「伝道的な教会!」2010年11月23日(火)

 ロサンゼルスから南東に100キロほど行ったところにリー
バーサイドという町があります。ひとつ山を越えた向こう側で、郊
外と言うより、町外れの独立した町という感じです。その町ですでに40
年近く伝道している牧師がいます。グレッグ・ローリーです。すで
にメガチャーチのひとつになっています。ハーベスト・クリスチャ
ン・フェローシップです。

 激しい雨が降っていたのですが、最初の礼拝にゆっくり間に合う
ように出かけました。15分前の7時30分に教会の
近くの交差点に来ました。すでに駐車場に入る車が列を作っていま
した。雨降りなので礼拝堂の近くに停めることができるかと思って
きたのですが、全く外れに近いところになりました。雨に濡れなが
ら会堂に入りましたら、すでに7割ほど埋まっていました。こ
んなに早くよく集まるものだと関心をしました。

 そして最初の礼拝からすでにビートに乗った演奏が始まりまし
た。東久留米の教会で3回の礼拝をしてきましたので、早朝の
1回目の礼拝はどちらかというと静かに始まるものと思っていました
ので、すでに熱気に満ちた礼拝に目が覚めました。グレッグ・ロー
リー牧師も、どちらかというと全開モードで語り出しました。バル
コニーが付いていて、会堂としてそんなに大きな感じではないのです
が、2300人の客席があるということです。 斜めから講
壇と会衆全体が見回せる一番左側の内側の通路側に座りました。

 グレッグ・ローリー牧師はしっかりと45分間説教をしてい
ました。アメリカの教会は賛美30分説教30分で、きっかり1
時間でまとめていくのが大方のようなのですが、この牧師はゆっく
りと時間をかけて、マタイ福音書12章から「赦されない罪」
について語りました。それで3回の礼拝の時間の配分が分かり
ました。2回目が9時45分で、3回目の礼拝は11
時45分です。多くの教会が礼拝を終えるときに3回目の
礼拝が始まるのです。

 最初の礼拝が終わって、すでに雨が上がっている外に出て、新鮮
な空気を吸って、2回目の礼拝には講壇の近いところに座りま
した。前列の真ん中の右側の前から5番目の列の真ん中に座り
ました。ようやく自分のスペースを確保できるほどに詰まってきま
した。そこに座ったのはグレッグ・ローリー牧師の服装に多少関心
があったからです。スクリーンにも映ってくるのですが、全体像が
分かりません。チャコールグレーのシャツといっても、高価なもの
ではなく、どこにでも手に入りそうなものです。それにチャコーグ
レーのジャケット、それも体にぴったりとしたもので、ボタンが閉
まるようなものではありません。それの同じ色のジーンズのような
ものをはいているのですが、ジーンズのようでもないので確かめた
かったのもあります。

 それは先が多少細くなるもので、60年代の若者が履いてい
たものを想像させます。ジーンズではなく、よれよれの感じです。
しかも履いている靴も先が尖っているのです。同じチャコーグレー
です。結構がっちりとした体型なので、おとぎの国に出てくるおじ
さんを思わせます。それでいて全く違和感がありません。どこでも
このスタイルでメッセージを語っています。グレッグ・ローリーの
スタイルになっています。

 45分の説教で、聖霊にそむく罪がどのように赦されないの
かを説明して、ヨナのしるしに結びつけて、キリストの復活から、
最後はしっかりと招きにまで導きます。最初の礼拝では招きはな
かったのですが、2回目と3回目は招きをしました。特
に3回目は時間的に若者が多かったので、促すようにしかも遠
慮なしに招きをして、前に出てくるように導きました。結構の人が
出てきました。3回目はバルコニーの真ん中の前列の左端に座
りましたので、出ていく人たちがよく見えました。

 グレッグ・ローリーは毎夏にあのエンジェルズのスタジアムで
ハーベスト・クルセードを行っています。それ以外のアメリカの各
地でもクルセードを行っています。シアトルで行った最近のクル
セードの模様をビデオで説教前に見せてくれました。3回の礼
拝のメッセージも、聖書をしっかりと解き明かしていながら、最後
は伝道メッセージで閉めています。そして3回とも聞いていて
も新鮮なのです。福音に生かされることには枯れることのないいの
ちが流れていることを身近に感じます。

 伝道的なメッセージ、伝道的な教会、それはアメリカでも日本で
も、福音派のいのちのように心がけてきたのですが、どこかでいの
ちを失い、マンネリ化してきました。それに代わるように、魂への
配慮、カンセリングに力を注ぐようになってきています。それでも
同じことの繰り返し、堂々巡り、内面的な人間関係の複雑化に陥っ
てしまいます。牧師は疲れ、礼拝も新鮮さを失ってきます。教会自
体が行き止まりのような感じになってしまいます。

 グレッグ・ローリーのメッセージとこの教会にはそんな行き止ま
り観はありません。何か打ち破るものがあって、溢れ出てくるもの
があります。すでにここで40年近く伝道をしていながら、な
お途上にあるという感じをしっかりと持っています。礼拝堂もメッ
セージもどちらかというと素朴です。当たり前の感じです。普通の
町にある教会です。ただ駐車場の向こうは飛行場です。開け放たれ
た感じです。どこかに飛び立とうとしている感じです。

 3回の説教を聞きながら、この立ち止まらないで破れるよう
な力は、グレッグ・ローリー自身の福音による変革の深さから来て
いるのだろうと、想像しながら、納得しました。親の離婚、家庭崩
壊という家庭環境で育ち、麻薬で過ごした10代の終わりに信
仰を持ったのです。そしてそのまま伝道生活に入ったのです。福音
によって変えられることの体験の深さが、今の伝道活動を支えてい
るのでしょう。自分が変えられたのだから、どのような状況の人も
変えられると信じ切っているのです。それはメッセージを聞きなが
らしっかりと感じ取れることです。誰もが感じ取れることだと思います。

 2年前にふたりの息子の長男を交通事故で亡くしています。
厳しい試練を通り抜けています。信仰の厳しさを体験しています。
想像もできないことです。

 先週の記事「聖書の権威?」に、同郷の友人の牧師がレスポンス
をくれました。会衆の必要に説教でどのように答えたらよいのだろ
うかというものでした。それに対して、チャック・スミスの教会のように
1万人の会衆を相手にしたら、目に見える会衆の必要という枠を越え
ているのでしょうと返事をしました。そんなことがあって、前から
訪ねたいと思っていたグレッグ・ローリーの教会を雨の中、出かけ
てみました。

 今回日本滞在の折、最上川の隠れ家での夕べの祈りの時に、ミニ
ストリーとしては結構多面的なことをやっていますが、自分のなか
の確信はみことばによって人が変えられていくことですと話しまし
た。そんな思いをよく分かってくださいました。同じ思いで、最上
川沿いで伝道しているこのご夫妻と、自分たちの生かされている原
点を確認してきたことを、グレッグ・ローリーの説教に接したこと
で、思い出しています。

上沼昌雄記

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