「雪かき」2012年1月30日(月)

先週の木曜日の遅くに最上川の隠れ家に到着してから今日まで、雪が降り続いているというか、降り止まないというか、時々降り止んで、一瞬太陽が顔を出したかと思うと、また降り出しています。天に良くそれだけの雪が蓄えられてあるものだと感心していまます。イメージとしては雪に覆われて身動きも取れない感じですが、実際には人びとはしっかりと活動をしています。絶えることなく生活しています。雪を払いのけて、生活空間をしっかりと確保しています。その確保のために友人の牧師も今日は雪かきに追われているようです。

窓の向こうにサクランボの棚があります。6月の雨期にはサクランボが割れないようにビニールをかぶせます。そのビニールを乗せるスティールの棚がサクランボの木の並びにあわせて4列並んでいます。多少まるびを帯びている柵の間に雪が溜まっています。どうなるのだろうと人ごとのように思っていたのですが、今朝からその棚に上って雪下ろしをしています。慎重にゆっくりと、そして見事に機械的に棚の下に降ろしています。すでに2列目の真ん中まで来ています。

そんな情景を見ていて、あの村上春樹が「雪かき的文化」とか「雪かき的、、、」とどこかでと言っているのを思い出しました。ネットで検索してみると「文化的雪かき」という表現を『ダンス、ダンス、ダンス』で使って言うことが分かりました。どうして「文化的雪かき」という言い方をあえてしなければならないのかと、その表現に出会って感じたことを思い出しました。手元にその本がないので細かくは入れなのですが、窓の向こうで文字通りに雪かきをしている人の姿を見ながら、「文化的雪かき」とは、失礼な言い方でもあるし、そんな言い方を良く思いついたものだと関心もしています。

誰かが文字通りに雪かきをしなければ生活が成り立たない、誰かが文化的雪かき的に細かい書類の整理をしなければ社会が進まない、それは、雪が降り続いている限り、社会が動いている限り、し続けなければならないことです。屋根の雪下ろしで何人かの人が亡くなったニュースが流れています。この隠れ家の周りも毎日朝早くから担当の人が雪かきをしています。一日は雪かきから始まっています。サクランボの棚が雪でつぶれてしまったら、美味しサクランボは食べることができません。今朝も近くのコンビニにメール便を出しに行ってきましたが、誰かが雪かきをしてくれた跡をたどっていったのです。

また雪がしっかりと降り出しています。 そうすることが、世界が造られる前から定まっていたかのように降っています。 降り続けることが運命のような印象の降り方です。雪かきをした道がまた雪で埋まっていきます。また明日も雪かきが必要です。黙々と、機械的にサクランボの棚の雪下ろしをしていた方の姿が、この最上川の地の歴史を語っているようです。

上沼昌雄記

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