で見て生涯を終えたいと思います。
    愛をかけて関わればなおさらです。
    でも時にそうでない結果や無駄と思える時間が過ぎていきます。

    このモノローグは、虚無に覆われている私のこころの深いところに静かな光をともしてくれています。

    母親の死から二年経って
    深い闇に向き合っています。

    クリスチャンとして何もできなかった 
    その思いに向き合っています。

    そんなひとりよがりな思いをこえて神様の計画が神様の思いの中でゆっくりすすんでいると感じています。

    失意のそこで私を支える大きな御腕を感じています。
    委ねています。

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