「Mikuni Kaizen」2011年8月17日(水)

 3ヶ月の旅を終えて家に戻ってきましたので、報告もかねて荒井先生に電話をしました。また一緒に食事もしながらお話しをしましょうということになりました。いつもはローズビルのみくにレストランでお会いすることにしているのですが、そのローズビルのフリーウエイを挟んだ反対側に新しいお店で9号店ができましたので、そこでお会いしましょうとなりました。そのお店の名前が Mikuni Kaizen と聞いて驚きました。

 電話口でその Kaizen とは?と聞いてみました。レストランなので「改膳」であってもいいのですが「改善」ですと、申し訳なさそうに説明をしてくれました。誰が付けたのですかという問いに、今このビジネスを引き継いでいる息子さんたちであるということです。何時かその名前を付けてみたかったということです。それはまさにトヨタのモットーではないですかと電話口で返事をしたのですが、何とも興味深くなりました。

 一昨日の月曜日の昼に Mikuni Kaizen を訪ねました。近くに大きなショッピングモールがある、その道向かいにできた新しいショッピング街のなかにあります。トレンドな感じの町作りを心がけているようで、Mikuni Kaizen もそれにマッチするように、屋外にもテーブルが備えられています。すでに荒井先生は店内で待っていてくれました。レストランというより、多分パブに近い作りになっているようです。買い物と散歩がてらに気楽に入ってこられるようになっています。

 創業者の荒井先生に敬意を表すかのように、最高級の一品料理が次々に用意されていました。勿体ないほどの舌触りです。メニューにはみくにレストランの代表的なロールが記されています。そして今まではなかったうどんとかラーメンとかカレーも載っています。明らかに単なる食べさせるお店ではないことが分かります。そこで一服し、話し込んで、また買い物と散歩の続きができる雰囲気です。新しい生活スタイルにフィットするような感覚のお店です。

 Kaizen をグーグルで検索すると英語で5ページほどの解説が出てきます。トヨタのモットーでもあると記されています。みくにレストランと荒井先生とは22年前にこちらに移り住んでからお付き合いをさせていただいています。その頃荒井先生ご夫妻は、教会とレストランで死にものぐるいで働いていました。私もペンキ塗りの仕事をしていて、真夜中にみくにのロゴを壁に描くこともさせていただきました。当時高校生であった息子さんたちが立派に跡を継いでいます。その最初の1号店の時から、お店の雰囲気を上手に変えて、お客さんを飽きさせないようにする、そんな感性を荒井先生が持たれていることに感心してきました。

 それでもサクラメント近郊とデンバーにまでお店が出てきて、正直みくにレストランはこれからどうなるのだろうかと、素人ながらに思っていたのですが、この Mikuni Kaizen の登場で、驚いたのと同時に納得もしています。改善をしながら、ビジネスとして前進し続けていくのです。それがなければ生き残ることもできないのです。それはレストランでもビジネスでも、そして教会にでも当てはまることなのです。神学にも当てはまります。聖書は変わることはないのですが、神学は前進していきます。

 その Mikuni Kaizen でこの8月27日(土)の昼に、ミニストリーの20周年の記念会をすることになりました。ここでいたしましょうと荒井先生が勧めてくださいました。私はみくにレストランの進展を外から眺めているのですが、荒井先生はミニストリーの理事としてこの20年関わってくれています。それでもミニストリーの中身はよく分かりませんとも言います。そうであってもこの20年お互いに守られ、祝福されてきた実感があります。20周年の記念誌の手書きの原稿に「残り火を消さず」と付けてくれました。まさに与えられた使命を明確にしつつ、改善し続けていく作業はミニストリーとしても、責任として与えられているのです。

上沼昌雄記

「村上春樹、また」 2011年8月15日(月)

5月末に新宿のとある談話室で、村上春樹のことで座談会を持ちました。事の起こりは、その前年にカンセラーで聖学院大学大学院準教授の藤掛明氏にお会いして話をしているうちに、村上春樹のことで盛り上がってきて、座談会のようなものができるといいですねと言うことになり、それでは雑誌『リバイバル・ジャパン』の編集長の谷口和一郎氏に聞いてみようとことが切っ掛けでした。藤掛氏は闇の本について意味深い書評を書いてくださったので、お話しをしてみたくて、教会の坂野牧師を通して紹介していただきました。カンセリングを受けるような話から始まったのですが、どこかで村上春樹の本の話になり、一気に盛り上がってしまいました。

