「もし親鸞が聖書を知っていたら」2011年5月25 日(水)

日本に入ってすぐに大阪と京都で奉仕をして、先週末は東久留米
の教会の50周年礼拝と聖日礼拝を守りました。帰りに宇都宮
の郊外に、この5月2日に101歳になられた大村晴
雄先生をお訪ねしました。ノックをして部屋にはいると、眼も御不
自由になられたのですが、「上沼さん?」と言って、私を待ってい
てくださったことが分かりました。その声はいつものように張りの
あるものでした。しかし、昼間でもよく寝てしまい、自分を打ちた
たいて「起きよ」と言って、起き上がるようにしていますと、現状
を説明してくれました。

耳も少し遠くなられたので、会話もスムーズにはいかないのですが、1
年半前ほどに召されたある牧師のことに触れてこられて、話に熱が
こもってきました。仏教を学ばれて日本の宣教のために労された牧
師です。ですがその牧師の中に「もし親鸞が聖書を知っていたら」
というテーゼのようなものがあることに、危惧を示されました。親
鸞はどんなことがあっても親鸞で、もし親鸞が聖書を知っていたな
ら、聖書を親鸞のほうに引き寄せてしまうであろうというのです。
ただ信仰により、ただキリストによるという、まさにプロテスタン
トの精神が崩れてしまうであろうというものです。

それは混合宗教だとまで言われます。ただキリストによる純粋な
信仰をあやふやにするものであると繰り返して言われます。そのこ
とを頭のどこかにしっかりと覚えていておいてと言われます。先生
の中の深い危惧であって、私に伝えておきたかったのだと思いま
す。 先生がよく、カトリックの背後のスコラ神学の「統合」
を厳しく批判されていたことを思い出すます。哲学をも、他宗教を
も内に巻き込む「統合」です。それはキリストによって明確にこの
世のいっさいのものから切り離されて、ただ信仰によってのみとい
うプロテスタンティズムを危うくするものであるからです。同じ理
由で混合宗教に危険性を感じておられたのです。

前回伺ったときには、聖書信仰によって横浜海岸教会の当時の牧
師と袂を分かったことを話してくれました。今回はプロテスタント
の精神の核心に触れるもので、ただキリストによる信仰の精髄を貫
かれてきたその息づかいを感じます。その息づかいが伝わってきま
す。そしてそれを守るように言われているのが分かります。

先生の「ベーメ小論」を再度読みましたということから、ヘーゲ
ルの話になりました。先生の先生である伊藤吉之助先生が、ご自分
のヘーゲル理解の背後にある神の「啓示」を認めてくれたことをう
れしそうに話してくれました。それは伊藤吉之助先生が波多野精一
から学んでいるので、キリスト教のことを知っているからなのだろ
うと、最近それに気づいたと言われるのです。それほどヘーゲルに
神髄しているのですが、前回の時には、ヘーゲルはヘーゲルで、人
間の考えにすぎないと言われ、神のことばである聖書にはどんなこ
とがあっても及ばないことを言われ、忘れられないことになりまし
た。今回もそれに続いて、先生の信仰のあり場を再度知ることにな
りました。

隠れ家に帰るために失礼をしなければならなかったのですが、い
つも「上沼さん、祈って」と言うことで終わります。最後にしっか
りと「アーメン」と言われます。別れ際に差し出された先生の手
は、お年から考えたら信じられないほど、温かみのあるものでし
た。まさに信仰によって新たにされ、生かされている温かみです。

上沼昌雄記

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「懐疑論と信仰」2011年5月18日(水)

懐疑論とは、伝統的には、神の存在そのものを疑うという意味で
ある。しかし、神の存在を前提にした上で、なお神のわざに関し
て、その意味がわからない、理解を超えている、それでもどうにも
ならない無意味におおわれている、という意味合いでの懐疑論が真
剣に取り上げられている。それは、あのホロコーストを経験したユ
ダヤ教徒のうちに、避けられない信仰との闘いとして顕現化してき
たことである。戦後すぐには言葉に言い表せなかったことが、時間
のなかで言語化されてきたことである。信仰者にとっての懐疑論である、

ホロコーストがあっても、自分たちの神をなお、アブラハム、イ
サク、ヤコブの神と信じ続けているその信仰は、神を前提にしてい
るその分、その意味の無意味さに直面させられている。神の存在そ
のものも無に帰してしまいそうな無意味さのなかで、なおその意味
を問いかける懐疑論から生まれる信仰である。いわゆる神義論の終
焉の上に出てくる信仰である。すなわち、神に対する絶望的な問い
かけのなかで、なお神を信じていく信仰である。

