「世界一幸せな牧師の召天」2011年4月11日(月)

ウイークリー瞑想

昨日教会の方から、この牧師が多発性骨髄腫による腎機能不全で
主の御許に帰られた報告をいただきました。最後にメールのやり取
りをしたのは、東北の大震災の後に安否を確認するメールを送った
返信で、「みんな元気です。礼拝をしました。お祈りを感謝しま
す。」というものでした。その後入院をされて透析をされていたよ
うですが、4月10日の主の日の夕方に召されまし
た。60歳に2日足りない、50代の若さでした。

この牧師のことは、2005年3月14日付のウイー
クリー瞑想で「世界一幸せな牧師」ということで書かせていただき
ました。その時点ですでに癌の再発の心配がありました。最初にお
会いしたのも検査から帰られた後でした。初対面の私にご自分の通
られた引きこもりや精神的な戦いのこと、そして病気のことを隠す
ことなく話してくれました。別にこちらに哀れみを求めているので
はないのです。 暗い話なのですが、どこか澄み切った雰囲気
を漂わせていました。その場面をよく覚えています。

通られた試練と困難で潰されて当然なのですが、それはこの牧師
になかの余分なものを取り除くことになったのだと思います。そこ
に神の霊による新しいいのちが芽生えることになったのです。死ん
でいるのですが生きているのです。話の折々で過去の暗い経験が
しっかりと記憶として残っていることを知らされました。それに押
しつぶされてしまう弱さを感じていることも分かりました。それで
も生かされている霊のいのちがこの牧師の心を覆っていました。何
が人生で大切なのかを知っていました。余分なものが取り去られ
て、大切なことに生きていました。

通りすがりのような私のミニストリーにも目をとめてくれまし
た。ウイークリー瞑想には毎回のように返信してくれました。その
度に祈っていますと書いてくれました。そしてこの牧師の祈りの姿
がその度に浮かんでくるのです。文字通りにあの牧師室で祈ってい
る姿が浮かんでくるのです。教会にお伺いしたときにはこの牧師の
存在は影のように消えてしまっています。しかし何とも言えない存
在感があるのです。記憶のなかでは今でも祈っていてくれる姿が浮
かんできます。その透き通った姿が浮かんできます。

昨年の秋に、今回はどうしてもお会いしておきたいと思い、押し
かけて奉仕をさせていただき、ご家族との交わりをいただきまし
た。黙ってお孫さんをあやしている姿が何かを伝えているような気
がしました。心の中のことが伝わってくるような気がしました。家
族に囲まれ、教会の人たちに囲まれているご自分を何度も「世界一
幸せな牧師」と書いてこられました。お孫さんを抱きながらそんな
実感を切実に感じておられたのだと思います。

この牧師がいてくださったことでどんなに励ましをいただいたか
を、いま実感しています。祈っていますと言われるときには、その
通りに祈っていてくださるのです。自分のことをさしおいて祈って
くださるのです。そんな霊的な存在者を失った寂しさがあります。
ご家族にとっては大切な人を天国にお送りしたことになります。そ
の喪失感を神が満たしてくださることを祈っています。教会にとっ
てはかたちとして牧者を失いましたが、牧師の残した霊的なものは
生き続けていくことを信じています。

私には一人の聖者をミニストリーでいただいたような気がしてい
ます。傷つき砕かれた聖者ですが、それだけ私には癒しをもたらし
てくれました。

上沼昌雄記

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「「世界一幸せな牧師の召天」2011年4月11日(月)」への1件のフィードバック

  1. 『世界一幸せな牧師の昇天』を読ませていただきました。
    この方はどんな方なのだろう。どういう方なのだろう。そういう強いひきつけられる気持ちをもって2005年3月14日のウイークリー瞑想『世界一幸せな牧師』を読ませていただきました。

    この瞑想を読みながら、不思議ですけれど、自分が何かにまだとらわれて生きている。がんじがらめに生きているそんな感じを味わいました。
    それは何なのか。体裁なのか。世間体なのか。表と裏で生きようとする力なのか。とにかく自分を飾って自分で自分をまもって生きようとしているのではないか。そういう私のすがたを裸にされるような、とっても不思議な感覚を味わいました。

    この世界一幸せな牧師先生の姿がみせてくださったのは、
    何も頼るものがなくても、生きている現実の中で、うまくいかない、課題だらけ、弱さ小ささがたとえ露呈されたとしても、
    霊の世界で生かされている豊かさ深さでありました。またそう生きたい生きたいと願いながらも、恐れにとらわれ、人の思いにとらわれ着飾る自分の弱さであります。さらけ出されたような感じがあります。でもなにかこう責められているような感じはありません。
    さわやかな楽な風がからだをふきぬけたような感じがあります。

    こころの貧しいものは幸いです。悲しむものは幸いです。
    このことばをまっすぐに生きた方だったのだ、わたしたちの先輩にそういう方がいらっしゃったのだ。。。そう思うだけで、とても幸せな、それこそこの先生から、また先生を紹介してくださった上沼先生から世界一幸せな気持ちを与えられています。。。

    日本における御奉仕の祝福と守りをいのっています。

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