谷口氏はとても見識のある方で、座談会をするのであれば、この方にお願いする以外にないと思って、お願いしましたら、興味深いですねということで実現しました。福音的な関係で村上春樹を取り上げることができる広量を持ち合わせています。村上春樹のことでもご自分の意見を持たれています。それで3人で座談会をしました。

その第一回目がこの8月21日発売の9月4日号で出てきます。編集長の谷口氏は上手に藤掛氏と私の対談のようにまとめています。実際には3人の座談会です。記事を読んでいただくと分かります。タイトルも「村上春樹と現代社会、そして教会」と付けています。東北の大震災のことを受けて話が始まっています。その現場を見てこられた谷口氏の経験が、そのまま村上春樹の世界に入っていくことになるのです。違和感なしに入っていけるのです。それが村上春樹の魅力でもあります。

ただ現実的には、大震災のあとは村上春樹に関わっているような状況でもないという思いが今もあり、意識の外れから消えてしまいそうな感じもしていました。それでもう一度どれかの作品を読んでみようと思い、『1Q84』の「ブック3」を選んで、読んでみました。その物語はそこで終わっているのか、続きがあるのか、あるとしたら村上春樹はいま何を考えているのだろうか、知りたいというか、想像してみたくなりました。物語としてはどのような発展もありうるように思います。同時に、小説としてのメッセージ性のようなものは本人が否定しているのですが、ともかくそのメッセージ性は十分に伝わってきます。

興味深いことにこの「対談・座談会」で藤掛氏が、村上春樹の作品のユダヤ的・旧約聖書的な展開を指摘しています。確かに、神の民の歩みは旧約聖書で記されているのですが、その物語の継続性のようなものをユダヤ人は引き受けています。その物語のメッセージ性がありながら、その物語と同じようなことを経験していくのです。物語の継続性です。物語の完結性ではないのです。完結してそのメッセージだけを受け取るというのとは違うのです。物語と似たようなこと、同じようなことが今でも起こりうると見えているのです。

村上春樹の世界にもそのような継続性があります。1Q84のような世界は全くなさそうでありながら、どこかにそんな世界を感じることがあります。自分も高速道路の非常階段を下りていったら、月が二つある世界に入り込んでしまうかも知れないという感覚があります。リトル・ピープルが出てきて、思いがけない、しかしどこかで自分の本性を探られるような世界に導かれるかも知れません。マザとドウタの再生の振り替えしのなかで、抜け出せない世界でもがいてしまうかも知れません。パシヴァとレシヴァのような超感覚的な認識を経験させられて驚くかも知れません。あり得ない、起こりえないと言えるのですが、それでもどこかであり得ると認めさせられるような不思議な感覚が残ります。

確かに私たちは神を信じているのですが、聖書のなかのことはすでに完結したことで、現代では起こりえないと決めかかっているところがあります。聖書の完結性を勝手に宣言して、神をもその中に閉じ込めてしまっています。牧師も神学者もそれぞれの枠で神を閉じ込めています。当然互いの交流もありません。ある牧師とは顔は合わせていたのですが、なかなか親しくなることができませんでした。しかし、お互いに村上春樹を読んでいるということが分かって、そんな垣根があっさり取り外されたことがあります。

上沼昌雄記

「真茶色の荒地と緑深い森」2011年8月8日(月)

シカゴでの滞在を終えて、先週ドライブをしてカリフォルニアの家に戻ってきました。シカゴの脇のミシガン湖からセントルイス行きの国道55号線を少しくだって、ニューヨークとサンフランシスコを結んでいる国道80号線をそのまま西にひたすら向かっていけば家の近くまで辿り着けます。何度か通った道です。ちょうど真ん中にワイオミング州のララミーという街があります。小さいときに「ララミー牧場」というテレビ番組を観たことがあるので何とも懐かしい街です。アメリカの田舎町の代表格です。

最初の晩はネブラスカ州の半分を超えたレキシントンという、名前は大きいのですが、小さな街で宿泊しました。2日目はネバダ州の半分を超えたWinnemuccaという街で宿泊しました。ウイネマカと発音するようです。次女の泉が中学生の時にこの街の名前を見つけて喜んでいたのを思い出します。私たちのUenumaに近い感じだったのでしょう。またシカゴ滞在の折りに、鈴木牧師の紹介で一人の同年配の方と一緒に食事をすることがありました。その方のお祖父さんがこの町に葬られているということです。ご本人は日本で生まれているのですが、お祖父さんは一世で、ネバダ州で開拓をしていたことになります。

