「100歳の大村晴雄先生の父」2010/10/22(金)

 今朝前橋在住の元群馬大学教授の小泉一太郎氏と前橋駅で合流し
て、宇都宮の郊外のホームに入られている大村晴雄先生を小泉氏の
ドライブで向かいました。神学校在学の折に大村先生のゼミを小泉
氏とご一緒させていただいた以来の交流です。オックスフォード大
学史の専門の小泉氏のイギリス体験からイギリス神学の奥深さを伺
いながらのドライブとなりました。日本生まれのイギリス人作家の
カズオ・イシグロの母堂に会われた話も出てきました。そのカズ
オ・イシグロの関わりで村上春樹の宣伝もすることになりました。

 私たちの来訪を大村先生は待っていてくれました。この5月
2日に100歳になられました。目のご不自由を覚えられていま
す。それでもヘーゲル研究会は続けているのですが、イザヤ書の聖
書研究を休まれているとのことです。それでどうしてイザヤ書を学
ばれているのですかと伺いました。そうしましたら、出身の海岸教
会の当時の指導者の聖書観がゆるいので袂を分かつことになった経
緯を話してくださいました。信仰と思索の土台としての方法論の明
確化はゆるがせにできないという信念を持たれています。大村先生
と最初にお会いしたのは70年代の初めのKGKの全国集会
であったことに納得がいきました。

 大村先生のその聖書についての信念がどこから来ているのだろう
かと思って、それはご両親から出ているのでしょうかと伺いまし
た。厳かにお父様の話を始められました。大正中期にお父様は
YMCAの主事をされていました。自由主義神学の影響のなかで、お父
様が聖書の「無謬性」を、そのような表現は使われていなかったと
しても、明確な聖書観を表明しておられたとのことです。当時とし
ては結構厳しい立場に追いやられることになったのではないかと想
像します。しかしそんなお父様の姿勢を尊いもののように話されま
す。日本のプロテスタント信仰の生ける水脈に出会ったような感じです。

 ヘーゲル研究会と聖書研究会、対等のような印象を受けるのです
が、ヘーゲルのテキストは単なる哲学文献に過ぎないとはばかるこ
となく言われます。しかしそのヘーゲルの哲学文献に聖書の源流を
見いだしておられるのです。何回か伺ったことですが、その話をさ
れるときには力がこもってきます。神学部出身のヘーゲルには当然
聖書の痕跡があり、その源流を辿ることができるのです。

 私の『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』で大村先生の
言葉「日本人の心の底にあるドロドロしたもの」を使わせていただ
きました。そこに触れてこられました。その時に植村正久のことを
話しただろうかと問うてこられました。大村先生の100歳を
祝って、先生の教え子たちが先生のエッセイをまとめて『日本独創
ということー昭和の哲学をめぐって』という冊子を出されました。
そこで大村先生が植村正久のことに触れています。彼の発言から
50年後、すなわち、1941年に「太平洋戦争が始まるが、日本
のプロテスタント教会は大きな過誤を犯すことになる」と言われて
いることに結びつくことが分かりました。日本人の心の底にあるド
ロドロしたものが聖書をも飲み込んでしまうと観ているのです。

 100歳の大村先生の信仰と聖書観の源流に触れました。その
源流であるお父様の信仰と聖書観はどこから来ているのだろうかと
聞きたくなります。そこまでは辿れないのですが、ただその水脈の
なかで小泉氏も私も生かされていることを実感します。同時にその
水脈を絶やしてはならない責任を負わされています。それは、すが
すがしい任であり、同時に、血が流される十字架でもあります。

上沼昌雄記

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