「一老兵士の死」2011年4月25日(月)

教会で知り合った、98歳のアメリカの元海兵隊の老兵士が
3月の初めに召されました。息を引き取る7時間前に妻と立ち
寄ることができました。最後の力を絞るように、かすかに目を開
け、手を振って別れを告げてくれました。最後は奥様とふたりの息
子さんに囲まれて召されていきました。葬儀は東北での大地震と津
波の起こった次に日に営われました。ミニストリーの事務所のある
窓から見下ろせる丘の上で、軍隊式の儀礼に送られて埋葬されました。

22年前にこの教会に伺うようになって、この老兵士が私の
存在に気を留めていることが分かりました。礼拝の後に妻と一緒に
この方のお宅に立ち寄りました。海兵隊に志願した経緯を聞きまし
た。戦争反対をその指針としているメノナイトの教会の出身です。
しかしパールハーバーの日本軍の攻撃を聞いて、翌日に志願したと
いうのです。そして太平洋の真ん中のタラワ・マキン島を中心に日
本軍と戦ったのです。1943年11月23日に日本軍
の戦火の中を3度もくぐり抜けて海兵隊の進路を開いた勇敢な
行動のゆえに、戦後当時のニミッツ将軍からNavy Crossの勲
章を受けています。

そのような話とは裏腹に、そうしなければならなかった自分の決
断を思い出しているようでした。そして海兵隊の記念誌の中からお
もむろに、その戦いの中から日本兵の日の丸と鉢巻きの遺品を持っ
てきているといって、見せてくれました。当時で60年以上前
の苦渋に富んだ記憶がこの老兵士のうちに走っていることが分かり
ました。日本人である私の存在が彼の心に何かを思い出させている
ことが分かりました。

教会では笑顔で挨拶したり、食事の時にはコーヒーを持って行っ
てあげたり、車まで手を取って連れっていってあげたりするように
なりました。それでも妻に私が自分のことを憎んでいないか聞いた
ことがあるというのです。そんなことは全くないということで安心
をしたようです。寝込むようになったり、入院されたり、施設に入
るようになっても折々に伺いました。どういう訳か私の存在に気づ
くと、手を振って答えてくれます。奥様と妻の視点では、それは私
に対してだけのようです。

召された日に立ち寄ったときに、この奥様が日本兵の遺品の話を
持ち出してきました。できるだけの努力をして日本の遺族にお返し
するようにしますと返事をしました。昨日イースターの礼拝と洗礼
式と交わり会の後に立ち寄り、その遺品を預かってきました。日の
丸には兵士の名前と送り出した人たちの署名がしっかりと読めま
す。鉢巻きの外れに、よく見ると、兵士と分隊の名前が記されてい
ることが分かります。日の丸の兵士とは別人のようです。

すでに68年前のことです。私自身の生まれる前のことで
す。何とか関係機関を通して遺族の方にそれぞれお返しをしたいと
願っています。遺品を見ながら、それぞれどのような家族と郷土で
生まれ、どのような思いをもって若い人生を戦場で終えることに
なったのか、何とも想像し得ないことに引き戻されています。ただ終戦
5ヶ月前に前橋で生まれ、現在アメリカに住んでいるものとして、歴
史の記憶を負っていく責任を感じています。

このことは多分、ユダヤ民族が、自分たちの負っている歴史の記
憶を責任として引き受けることで、しっかりとした生き方としてい
ることを知ることになったからだと思います。出エジプトから始
まって、バビロン捕囚、そしてホロコーストと負わされている過去
の記憶が、神の宮を慕い求める信仰と生き方になっているからで
す。過去の暗い記憶をだれもが負っています。それは消すことがで
きません。それでも記憶を神からの贈り物として生きることができ
るのです。その責任を負うことで生きることができるのです。遺品
を預かりながら、その責任を少しでも果たすことができればと願っ
ています。

上沼昌雄記

広告

“「一老兵士の死」2011年4月25日(月)” への 7 件のフィードバック

  1. 「一老兵士の死」を読ませていただきました。
    九十八歳まで生きたひとりの人の歴史のなかに肉なるこころをもつ人としての歩みと神様に似る者ととしての歩みを見ることができました。それをふたつに分けてしまうにはあまりにも重い。ひとりの人間の葛藤をおもいました。

    戦争反対を唱えるメノナイトの出身でありながら、真珠湾を機に戦争に加担していったこころ、厳しい戦いをくぐりぬけているこころ、よくやったと表彰をうけるこころ、しかし、敵の兵士の遺品を持ち帰り、大事に大事に守り抜いたこころ、上沼先生をみつけて避けることができなかったこころ、上沼先生が自分をくんでいないだろうかとおもうこころ、上沼先生から憎んでいないよといわれたときのこころ、妻に遺品を日本の御家族にかえしてあげてほしいと託したこころ。。。

