「冬の日本へ、雪の最上川に」2012年1月16日(月)

 導きをいただいて3年連続になりますが、まもなく冬の日本に伺うことになります。今回は山形の教会の一日修養会で「苦しみを通して神に近づく」をテーマに礼拝と午後のセミナーを持ちます。誰のうちにもある神への叫び、うめきに思いを潜め、分かち合うことができればと願っています。旧約の神の民の歩みの連続で観ていくと、そんな叫びを神に向けることができるのがまさに信仰なのだろうとも思わされます。この視点を抜きに苦しみのことだけを取り上げると、神義論の議論になって迷路に入ってしまいます。神の民の叫びに耳を傾けながら、自分のなかの叫びに耳を傾けるときになればと願っています。

 この旅のためのやり取りで、すでに北見から、秋田から、山形から、米沢から、今年は雪が多くて寒いですというメールをいただいています。いただく度に、1年前の山形や秋田や北見の雪の多さと寒さに驚いたのを思い出します。その前年、私にとっては3年前なのですが、そんなに雪が多かった記憶がないのですが、昨年は最上川の隠れ家に入るまでの道のりがまさに雪の壁になっていて驚きました。今年はそれ以上だとすると、すでに雪に埋もれているのだろうかと想像しています。

 現在両親の世話があってロス郊外に来ています。温かい太陽の下では日中は半袖でもいられます。これから向かう日本の雪景色を想像しています。絶えず降り続けていながらそれでも温かみを持っている最上川の雪景色、寄せ付けないような道東の厳寒の雪景色に降り注いでいる太陽の温かさ、そんなことを思いながら今回の旅でどのような雪景色に出会うのか、多少心が躍る思いです。

 限られた滞在期間なのですが、昨年10月18日付で書いた「お寺に掲げられている十字架」で記したキリシタン宣教師の逃避行のことで、多少の資料調べをしたく願っています。最上川沿いの佐野原から山沿いに酒田に出て、日本海を渡って、北海道に入り、樺太を通って、シベリヤ経由で本国に帰ったという話です。戦後の27年にバチカンから米沢の教会に問い合わせがあって分かったというものです。現在バチカンの日本大使館にも問い合わせをしています。ともかくこの雪深い地でどのように信仰を守り、どのように隠れ、どのように逃げて本国まで帰ることができたのか、何とも興味深いことです。そのための手がかりを少しでも得られればと願っています。

 神の民にはこの地には永住の住処はない、そんなテーゼを突きつけられて、祖国を捨てて日本の地に入り、迫害のなかを逃避行したキリシタン宣教師のことに思いが向きます。どのような思いで旅をしたのだろうか。隠れキリシタンとの最後の別れはどのようなものだったのだろうか。酒田から日本海を北海道に渡航することを助けた隠れキリシタンの船乗りがいたのであろうか。厳寒のシベリヤをどのように生き残ることができたのであろうか。果てしない困難を伴う旅は、しかし、エジプトを出た神の民、バビロン捕囚から帰る民の歩みにも通じます。その旅は、また、私たちの旅でもあるのです。

上沼昌雄記

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“「冬の日本へ、雪の最上川に」2012年1月16日(月)” への 1 件のフィードバック

  1. 日本・東北での御奉仕の祝福を祈っています。

    幾人かの作家の自伝を読んでいます。
    カン・サンジュンさんの自伝を読んでいます。『在日』〔集英社文庫〕です。
    自分の生い立ちの記憶があります。二人のオジサンの記憶があります。
    在日1世の記憶が在日2世のサンジュンさんのなかに生きています。

    メディアに時々出てこられます。息巻いた感じはしません。
    静かに語ります。悲しみを深く秘めているような気がします。それでいてなんだか楽しそうな気もします。何かを語りながら、対決しようという感じはありません。自分と違う立場の気持ちも大事にしています。とても静かだけど積極的な感じもします。その雰囲気がどこからきているのか知りたくて、ゆっくりと読んでいます。

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