「決して戻ることのない旅」2010年12月28日(火)

 今年は自分の家にいたのが数えるほどの日数でした。1月に
3週間日本で奉仕をし、春には2ヶ月半秋田の教会で短期宣教
師として奉仕をし、秋に5週間日本で奉仕をしました。それに
加えて、昨年のクリスマスに義父がバイパス手術をして以来、両親
のところに滞在することが度々でした。この12月は、3
年続きで上沼ファミリーのクリスマスをシカゴで持ってきました。
そしてこの年末は、JCFNのイクイッパー・カンファレンスに
後半部分参加して、父親のテーマでワークショップを持ちます。今
は、両親のところに工事が入っているために、近くの妹夫婦のとこ
ろに滞在しています。

 両親も安定しているので、年が明けて家に戻る予定です。それで
も1月後半から2月にかけてまた3週間日本に伺う
予定です。まだ旅は続きそうです。それでも帰れることのできる自
分の家があるのです。それはなんと言っても感謝なことです。どん
なに旅が続いても、枕が変わっても、多くの人にお世話になって
も、それでもいずれは自分の家に帰ることのできると思うだけで、
精神的な安心をいただきます。なんと言っても自分の住処なので
す。自由に手足を伸ばし、勝手な時間に起きても誰にも遠慮する必
要はないのです。誰でもない自分の場です。私だけの空間です。

 そんな旅の続きのこの年を振り返っていると、帰ることのない、
決して戻ることのない旅を人生とすることになったら、どんな人生
観を持つことになるのだろうか、どうでも良いことのようなのです
が、よく考えてみると神の民がアブラハム以来歩んできた道である
ので、考えさせられています。そして考え出したら、そのような旅
をし向けている神の思いがなんなのかというところにまで来ていま
す。というのは、どこかでしっかりと自分の住処を確保すること
が、人生のあるべき目標になり、それを確保することが精神的な安
定をもたらすと思い、思わされているからです。さらにそうするこ
とが神の目的でもあるかのように思っているからです。

 神の民は今に至るまで、自分の故郷を出ていくというか、追い出
されて放浪の旅をしています。ホロコーストが語っています。そん
なことを経験した民は、持ち運びできないものには価値をおきませ
ん。しっかりと持ち運びできるもの、それは教育です。身に着けた
教育と技術と技能は世界どこででも通用します。そんな生き方を現
実に見せられ、神の民の価値観に驚かされました。帰ることのでき
る家があるならば、そこを自分の城のように堅固なものにします。
誰にも犯されない自分の領域です。ギリシャの都市が城壁で囲まれ
ているのはその証です。今は法律で守られています。その守備内を
身体的にも物質的にも経済的にもより確かなものにしようとしま
す。そうすることが生き方になっています。そうすれば自分の人生
は大丈夫だと思っています。そうすることが信仰の証ように思って
います。

 この一年住所不定のような生活をしてきました。時々友人がどこ
に郵便を送ったらよいでしょうかと聞いてくださいました。電気代
とかの支払いも旅先で何とかすませてきました。同時に多くの人の
お世話になり、また親しい交わりもいただきました。それでも心の
どこかにはいずれ帰ることのできる家があると独り言のように自分
に言っているのです。そうすることで精神的なバランスを得ている
のです。しかし神の民のように、決して戻ることのない旅が自分の
人生だとすると、信仰自体も随分変わってくるのだろうと想像しま
す。信仰者としての望みが明確になるのかも知れません。そのため
に後ろのものを忘れ前のものに向かってからだを伸ばしつつひたす
ら前進していることでしょう。

 年末年始を迎えると繰り返しの時間のなかにいるような感じにな
ります。多少の変化がありながらも新しい年もわが家が安泰である
ことを願います。しかし神の民の決して戻れない旅を受け入れる
と、水平に延びている時間のただその先にあるものを見据えて歩む
ことになります。その向こうにある希望を信じる信仰がそうさせる
からです。

上沼昌雄記

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