目映いばかりの新緑の日本に入っている。みずみずしい美しさに
潤いをいただいている。震災から2ヶ月以上経っているので表
面上は落ち着いている。すぐに関西での奉仕に入っているので震災
の現実感がない。来週には被災地を訪ねることができそうである。
そうであってもどこかで何かの喪失感に近いものが日本の地をお
おっているように思われる。喪失感とは、本来あるべきものが失わ
れているという意味でのことであるが、感じるのはそのような意味
ではなくて、もともとないものが露わにされたという意味での喪失
感である。取り戻すこともできないもの、すなわち、どのようにも
答えのないものが露わにされたことで、決定的な喪失感に怖じ惑っ
ている感じである。

被災地への支援と復興のためのボランティアの活動が活発になさ
れている。その報告を伺うことが出来る。それでも何かの喪失感が
どこかにうずくまっているようである。 地震のニュースを聞
いて、インターネットで観た津波の被害の大きさに対して抱いたあ
の「なぜ」という問いに対する答えのない喪失感である。ボラン
ティア活動ですばらしいことが起こっているのであるが、答えのな
い問いは残されたままである。問いそのものが問われていないかの
ようである。問うことさえ避けている感じである。問うても答えの
ないことが露わにされたことの喪失感におおわれているからである。

震災2ヶ月以上経って、問うても答えのない喪失感がより深
く沈潜している。問うこと自体をためらってしまう喪失感である。
声に出して、言葉として出すことをためらってしまうことである。
出しても答えがないことを知っているからである。特に神を信じ
て、すべてを益に変えてくださる神を信じている教会の民にとっ
て、どうすることも出来ない喪失感である。なぜ神はそのようなこ
とをこの日本に、あの東北の地にしたのかは、出しても答えのない
問いである。ただ意味の欠落のなかに陥ってしまうだけである。

しかし言葉に出さなくても、その問いは心の深くに留まる。「な
ぜ」という信仰者にとっての問いかけが、新しい懐疑論を抱えなが
ら歩むことを仕向ける。そしてそれは、その問いが深ければ深いだ
け、神を信じていく信仰の飛躍へと導く。答えを導くものがないな
かで、なお信じていく信仰の勇気である。「なぜ」という問いの深
刻さに対応するように、振り返ってくる信仰の深刻さである。答え
を期待しないで、なお「なぜ」という問いをしっかりともって信じ
ていく信仰の純粋さである。

今年は新緑がひときわまぶしく輝いているように見えますと、日
本にいる人が言う。何かあたかも、信仰者としての新しい懐疑論に
おおわれているなかで、その信仰がひときわまぶしく輝いていく姿
を語っているようである。

上沼昌雄記

「教会の安全対策」2011年5月9日(月)

この水曜日(11日)に日本に向かう前に、以前にもしたこ
とがあるのですが、妻と長い道のりをドライブして、ダラス郊外の
息子家族のところに入りました。土曜日の真夜中に無事に到着しま
した。昨日は母の日の礼拝を息子家族と一緒に守りました。子ども
が与えられないハンナが、夫からも、祭司からも(牧師からも)理
解されないので苦しむのですが、それでも信じて祈り続ける女性の
姿を、心に染み込むように語ってくれました。母の心の内を代弁し
ているようでした。

2000人集まる教会は、3回の礼拝の間は人の流れが大
変です。家族連れでの礼拝の光景はやはりアメリカ南部のよき姿で
す。子どもたちを預かる託児所も年齢ごとに別れていていくつも部
屋があります。その日の子どもを預けるための登録カードを手に入
れるコンピュータが廊下に設置されています。その日息子の妻は一
つの託児所の担当でした。そして息子は教会の安全対策ティームの
一員で、人の流れを見守っていました。

2年ほど前にイリノイ州で礼拝中に牧師が銃で撃たれると言
うことが起こりました。また週内でも教会が襲われて牧師が亡くな
ることがありました。それで息子は教会の安全対策が必要と思い、
話し合っているうちに、海兵隊で一緒に活動していたことがある教
会員と知り合い、ふたりで相談して安全対策の素案を固めていきま
した。そこに教会員で地元の警察官たちも加わって、今はティーム
として活動をしています。しばらく前にそのティームが教会の牧師
ティームとスタッフたちに安全のための説明会を持つことができた
と言うことです。

そこには礼拝中に竜巻が襲ってきたらどうするかとか、誰かが間
違って非常ベルを押したらどうするかとか、子どもを預かっている
女性たちが緊急の時に、自分の子どもの安全と預かっている子供た
ちの安全をどのようにするのかと言うことも含まれていると言うこ
とです。さらに停電になっても、牧師のマイクには緊急用の電気が
通じているかという設備上の確認も含まれています。礼拝中は町の
パトカーが二台、駐車場をパトロールしていて、会堂内で何かが起
こったときにはすぐに入ってこられるようにしてあるということで
す。どのような緊急時をも想定しているようです。

