「錆び付いた紅葉」2011年11月14日(月)

 今回の日本での奉仕の最後の日、隠れ家の窓から小雨降るなか霧に覆われたた盆地は幻想的な朝を迎えています。まだ雪の気配はありません。いつもより温かいこの秋の旅でした。南は大分から北は北見と結構な旅をしました。それぞれの地で思い返せば結構重い話をしてきたような感覚が残っています。その旅の間車窓から眺める紅葉は、どうにも燃えるようなものではなく、何とも錆び付いた感じのままで終わりそうです。でもその錆び付いた紅葉に慰められてきました。色鮮やかな紅葉では逃げ出したくなったと思います。

 どうにも解決のならない状況に誰でも置かれています。聖書の教えがこうだからと言っても、そのようにはならないことでもがいています。うめきが聞こえてきます。個人としても教会としても。低層通音のようにその響きは残ります。その響きが重なってきて心を覆ってきます。それは心だけでなくこの地をも覆っています。それが錆び付いた紅葉を目の前にすることで慰めをいただきます。

 うれしいことにも直面します。札幌の教会で2年前に男性のグループで求道中の方が網走からサロマ湖までのサイクリングの話をしてくれました。その時に大阪の堺のシマノでサイクリング車の技術開発をしている同じ求道者の兄弟の話をしました。そのふたり共が2年後に信仰を持って教会で励んでいる様子を知ることができました。札幌のそのグループで奥様を花でたとえる作業をしました。そしてその花を写真でも実物でも奥様にプレゼントするように勧めました。そのようにしましたとメールが入りました。

 昨日は東久留米の教会で神の怒りについて3回の説教をしました。重たい難しいテーマですが、避けられないこと思って語りました。多少不安を抱えながら隠れ家に戻ってきました。秋田の教授ご夫妻が来ておられて、隠れ家の医師ご夫妻と当地の牧師ご夫妻とミニストリー20周年感謝の会合を持ってくれました。学生時代の関わりからいまに至るまでの信仰と恵みの回顧と続いての責任と、どこまでが真実でどこまでが希望的観測なのか分からない会話で、心が解き放たれる思いをいただきました。

 隠れ家の近くで農業を営みながら小説を書いている方が昼に尋ねてきます。お蕎麦を食べながら夏目漱石と村上春樹の話になりそうです。最上川の隠れキリシタンのことも出てきそうです。

上沼昌雄記

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「「錆び付いた紅葉」2011年11月14日(月)」への1件のフィードバック

  1. 上沼先生のこの秋の日本の旅が無事おわったことをうれしく思っています。
    暖かい秋の御奉仕できっとたくさんの豊かな出会いの中でいい思い出がつむがれていったことと思い、わたしもうれしく思っています。

    思い出して、栄の礼拝の「思いがけない神とヨナの怒り」をもう一度聴いています。
    静かな平安を味わっています。上沼先生が日本で大変苦労の多かったお義父様に「それでも『ミッション アコンプリッシュト』ではなかったでしょうか。。」
    とやさしくおっしゃるシーンを思い起こしています。

    同じ言葉を今わたしはわたしに語りかけています。

    どうしようもない家族のうめきの中にいながら、それでも「恭子、ミッション アコンプリッシュトだよね。」と語りかけています。

    ヨナの話に耳を傾けていると不思議に納得してしまうのです。
    なにか目に見える収穫が見えないのだけれど、自分の生涯ではもう何も起こらなかったとしても
    それでもうれしくなるのです。
    神様の大きさを見せていただいた壮大なメッセージです。

    自分のほうに神様を引き寄せてしまう自分を感じながら
    そういう自分の姿を見つめさせられるメッセージに感謝しています。

    二十一年目に向かう先生の働きの祝福を祈っています。

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