このWinnemuccaを早朝発ちました。あと4,5時間で家ですので、買い込んだマクドナルドのコーヒーを飲みながらゆっくりドライブしました。かなり高地にあり、晴れ渡っていますので景色は鮮明に目に飛び込んできます。しかしどこを見ても真茶色の荒地です。岩肌をむき出した山、手の付けられない乾燥した台地、もちろんよく見るとどこかには緑が点々とあるのですが、あとは茶色の大地です。先の方のお祖父様たちが日本から入植してどんな生活をしてこられたのかと、想像しようにもどうにも思いつかない思い巡らしをしていました。

この思い巡らしは、しかし、あの荒野を旅した神の民のことになってきました。60万以上の民がそれぞれ家族を連れて、しかも40年も、約束の地をめざして旅をするのです。自分たちの車にはペットボトルと食料が積み込んであります。途中で美味しいコーヒーも手に入れることができます。60万以上の民たちが、このネバダ州の真茶色の荒地とは同じでないのでしょうが、あの荒野をどのように旅をしたのか、想像を超えています。それでも民数記では2回の人口調査でわずか1820人しか減っていないのです。それがまさに恵みですと、民を数えながらを楽しく語っていたチャック・スミスの説教を思い出します。

前々日のシカゴからネブラスカ州までは、緑豊かな、森とは言えないのですが、牧草地、トウモロコシ畑の間をドライブしていました。大地が緑に覆われていました。まさに農業国アメリカです。今ネバダ州は全くの茶色の荒地です。何ともコントラストのしっかりとした大陸です。そのコントラスを思い描いてみると、聖書の世界から始まって、後のキリスト教会の歴史にも当てはまるように思えてきました。聖書の世界は荒野の旅から始まっています。教会ができる頃からあの地中海が入ってきました。その後は緑深いヨーロッパの森の中に教会が建てあげられていきました。教会はしっかりとそこに根を下ろし、定着していきました。

神の民がいただいた命令は移動式の幕屋です。神を礼拝する幕屋は神の民と共に移動します。ヨーロッパの教会は定着しています。そこで執り行われ、定まったことが権威を持ってきます。その教会の枠で聖書を読んでいきます。身動きの取れない教会観に支配されます。閉塞感がただよい、クリスチャンは「理想的な教会」を探し求めて出ていきます。

神の民はどこであっても神を礼拝できます。幕屋と共に移動しています。それでもそれも一時的な「地上の幕屋」に過ぎません。ユダヤ人パウロは教会に関わっていながら、神の民としての歩みをしっかりと認めています。地上の幕屋ではまだ裸の状態でうめき、人の手によらない「天にある永遠の家」を慕い求めています。定着することがなく、一時的なこの地上のことには頼ることができないのです。その分、天からいただける神の家を慕い求めています。そこには切なるうめきがあります。

しかし教会から聞こえてくるのはそのうめきではありません。牧師の問題、 教会規則の問題、 教派の問題、神学校の問題です。何のために教会に行っているのですかと、聞いてみたくなります。家に着いたらばそんな関わりの郵便物が届いていました。聖書を引用して相手を非難しているのです。どちらがより聖書的か争っているのです。

かつてあの大村先生がどこかで、この2コリント5章の初めのパウロのうめきを真剣に語ってくださったことを思い出します。思い出すというより、大村先生のうめきが自分のなかにもしっかりと刻まれていることを知ります。すでに寝たきりという101歳の大村先生の天を思ううめきが届いてきます。

神は「天ある永遠の家」を慕い求めるうめきを生み出すために真茶色の荒地を備えているようです。緑豊かな森の中で安心して落ち着いて行き止まらないためのようです。そしてよく考えると、人生は真茶色の荒地の連続です。木陰もない、飲み水もない、すべてがさらけ出されている裸の状態です。緑深い森の中に隠れることができないのです。そこに自分の隠れ家を作ることもできないのです。荒地では何も隠すことができないのです。それだけ神の取り扱いは直接的です。

上沼昌雄記