「木の匂い」2011年5月3日(火)

友人ご夫妻が連休を使って、ご主人の出張に合わせて奥様が付い
てこられた感じで、訪ねてくださいました。いまカリフォルニアの
空は、雨のシーズンの後、これ以上ないほどに晴れ渡っています。
東京のど真ん中にお住まいで、世界中を飛び回って、息つく暇もな
いほど忙しくされています。少しでもアメリカの大きな自然に接し
ていただいて、活力をいただければと願います。

家の周りを案内しているうちに、ご主人が自然の息吹に引き付け
られるように、木に向かって歩き出し、見上げ、見つめ、そして手
を出して触っているのです。一本の木から次の木に移って、同じよ
うな仕草を繰り返すのです。標高2千メートルのタホ湖のネバ
ダよりの湖畔で、気持ちのよい日の光と冷たい風に吹かれながら、
ピクニックランチをいただきました。そして、その浜辺に立っている樹齢
200年ぐらいの木の皮を見つめ、手で触って、そして終いには、耳を
傾けているのです。

その姿があまりにも印象的なので、木が好きなのですかと聞いて
みました。そうしたら、ご自分の先祖は何百年伊豆の山の木こりで
あったという返事です。祖父の時代から大工を始めたと言うことで
す。それで木の匂いがこの方に染み込んでいるのです。そして、忘
れられていたような木の匂いの記憶がよみがえってきたようです。
その匂いに引き出されるように、一つ一つの木の匂いを嗅ごうとし
ているようです。その姿は、木と木の間を遊び回っている子どもの
ようだと、妻は感想を述べています。

ご自分のうちに染み込んでいる木の匂いに誘われるように木に向
かっていくこの方の姿を思い描きながら、聖書のなかに随分木が登
場していることを思い出します。それぞれの木には物語が付いてい
ます。あのエレミヤには、アーモンドの木を見せます。そして雅歌
では、おとめと若人が互いを花と木で呼び合い、おとめは若人をり
んごの木で表現しています。レバノン杉は美しさと気品の象徴のよ
うです。イエスはご自分をまことのぶどうの木と言い、さらに私た
ちとの関わりを示すたとえとして使っています。ザアカイは、いち
じく桑の木に登ってイエスを見ようとしています。いろいろな木が
それぞれの場面で登場して大切な役割を担っています。

そしてなんと言っても木の匂いは、遠いその昔に備えられたエデ
ンの園の中央に生えた、いのちの木と善悪の知識の木に辿り着きま
す。そこが木の匂いの始まりのように辿り着きます。人は、その善
悪の知識の木の実を食べたことで園から追われます。そしていのち
の木を神は守ります。あたかもすべの生き物のいのちの始まりであ
り、源泉のように守られるのです。そしてそれは、すべての人がい
ずれそのいのちの木に帰り、永遠のいのちをいただくために守られ
ているようです。あたかも誰もがその木の匂いの記憶を持ってい
て、それに惹かれるかのように帰るのです。新しい天のパラダイス
で、そのいのちの木の実を食べることになるのです。創世記と黙示
録を結びつけているいのちの木です。

そこに立っている木、時には邪魔になって切り倒してしまうこと
があります。しかしどの木も地中からしっかりと水分を吸い上げ
て、枝一つ一つに届けています。 その流れを聞くことができ
そうです。 今は新緑が目に飛び込んできます。年ごとに年輪
を加えていきます。樹皮に守られているのですが息をしています。
その匂いを嗅ぐことができます。その記憶をどこかに植え付けてく
れています。忘れているようでも木の匂いの記憶が体のどこかに染
み込んでいます。神もいのちの木の匂いを嗅いでいるようです。そ
して、そのいのちの木の匂いに誘ってくれているようです。

上沼昌雄記

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