「最上川と信仰」2010年11月11日(木)

 最上川の隠れ家の周辺は神の介入で人の動きが激しくなってきて
いる。地域の人、信仰を持つ人、全体の動きをまとめる人、助っ人
のような人、庭の整備に集う人、そんな人の動きと同時に、周辺の
空間も落ち着きと暖かみを帯びてきている。神様の日だまりのよう
な雰囲気を醸し出している。

 東京のクリスチャンのフリーランスライターの友人の紹介で、隣
町の農民作家と知り合うことになった。隠れ家に滞在の折に温泉と
おそばを食べによく誘ってくれる。山形県は各市町村に温泉場があ
るという。一年前に聞いたこともない温泉場に連れて行ってくれ
た。月山を眺めながら透き通った湯船に体を休めることができた。
そしてすぐ隣の最上川沿いのカフェで、その時はおそばではなく
て、スパゲッティーを食べているときに、この最上川の上流にキリ
シタンの跡があると言い出した。

 それだけでなくて、山形の農民詩人として有名な真壁仁という人
の文章のなかに、最上川沿いの佐野原というところに隠れていた宣
教師が隠れきれなくなって、最上川沿いに酒田に下って、日本海を
渡って、さらにロシアを横断してローマのバチカン本部に帰った記
録が残っているということであった。事実としてありそうである。
また尊大なロマンスを感じさせる。ともかくこの友人の農民作家の
語ってくれたことに心が惹かれた。当然どこかで逃亡を助けたキリ
シタンもいたのだろうと想像する。

 今回この農民作家にお会いしたときに、その真壁仁の書いた文章
を持ってきてくれた。朝日選書の『流域紀行』という本の最上川に
関する文章のなかであった。次のように記されている。「何年かは
不明であるが、佐野原の宣教師が代官に追われて、最上川を渡り、
対岸の朝日岳山中に隠れた。村人はしばらく食物を搬んだ。その
後、山みちを酒田に出て、北海道、樺太、シベリヤをまわり無事本
国に帰った。戦後の27年、ローマから米沢の教会あて、地名
の問い合わせがあって、その帰国の道筋がわかった。」(176頁)

 この真壁仁という詩人は郷土史を綿密に調べているので確かな資
料に基づいているのだと思う。東北のキリシタン関係の他の資料で
も出て来ないこのような歴史をよく調べて書いてくれたと驚いてい
る。同時にその資料を確認したく思っている。真壁仁はもう一つ興
味あることも記している。それは昭和26年にこの佐野原とい
う部落で、女性の宣教師によって1村60名がこぞって洗
礼を受けて世間の注目を浴びたという。もともとはキリシタンの隠
れ里であったからである。

 こんな歴史を読んでいると、40年前にKGKの主事をして
いるときに、その佐野原の先の荒砥というところのホーリネス教会
の出身の姉妹が山大KGKの水曜会にいて、かなり奥地で活発な教
会活動がなされていたことを聞いていたことを思い出す。同時に
400年前の迫害と殉教の歴史が今にも人の心に深く影響して霊的な覚
醒を起こしているのだろうかと思わないわけにいかなくなる。最上
川沿いに神の日だまりができているのも無関係でないのかも知れな
い。キリストの信仰と殉教の血は深い水脈となって今に届いている
のであろう。

 ともかくこのことを紹介してくれた隠れ家の隣町の農民作家の方
と、真壁仁の文章に記されているこのふたつのことを共同で調べて
みましょうと確認をして、隠れ家を離れてカリフォルニアに帰って
きた。どんな資料に出会えるのか興味があるのと同時に、最上川沿
いから隠れながら400年前の北海道、樺太、シベリヤをまわり
バチカンまで戻った宣教師の足跡を想像するだけでワクワクしてく
るものがある。

上沼昌雄記

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