「隔絶された時間、隔絶された場所」2012年2月3日(金)

昨日の朝は猛吹雪でした。新雪が30センチ以上は積もっていました。新幹線で東京に出られるかなと思いながら、JR東日本のネットでは「平常通り」と言うことで、8時過ぎに隠れ家の主に送っていただきました。普段は20分ほどで行くのですが、大雪で渋滞していて1時間近くかかってしまいました。

駅ではその前の東京行きの新幹線が止まっていて、それに乗せてくれました。4時間待たされて動き出したのですが、この列車は山形止まりで運転を取りやめると言うことと、その先も今日は終日運休にしますと言うことになりました。山形まで行っても戻ってくる足がないことが分かりました。それで次の「さくらんぼ東根」という駅で急遽降りました。隠れ家のご夫妻がアレンジしてくれて、教会の牧師が迎えに来てくれることになりました。

東京に向かう目的は、『村上春樹を読みつくす』の著者の共同通信編集委員の小山鉄郎氏を訪ねることでした。村上春樹のデビューの時から今に至るまで何度もインタビューをしてきたことを下にして書かれたものです。批評家のように自分の枠があってそこの村上春樹を引き入れて論じているものではなく、村上春樹に寄り添って書いているもので、文芸的優しさというか、温かみを覚えるものです。

新幹線の車両のなかは温かく、数人しか乗っていないこともあって、静かに3度目になると思いますが、『村上春樹を読みつくす』を読んでみました。さながら新幹線の書斎となりました。著者が村上春樹に寄り添いながら、小説家としての村上春樹が意識していないで書いているところを、上手に結びつけているようで、さらに村上春樹が浮かび上がってくる感じがします。しかもそこに無理がなく、その結びの糸が、本人が意識していなかったとしても、当然意図していたものであるかのように浮かび上がってきます。不思議な納得をいただきます。

世界的に読まれていながら、それでも濃厚に漂っている「日本」「日本人」を村上春樹のなかに丁寧に解きほぐしています。特に『平家物語』『雨月物語』『方丈記』の3つの古典に情緒的にどことなく共通の感覚が、デビュー当初から村上春樹のうちに漂っているというのです。それを「時間に対する感覚」とみています。「つまり絶対的な時間(それは歴史的な時間でもある)を時間として冷静に意識し把握しながらも、己の体内に別種の時間を作り出すという二重作業である。それはいわば隔絶された時間であり、それに呼応するように隔絶された場所がそこに浮かび上がってくる。」(83.84頁)現実と非現実の接点、向こう側とこちら側の合わせ鏡、異界への入り口、歴史と記憶という著者が繰り返し取り上げているテーマに結びついてきます。

この「隔絶された時間」、それはそのままレヴィナスの主要テーマである「時間の隔時性」に関わってきそうです。時間の他者性をみているレヴィナスにとって、向こうからくる時間は隔絶されたものです。単なる延長ではないのです。共時ではなく隔時であることで、他者は驚きであり、いのちでもあるのです。その他者のその先にユダヤ人哲学者であるレヴィナスはメシア、メシア待望をみています。拙書『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』でレヴィナスと村上春樹を同時に取り上げたことが結びついてきます。

立ち止まっている新幹線の列車の隔絶された場所、5時間かけてすぐ隣の駅までようやくたどり着く隔絶された時間、日常が寸断されて思いがけない時間と場所を経験することで別の世界が開かれてきます。ともかく小山鉄郎氏に今日はお伺いできない旨の電話を入れました。迎えに来てくれた牧師宅で昨年来の「踏みつける、踏みつけられている夫婦」の話の続きすることになりました。「踏みつけられている」という言い表すことで開かれてくる世界 、いただいた結構のレスポンスに対してのこの夫婦の反応と、ともかく思いがけない話題に、東京に向かう予定で出たその日の暮れに導かれました。

上沼昌雄記

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「「隔絶された時間、隔絶された場所」2012年2月3日(金)」への1件のフィードバック

  1. 雪深い東北の旅、思うとおりにいかない、予定通りには進まない時間の中で
    なにか新しく世界が予想もしない形で広がっている光景を思い浮かべています。

    結婚前に滋賀県の長浜市に住んでいました。そこで大雪の中の生活を体験しました。雪が降りつづく日は日常の時間がかわります。なにをするのも雪の影響を受けました。その記憶が浮かび上がってきます。

    『村上春樹をよみつくす』を読んで見たいと思います。

    教会のセルで自分の記憶を語るときがあります。家族を語るときがあります。
    父母を語るときがあります。そのときは戦争の記憶が出てきます。自衛隊の記
    憶が出てきます。意図していないのに自分の物語を
    みんなが静かに聴いてくださいます。
    そのことに支えられています。

    主人と最近よく話します。主人が話したがっています。
    それで聞いています。
    そういうなかで自分がわかり
    しらなかった主人が見えてきます。主人の父が見えてきます。そういう発見をおもしろいと思っています。

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