    一老兵士から上沼先生に受け継がれる歴史の重み、戦禍の重み。
    しかしその向こうに和解の望みを見る思いがして、心にずっしりとくる事実でありながら、そこに一筋の光をみる思いがいたしました。

    末松隆太郎先生からずっと先生の文章を転送していただいてきました。三年ほど続いてきました。初めて自分から感想を送ります。これまでもそうでしたし、これからも楽しみに味わいます。

    わたしの父は自衛官でした。。わたしの弟は現役自衛官です。わたしは基地のある街で幼少期を過ごしました。戦いのある時代を生きたわけではありません。戦いに参加したこともありません。
    命令がすべての自衛官の世界の中で家族として苦しみもずっと味わってきました。今も味わっています。命令の中での非情さは父の葛藤の歴史です。弟の葛藤もそばでずっと見ています。男性のうめき、組織の中の一兵士ののうめきを見ています。
    私自身のうめきも見ています。神様の光があるから、闇に向かえる。。。そうおもっています

    重みがありながら、そこに光がみえる。そういう上沼先生の語り、文章をすばらしいと感じています。神様をみています。
    「父よ。父たちよ。」を少しずつ楽しみに読んでいます。

    1. 吉川恭子様 ご丁寧は返信を感謝いたします。歴史の重みはあのユダヤ人が身に染みて感じているのだと思います。それは恵みの歴史であり、罪と悲惨の歴史でもあります。私はそんな神の民の歩みに自分も組み込まれているように思って、不思議に力をいただいています。こちらがどうあろうとも、神の民として生かされているのです。しつこいぐらいに神に食いついて歩みたいと思います。自衛官のご家族、国家と歴史の重みを感じながら皆さん歩まれているのだと思います。私たちの息子もアメリカの海兵隊でイラクに行きました。今は会社で働いています。祝福を心よりお祈りいたします。末松先生の教会と言うことで、安心もしています。上沼昌雄 2011/05/05

  2. 初めまして。
    一老兵士の死、拝見いたしました。
    私の祖父はタラワで亡くなりました。もしお亡くなりになった老兵士の方から当時の様子などを聞いていらっしゃったら、教えていただければ幸いです。
    お亡くなりになった老兵士の方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

    1. 前略。記載されていますタラワ慰霊巡拝の旅を読みました。お孫さんとして御祖父の殉死された地に行かれることになった経由を知りました。御祖母とお父様の心の中を察しながら読みました。亡くなった老兵士からはともかく悲惨な闘いであったということしか聞いておりません。ただ日本軍の砲弾のなかを3回も行き来をして見方の通路を開いたことで、勲章を受けたと言うことだけです。その時の日本兵の遺品を持ち帰っていて、それを今回厚生労働省の機関を通して遺族の調査をしていただいています。何とか遺族に遺品をお返しできればと願っています。そんな責任をいただいているのも何かの導きなのだろうと思っています。上沼昌雄

      1. お忙しい中HPもご覧いただきありがとうございました。
        タラワで亡くなった方については、遺骨も遺品もほぼ遺族の元には還っていません。
        上沼さまが託された遺品が、無事に遺族の手元に変える事を心より願ってやみません。
        遺品については老兵士の方が保存されていたように、米国に渡っているものも多くあると聞きます。65年以上の時を経ていますが1点でも多くの遺品が戻れば良いのですが…。
        この度は本当にありがとうございました。
        今後のご活躍をお祈り申し上げます。

  3. 上沼さま
    先日は私のコメントにお返事をいただきありがとうございました。
    その後も経過が気になり、こちらのサイトを拝見させて頂いておりました。

    老兵士が戦地から持ち帰られた日の丸、鉢巻き等の遺品についてですが、
    その後所有者の遺族の方は判明されたのでしょうか?
    もし可能でございましたらその後の経緯をお聞かせいただければ幸いです。
    また、もし所有者の方が判明されていなければ遺品のお写真があれば拝見
    させていただく事はできませんでしょうか?
    御無理であれば所有者の方の読みとれたお名前をお教えいただく事は
    出来ませんでしょうか?
    タラワの遺族のほんの数名の方ではありますが、今回の慰霊を通じて
    お知り合いとなった方がいらっしゃいます。可能性としては限りなく
    低い事は重々承知しておりますが、万が一でも私の知り合いの方の
    御家族の遺品であったらどんなにお喜びになるかと思います。
    勝手なお願いで申し訳ありません。
    もしご回答いただけるようであれば、コメントからでもメールでも結構
    です。

    1. Sato様
      このレスポンスを見落としていました。失礼をしました。別メールにてもお知らせいたしましたが、遺品二つ無事にそれぞれのご遺族に戻りました。この返還の過程をこちらの老兵士の未亡人とその後家族に報告したく思っています。知恵をいただければと願っています。よろしくお願いいたします。上沼

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中