今までの教会生活では、夫婦で行っている山の教会も、そんなこ
とを心配する必要もない規模です。また外から誰かが入ってきて牧
師を襲うというのは、確かにアメリカの歴史から見ると起こりうる
ことで、残念なことですが、ここテキサスでは竜巻が発生する可能
性がありますので、その時はどうするのかという安全対策も含まれ
ていると言うことを聞いて、息子たちが取り組んでいる教会での奉
仕に納得をしています。

同時に日本でも数百年、数千人集まる礼拝になったときには、礼
拝中に地震が起こったときにどうするのかというのは、教会自体の
対応が求められることになるのだろうと、勝手に想像しています。
想像をさらに膨らませて、百人、千人単位で集まる教会が日本の各
地で起こされる日が来ることを夢見ています。それは教会のためで
も牧師のためではなくて、神の民のための神の計画のように思うか
らです。

上沼昌雄記

「木の匂い」2011年5月3日(火)

友人ご夫妻が連休を使って、ご主人の出張に合わせて奥様が付い
てこられた感じで、訪ねてくださいました。いまカリフォルニアの
空は、雨のシーズンの後、これ以上ないほどに晴れ渡っています。
東京のど真ん中にお住まいで、世界中を飛び回って、息つく暇もな
いほど忙しくされています。少しでもアメリカの大きな自然に接し
ていただいて、活力をいただければと願います。

家の周りを案内しているうちに、ご主人が自然の息吹に引き付け
られるように、木に向かって歩き出し、見上げ、見つめ、そして手
を出して触っているのです。一本の木から次の木に移って、同じよ
うな仕草を繰り返すのです。標高2千メートルのタホ湖のネバ
ダよりの湖畔で、気持ちのよい日の光と冷たい風に吹かれながら、
ピクニックランチをいただきました。そして、その浜辺に立っている樹齢
200年ぐらいの木の皮を見つめ、手で触って、そして終いには、耳を
傾けているのです。

その姿があまりにも印象的なので、木が好きなのですかと聞いて
みました。そうしたら、ご自分の先祖は何百年伊豆の山の木こりで
あったという返事です。祖父の時代から大工を始めたと言うことで
す。それで木の匂いがこの方に染み込んでいるのです。そして、忘
れられていたような木の匂いの記憶がよみがえってきたようです。
その匂いに引き出されるように、一つ一つの木の匂いを嗅ごうとし
ているようです。その姿は、木と木の間を遊び回っている子どもの
ようだと、妻は感想を述べています。

ご自分のうちに染み込んでいる木の匂いに誘われるように木に向
かっていくこの方の姿を思い描きながら、聖書のなかに随分木が登
場していることを思い出します。それぞれの木には物語が付いてい
ます。あのエレミヤには、アーモンドの木を見せます。そして雅歌
では、おとめと若人が互いを花と木で呼び合い、おとめは若人をり
んごの木で表現しています。レバノン杉は美しさと気品の象徴のよ
うです。イエスはご自分をまことのぶどうの木と言い、さらに私た
ちとの関わりを示すたとえとして使っています。ザアカイは、いち
じく桑の木に登ってイエスを見ようとしています。いろいろな木が
それぞれの場面で登場して大切な役割を担っています。

そしてなんと言っても木の匂いは、遠いその昔に備えられたエデ
ンの園の中央に生えた、いのちの木と善悪の知識の木に辿り着きま
す。そこが木の匂いの始まりのように辿り着きます。人は、その善
悪の知識の木の実を食べたことで園から追われます。そしていのち
の木を神は守ります。あたかもすべの生き物のいのちの始まりであ
り、源泉のように守られるのです。そしてそれは、すべての人がい
ずれそのいのちの木に帰り、永遠のいのちをいただくために守られ
ているようです。あたかも誰もがその木の匂いの記憶を持ってい
て、それに惹かれるかのように帰るのです。新しい天のパラダイス
で、そのいのちの木の実を食べることになるのです。創世記と黙示
録を結びつけているいのちの木です。

そこに立っている木、時には邪魔になって切り倒してしまうこと
があります。しかしどの木も地中からしっかりと水分を吸い上げ
て、枝一つ一つに届けています。 その流れを聞くことができ
そうです。 今は新緑が目に飛び込んできます。年ごとに年輪
を加えていきます。樹皮に守られているのですが息をしています。
その匂いを嗅ぐことができます。その記憶をどこかに植え付けてく
れています。忘れているようでも木の匂いの記憶が体のどこかに染
み込んでいます。神もいのちの木の匂いを嗅いでいるようです。そ
して、そのいのちの木の匂いに誘ってくれているようです。

上沼昌雄記