「踏みつけられている妻について」2011年12月9日(金)

11月29日付の「足蹴にされている/踏みつけられている」の記事に関して、踏みつけられていると訴えられている夫から以下の文章をいただきました。如何様にでも使ってくださいと言うことですので、ほとんどそのまま掲載いたします。 <私自身は未だに「踏みつけている」ことの内容を充分に理解できません。特に言動においては「そんなひどいことを言ったけ?」という感じです。「それが踏みつけている証拠!」と言われそうですが。 ただ、ずっと「彼女の人生って、いったい何なのだろうか。」と考え続けています。特にふたりだけの生活になってから、それを強く意識するようになりました。彼女は私から見て、多くの才能を持っていると思います。文章も話術も私よりは秀でています。加えて、病弱であったことで身につけた独特の処生観があります。死の崖っぷちを経験したことで、不思議な度胸も持ち合わせています。「私の妻であることに終わらず、何か彼女なりの生き方ができれば。」と思ってきました。「君独自のミニストリーを見つけたらいいよ。」と言ったこともあります。 しかし、彼女は「あなたのミニストリーを離れては、自分のミニストリーを考えることができない。」と言います。そして、私は日を追うにつれてそのことが深く心に入って来るようになりました。「夫の妻」「牧師の妻」であるよりも「自分自身」でありたいと思いつつ、それらは分かちがたく彼女の生活に入り込んでいる。そして、妻は夫の「自分探し」にずっと振り回されて行く。「彼女の人格」と言った時に、そのことが深く関係しているように思います。>  そしてしばらくして次のような体験を記してくれました。 <さて、あれ以来「踏みつけられている妻」について、色々考えています。そこで、あらためて彼女に「どんな時に、踏みつけられているって感じるの?」と聞いてみました。彼女の挙げた例は次のようなものでした。 「私がCDを聴きながら夕食の準備をしている。そこに、あなたが『ただいま』と帰って来て、テレビをつける。すると私は『ああ、テレビが見たいんだな』と思い、黙ってCDのスイッチを切る。別にどうしても聴きたいわけではないから、それで少しも構わない。でも、よく考えてみると、私がCDを聴いていることに気づいて、『テレビ、つけてもいい?』という一言があってもいいんじゃない。それなら、『どうぞ、どうぞ!』って、もっと気持ちよくスイッチが切れるはずなのに。怒ってるわけじゃないし、自分でも『どうでもよいこと』と思うけれど、そんな時、やっぱりどこかで『私』の存在が無視されているような気がするの。」 こう言われて、私も少し分かったような気がします。粗暴な言動に傷ついているわけでもないし、先日ちょっと申し上げた「彼女自身のミニストリー、生き方」というような大問題でもなく、日常の、男性が気づかないで終わっている些細な事柄が心に引っ掛かっているのかもしれません。そして、その「些細」な事柄も、どこかで「彼女の生き方」に深く結びついているのかもしれません。 昨日も一緒に出かけました。結構あたたかな午後でした。途中で銀行に立ち寄り、彼女は車の中で私を待つことになりました。車内が充分暖まっているようでしたので、私は「無意識」にエンジンを切り外に出ました。出てしまった後で、「ああ、これか!」と思ったのです。こんな時に、「エンジン、切っておいてもいい?」と一言聞けばいいんだよな。そう思いつつも、あえて車に戻って確かめようとはしませんでした。どうやら、これからも「あなたは私を踏みつけている!」と言われ続けるような気がします。> 上沼昌雄・責任編集

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「「踏みつけられている妻について」2011年12月9日(金)」への2件のフィードバック

  1. 「踏みつけられている妻」について、なんだか温かい気持ちで読ませていただきました。

    「どんなところで踏みつけられていると感じるの?」という御主人のやさしさも素敵だし、そのことを素直に伝える奥様もとってもかわいらしいと思います。
    また奥様の告白で、無意識のわたしの中の妻としての願いも掘り起こされるようでした。。

    出産して数年産後の肥立ちがわるくて、近くの小さな教会にうかがうことになりました。

    そこでは二世の宣教師御夫妻が、教会を切り盛りしていました。
    初代の御両親はちょうどフレンズ先生御夫妻と同じ時代の教会開拓。

    息子さん御夫妻がその教会を受け継いでいました。

    わたしは二世の宣教師の奥様と仲良くなり、
    二人で話すようになり生い立ちの飢えでの傷や
    ご夫婦の格闘も打ち明けられるようになったのです。

    その内容は「ミッションの影で踏みつけられている

    していくことに
    上沼先生の温かい応答を感謝いたします。

  2. 〔途中で変な終わり方をしてしまいました。ごめんなさい。続きです。〕

    その内容の中には、「ミッションの影で踏みつけられている妻や嫁のこころ」みたいなのがありました。

    でもなんだかそういうことを楽しそうに話してくれて、じゃあ、とんでもないところにお嫁さんにきたという感じではないのです。

    そうやってときどきぶつぶつこぼしながらも、楽しそうに宣教は続けていらっしゃいました。

    いま、東北の被災地にご夫妻で支援にいっておられます。

    宣教師の妻であるけれども
    普通の奥様であり女性であり、それでも宣教師の
    妻であり、お嫁さんなんだな
    と尊敬しています。
     
    上沼先生のお返事を感謝しています。
    いつもたのしみに読んでいます。励まされています。

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