「私はヘブル人です」2011年9月19日(月)

 これは、あのヨナが荒れ狂う嵐のなかでくじに当たって船乗りたちに身分を問われたときの返事です。前後関係からすでにヨナが船に乗り込むときに、ヨナ自身が自分の状況を明かしているようなのですが、船乗りたちがあえて問い、ヨナがそれに答えて自分の身分を明かしているのです。船乗りたちはすでにいろいろなところから来た人に接しているので、話を少し聞いただけで、このようなことをいう人物がどのような者なのかは見抜いていたでしょう。エジプトの地を追われ、カナンに定着しているアブラハムの子孫と名乗る人たちだと分かったのでしょう。しかもこの人物はくじに当たる前に嵐のなかで船底でぐっすり寝込んでいたのです。こんな者を船に入れたことで海の神が怒っているとも思ったかも知れません。

 ヨナは、思わないかたちで身分を明かし、しかも信仰の告白までしています。「私は海と陸を造られた天の神、主を恐れています。」そのことだけで船乗りたちは恐れ、結局ヨナ自身にどうしたらよいのか尋ね、しかもヨナの神に祈って、ヨナに言われたように海に彼を投げ込み、嵐は嘘のように静まったのです。その結果彼らはさらに恐れ、ヨナの神にささげものをささげるのです。この後日談はヨナは知らないのですが。

 異国のニネベへの宣教を課せられたのですが、どうにも納得できなくて地中海まで逃げてきて、そこで思いがけなく異邦人である船乗りたちに自分の信仰を告白し、全く思いもよらないことに彼らまでも自分の神に祈りを捧げているのです。あたかもヨナにとって異邦の民であるニネベへの宣教は避けられないことを身をもって知らせているかのようです。たとえヨナが納得できなくとも、異邦人にまで神の手が及んで言うことが神の計画だったのでしょう。そしてユダヤ人たちはこのヨナの出来事を、自分たちを通して神の祝福が全人類に及んでいくしるしとして、贖罪の祭り、ヨム・キプールには読むのです。

 神はそのような何かの意図があって、ヨナが自分の身分を明かすように促しているかのようです。しかし、ヘブル語を話すこのヘブル人たちが自分の身を明かすことがどれほどの危険を伴うものなのかは、キリスト教が成立してからこの2千年の歴史で明らかです。あの名映画「戦場のピアニスト」での最後の場面が浮かんできます。ドイツ将校に見つかって「ユダヤ人か」と問われる場面があります。正直にうなずく以外にないのです。しかしピアニストであることが分かってピアノを弾くように命じられて、暗闇のなかでショパンを弾くのです。ドイツ将校の心を動かし、彼は密かに食料を届けるのです。そのようにしてシュピルマンは命を長らえ、ホーランドの国民的ピアシストになるのです。

 「私は日本人です」とアメリカ人の間で言うときには、美しい京都のイメージで事が終わります。しかしアジア系の人たちとの間では過去の戦争の時の暗いイメージが付いてきます。「私は日本人です」と言わなくても相手には分かります。今では日本食が韓国人や中国人のスーパーでも手にはいるので行く度に、自分が日本人であることを感じます。そこにはぬぐい去れない過去があります。背負わなければならない過去です。それは、本当は抜け出したいのですがいつでも付きまとってくる影のようです。

 自分自身に「私は日本人です」と言うときには、どうしてもそこにただ限りないグレーが漂ってきます。「私はヘブル人です」とヨナが言うときには、そこにはしっかりとした天地の造り主の信仰があります。アブラハム、イサク、ヤコブの神への信仰です。明確な始まりがあります。澄み切ったブルーです。しかし「私は日本人です」という始まりを考えたら、限りないどろどろした世界に入る以外にないのです。しかもそこは誰にも触れさせないような泥沼です。信仰の根も腐らせてしまうおぞましい世界です。

 あの大村晴雄先生が「日本人の根底にあるどろどろしたものをことばで言い表すことができたらば、自分の日本プロテスタント史は終わる」と言われたことを思い出します。そのどろどろしたものは教会にも神学校にもはびこっています。それゆえに、「我は天地の造り主、全能の神を信ずる」という告白は、とてつもない重みを持っています。どろどろしたものをぬぐい去れるか、逆にとらわれてしまうか、厳しい闘いです。

上沼昌雄記

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「「私はヘブル人です」2011年9月19日(月)」への1件のフィードバック

  1. 季節が秋に向かっています。
    「わたしはへブル人です。」を読ませていただきました。アイデンティティをもう一度確かめ、探す旅に入りました。海外にあって日本人であるということの厳しさに思いをはせました。歴史の重みはいつも、この身にのしかかってきます。自分のいきていなかった時代であっても影響を深く受けて生きています。

    母がなくなって、母の生きた時代を思います。また残された父に関わりながら、父の生い立ちに耳を傾けます。戦争の生々しい傷があります。私は戦後の生まれですが、父と母を通して戦争の痛みを受け継いでいると思います。

    福岡に育ちながら愛知県で生きています。福岡を慕い求めながら、愛知で家族と共にいます。私のふるさとはどこなのか、愛知で福岡を探してしまうのです。ただどこにあっても「わたしは天の父の子。」そこを思うときに寂しさや孤独からから解放される気がします。

    またエッセイを楽しみにしています。

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